皇紀二千六百年奉祝基督教信徒大会宣言

 昭和15年(1940)10月17日

神武天皇国を肇め給ひしよりここに2600年皇統連綿としていよいよ光輝を宇内に放つ光栄ある歴史をかかへて吾等うたた感激に耐へざるものあり。

本日全国にある基督教徒相会し、つつしんで天皇陛下の万歳を寿き奉る。

思ふに世界情勢は極めて波乱多く一刻の倫安を許さざるものあり。西に欧州の戦禍あり、東に支那事変(日中戦争)ありて未だ終結を見ず、この渦中にありて我国よくその進路を誤ることなく、国運国力の進展を見つつあり。これまことに天佑の然らしむる処にして一君万民尊厳無比なる我国体に基くものと信じて疑わず。

今や世界の変局に処し、国家は体制を新にし大東亜新秩序の建設に邁進しつつあり。吾等基督信徒もまたこれに即応し教会教派の別を棄て、合同一致以て国民精神指導の大業に参加し進んで大政を翼賛し奉り、尽忠報国の誠を致さんとす。よってここに吾等は此の記念すべき日に当り左の宣言をなす。

一、吾等は基督の福音を伝へ救霊の使命を完ふせんことを期す

一、吾等は全基督教会合同の完成を期す

一、吾等は精神の作興、道義の向上、生活の刷新を期す

右宣言す

 この大会は、1940年10月17日(旧神賞祭)、青山学院において全国より約二万人の信徒が集まり「世紀の大祭典」として挙行された。

 この戦時中の宣言に対し、戦後1967年に反省文が表明された。

第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白

 わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。

 まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。

 わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。

 明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。

 わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。

 「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

 しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。

 まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。

 終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

  1967年3月26日 復活主日

日本基督教団総会議長  鈴木正久

 さらに賛美歌の内容についても以下のように反省の上に立ち、改定作業ががなされている。

日本基督教団讃美歌委員会

 本年1995年は、わが国にとっては敗戦後50年を画する重要な年です。日本基督教団賛美歌委員会は、わが国のキリスト教会をはじめ、学校、団体などで広く歌われ、用いられている讃美歌集の発行の責任を受け継いできました。この年に当たって、歴史に対する反省に立ちつつ、私たちの見解と責任を表明いたします。

 わが国のプロテスタント讃美歌集・聖歌集の中で、現在もっとも広く用いられている現行『讃美歌』(1954年版)は、戦後まもなく数年の改訂作業の結果、発行されたものです。その元になった『讃美歌』1931年版は、日本が中国東北部(旧満州)に対する侵略を開始した年に刊行されました。それを本体とした1941年刊の『青年讃美歌』をはじめ、1943年には『興亜讃美歌』、『興亜少年讃美歌』、さらに『讃美歌・時局版』の編集刊行に、当委員会は、直接あるいは間接的に関わってきました。これらの曲集には戦争賛美の色彩の濃い讃美歌が収められています。時代の流れのままに侵略戦争に加担したことは否めない事実で、キリスト教会として行ってはならない誤りでした。

 現行『讃美歌』は、このような歌集に対する「徹底的な改善補強を要求」される中で編集されましたが、わが国の讃美歌の基本的欠陥を徹底的に改善することまではできませんでした。そのことは各方面からの指摘によっても、また近年の当委員会自身による検討作業によっても明らかになりつつあります。ことに、当時の宣教師や国家神道的表現の多用等は、キリストの福音とは異なる、権威主義的・国家主義的発想となり、天皇制容認の素地を作ることとなりました。またそれは同時に、差別と自己優越感を助長することにもなりました。その意味で、現行『讃美歌』は前世紀末からのわが国の讃美歌集の特質を継承していると言わざるをえません。

 わが国のいわゆるプロテスタント主要教派における最初の共通歌集は、『讃美歌』1903年版です。その編集において直接の資料となったものとしては、『基督教聖歌集』(1884年初版、1895年増補版)、『新撰讃美歌』(1888年歌詞版、1890年譜付版)、また『基督教讃美歌』(1889年初版、1896年増補版)などであったとされています。1894年にいわゆる日清戦争を開始した日本は、それを契機としてアジア侵略への道を歩み始めました。教会の指導者たちのなかにも義戦論が目立つようになっていた時代でした。そのことが教会の信仰とその告白の言葉、祈りと讃美の表現に影響を与え、讃美歌の歌詞に国粋主義的な美文調の傾向をもたらしたと見ることができます。こうした事実から見て、わが国の讃美歌の性格は、過去100年の日本の歩みについての歴史的反省の上に立って見直されなければならないことになります。

 これまで当委員会として、このような歴史についての反省をしてこなかったことを深く謝罪し織悔いたします。同時に、こうした歴史と讃美歌の実態を正しく認識しながら、これからの働きのなかで、同じ過ちを繰り返すことのないように銘記したいと願っています。

 そのためにも、讃美歌改訂の必要性は差し迫ったものです。当委員会としては1992年に『改訂讃美歌試用版』を刊行し、皆さまの批判、要望、意見を受け入れております。また、93年からは、積極的に讃美歌改訂作業を進めるべく、讃美歌委員会のもとに「讃美歌改訂委員会」を設置して、その作業を継続しています。

 以上のような歴史の認識、現状における反省をもちつつ会衆歌としての讃美歌に関わり、ことに讃美歌改訂作業に着手している讃美歌委員会、讃美歌改訂委員会の働きを覚え、祈りと励ましをお願いする次第です。

 なすべき反省・謝罪・機悔の思いを神と隣人に向かって明らかにするとともに、主は、私たちがこれから進むべき道を導かれることを信じて第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白します。

  1995年10月

日本基督教団讃美歌委員会