反軍演説

 衆議院議員 斎藤隆夫の「支那事変処理に関する質問演説」

 昭和15(1940)年2月2日

(文は筆者が簡略化した)

 支那事変(日中戦争)が勃発してからすでに二年有半を過ぎ、内外の情勢はますます重大化している。このときに当り(昭和15年)1月14日、阿部内閣が辞職して現米内内閣が成立し、初めてこの議会に臨めることになった。米内首相は組閣そうそう政策を発表されたが、相変らず抽象的で、国政に対する抱負経綸を知ることは出来ない。そこで私は今日、許される時間の関係で我国第一の重大な問題、つまり支那事変の処理に絞って私の卑見を述べる。

(すでに大戦争と言える状況)

 今日の内外政治はいずれも支那事変を中心として動いているが、一体支那事変はどうなるか、いつ済むのか、いつまで続くものか、政府は如何にこれを処理せんとするのか。国民はこの議会を通じて聴くことが出来ると期待しているであろう。さきに近衛内閣はこの事変を起こしながら途中で退却した。平沼内閣はご承知の通りで、阿部内閣に至っては事変処理の片鱗をも示さずして総辞職してしまった。ここで私は総理大臣に向って率直にお尋ねをする。今回の事変については、当初支那側は申すに及ばず、我が日本においても確かに見込み違いがあったに相違ない。即ち我国より見ればその初めはいわゆる現地解決、事変不拡大の方針を立てられたが、その方針は支那側の挑戦行為によって裏切られ、その後事変は日に月に拡大し、躍進に躍進を重ねて遂に今日の現状を見るに至っている。

 しかしながら翻って考えると、日支両国の間においては早晩一大事変か起こらざるを得ないその禍根がどこかに隠れていて、その機運が熟し、それがかの蘆溝橋における支那側の不法射撃に触れて爆発したに過ぎないのであって、これは仕方がない、両国間にわだかまる運命である。しかし問題はどうしたらこれらの禍根を取り除くことが出来るか、まず第一に我々が支那事変の処理を考えるに当っては、過去二年有半の長きに亘って我が国家国民が払った絶大な犠牲である。即ち遠くは海を越えてかの地に転戦する百万、二百万の将兵諸士を初めとして、近くはこれを後援する国民が払った生命、自由、財産その他一切の犠牲は、この壇上の口舌においても、その万分の一をも尽すことは出来ない。しかもこれらの犠牲は将来久しきに亘る、今後幾年に亘るかということは、今日何人といえども予言することが出来ない状態にある。実にこのたびの事変は、名は事変と称するけれども、その実は戦争であり、建国以来未だかつて経験せざる大戦争であり、すでに我軍の占領地域は実に日本全土の二倍以上に跨っているのである。

 これらの占領は如何にしてなされたものであるか。いずれも忠勇義烈な我が皇軍死闘の結果である。これがために十万の将兵は戦場に屍を埋めているのでありましょう。そしてこの幾倍もする数十万の将兵は、悼ましき戦傷に苦しみ、百万の皇軍は今なお戦場に留まってあらゆる苦難と闘っているに相違ない。こうして得られたこの戦果を眼中に置かずして、事変処理を論ずる資格はない。我国はかつて四十余年前に支那と戦った。三十余年前にロシアと戦った。これらの戦いはいずれも国運を賭した戦いであったに相違はないが、今回の戦いはその規模の大なること、その犠牲の大なること、日を同じくして語るべきものではない。これを基にして事変処理の内容を充実するのでなければ、出征の将士は言うに及ばず、日本全国民は断じてこれを承知するものではない。

(絵空事の近衛声明)

 米内首相は事変処理については、すでに確乎不動の方針が定められているとされているが、その方針とは即ち昨年12月22日に発表された近衛声明なるものであるに相違ない。近衛声明の中には大体五つの事柄が示されている。その一つは支那の独立主権を尊重するということ、第二は領土を要求しない、償金を要求しないということ、第三の経済関係については、日本は経済上の独占をやらないということ、第四の支那における第三国の権益については、これを制限することを支那政府には要求しない、第五は防共地域である内蒙付近を除くその他の地域より、日本軍を撤兵するということである。この五つが近衛声明に含まれている要項である。

 しかしながらこの声明はただ支那のみに対する声明ではなく、全世界に対する声明であるから、如何なることがあってもこれを変更することは出来ない。もし仮にもこれを変更することがあるならば、我国の国際的信用は全く地に墜ちてしまう。そればかりではなく、ご承知のごとくかの汪兆銘氏はこの近衛声明に呼応して立ち上り、和平救国の旗を押し立てて、新政権の樹立に向って進んで来ている(注:南京臨時政府設立)。この近衛声明を本として、その後同氏の声明書には「近衛声明のごとくであるならば支那にとっては別に不和益はない。日本はこれまで侵略主義をとっていたが、近衛声明によって侵略主義を挺棄した。日本が侵略主義を挺棄したということは、即ち軍事上においては征服を図らず、経済においては独占を考えないということである。ここに至っては一日も速やかに和平を実現せねばならない。また和平は絶対に対等の立場において結ばねばならない」とある。この声明を発表してから一年有余の間、汪氏はご承知の通り支那民衆、ことに蒋介石一派より実に堪えざる攻撃を受け迫害せられながら、身を挺して和平運動のために進軍して来ている。そのためにも同氏の声明を裏切ることは出来ない。もしこれを裏切ることがあるなら、和平運動ひいては新政権の樹立は根本から崩壊させられてしまうことになる。

(出口の見えない戦況)

 ここにおいて私は政府に向ってお尋ねをする。支那事変処理の範囲と内容は如何なるものであるか。重ねて申すが、支那の独立主権を完全に尊重する以上は、将来支那の内外政治に向ってかりそめにも干渉がましきことは出来ない。でなければ支那の独立主権はたちどころに侵害させられる。支那事変のためにどれだけ日本の国費を費やしたか、軍費として我々がこの議会において協賛したものだけでも、今年度までに約百二十億円、来年度の軍費を合算致すと約百七十億円、これから先どれだけの額に上るかは分らない。それらの軍費については一厘一毛といえども支那から取ることは出来ず、ことごとく日本国民の負担となり、日本国民の将来を苦しめるに相違ない。また経済開発については、決して日本のみが独占をすべきものではない。第三国権益を制限することは支那政府に向って要求しない。これまで我国の政治家は国民の前に、この支那事変は支那より欧米列国の勢力を駆逐する、欧米列国の植民地状態、第三国から搾取せられている支那を解放し、これを支那人の手に戻すと叫んでいたが、これは近衛声明とは全然矛盾する空言であったということに相成る。

 次にその他占領地域より日本軍全部を撤兵するという。残る所に何があるか、それが私には分らない。ことに日本軍の撤兵については、汪兆銘氏が「近衛声明において特別重要な点は日本軍の支那からの撤兵である。そうしてその撤兵は全部が急速にかつあらゆる方面において一斉に行われねばならぬということである。提案された日支防共協定の存続期間に限って日本軍の駐屯すべき特定地区はただ内蒙の付近のみに制限せられなければならない」と声明しているが、これを近衛声明と対照すると少しも間違いはない。これにより汪新政権が和平工作をなすに当っては、北支の一角、内蒙付近を除き支那の全占領地域より日本軍全部を撤退する、過去二年有半の長きに亘って内には全国民の後援のもとに、外においては我が皇軍が悪戦苦闘して進軍したこの占領地域より日本軍全部を撤退するということである。これが近衛声明の趣旨であるが、政府はこの趣旨をそのまま実行するつもりであるかどうかを私は聴きたい。総理大臣は言うに及ばず、軍部大臣においてもこの点についてご説明を願いたい。

(新秩序建設という空言と精神論)

 次に事変処理については東亜の新秩序建設ということが繰り返されている。元来この言葉は事変の初めにはなかったが、事変後約一年半の後、即ち一昨年11月3日近衛内閣の声明によって初めて現われた言葉である。近頃新秩序建設ということはこの東洋においてばかりではない。ヨーロッパにおいても(ナチスドイツが)数年来この言葉が現われている。しかしながらヨーロッパにおける新秩序の建設というものは、持たざる国が持てる国に向って領土の分割を要求する、即ち一種の国際的共産主義のごときものであるが、その後の実情を見ると全然反対である。即ち持てる大国が持たざる小弱国を圧迫する、迫害する、併呑する、一種の弱肉強食である。つまりヨーロッパにおける新秩序建設の意味は全く支離滅裂、実に乱暴極まるものである。一方でこの東亜における新秩序建設の内容は如何なるものがあるか。これも近衛声明と汪兆銘氏の声明を対照してみると、新秩序建設には三つの事柄が含まれていて、その第一は善隣友好、第二は共同防共、第三は経済提携である。これほど強調されている戦争の目的で、犠牲の目的となっている東亜新秩序建設の実体について、政府の見るところは何であるか。これを承っておきたい。

 さらに、ここに興亜院において委員会を設けて審議され、昨年12月11日付をもって発表された「東亜新秩序答申案要旨」というものがある。これを見ると、我々にはなかなか難しくて分らない文句が大分並べてある。即ち皇道的至上命令、「うしはく」(支配する)に非ずして「しらす」(統治する)ことをもって本義とすることは我が皇道の根本原則、支那王道の理想、八紘一宇の皇謨(天皇が国家を統治する)とあって、なかなかこれは難しくして精神講話のように聞えるが、なかなか理解し難い。一体近頃になって東亜新秩序建設の原理原則とか精神的基礎とか称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬということはどういうことか。東亜新秩序建設はこの大戦争、この大犠牲の目的であるが、それが事変以来約一年半の後において初めて現われ、さらに一年の後において特に委員会までも設けてその原理原則を研究しなくてはならぬということは、どうも受け入れ難く、この点を総理大臣に限らず、興亜院の総裁で宜しいが、聴いておきたい。

 また政府においての考えは、このたびの戦争はこれまでの戦争と全く性質が違い、この戦争に当っては政府はあくまでも大所高所よりこの東亜の形勢を達観している。そうして何ごとも道義的基礎の上に立って国際正義を楯とし、いわゆる八紘一宇の精神をもって東洋永遠の平和、ひいて世界の平和を確立するがために戦っている故に、眼前の利益などは少しも顧みるところではない。これが即ち聖戦で、神聖なる戦いであるという所以である。その言はまことに壮大で、その理想は高遠である。しかしながらかくのごとき高遠なる理想が、過去現在及び将来国家競争の実際と一致するものであるか否やということについては、一歩退いて考えねばならぬ。いやしくも国家の運命を担って立つ政治家たる者は、ただ徒に理想に囚われることなく、国家競争の現実に即して国策を立てなければ、国家の将来を誤ることがある。現実に即さない国策は一種の空想である。まず第一に東洋永遠の平和、世界永遠の平和、これは望ましきことではあるが、実際これが実現するものであるか否やということについては、お互いに考えねばならぬことである。古来いずれの時代においても平和論や平和運動の止むことはない。宗教家は申すに及ばず、各国の政治家らも口を開けば世界の平和を唱える。しかしながら世界の平和などが実際得られるものであるか、これはなかなか難しいことである。

(無意味な正義論)

 国家間の争いの最後のものが戦争である以上は、この世界において国家が対立している以上、戦争の絶ゆる時はない。我国はかつて支那と戦い、次にロシアと戦い、その時にも東洋永遠の平和が唱えられ。また平和を目的として戦後の条約も締結されたが、平和が得られたか、得られていないではないか。ご承知の通り二十幾年前にヨーロッパはあの大戦争(第一次)をやった。敗けた国はいうに及ばず、勝った国といえども徹頭徹尾得失相償わない。その苦い経験に顧みて、戦争などはやるものでない。およそこの世の中において戦争ほど馬鹿らしいものはない。それ故に未来永久、この地球上からして戦争を絶滅する、その目的その理想をもって国際連盟を作った。そして平和は得られたか、十年経ち、二十年経つ間においてまたもや戦争熱が勃興して来ている。人間の慾望には限りがない、民族の慾望にも限りがない、国家の慾望にも限りがない。さらに遡って過去数千年の歴史を見よう。世界の歴史は全く戦争の歴史である。一たび戦争が起こったならば、もはや問題は正邪曲直の争いではない。いずれも正義は我に在りと叫んだのであるが、正義が勝って不正義が敗けたのではない。正義や不正義はどこかへ飛んで行って、つまり力が尽き果てた側が投げ出したに過ぎない。

 今回の戦争に当っても相変らず正義論を闘わしているが、力の伴わざるところの正義は弾丸なき大砲と同じことである。羊の正義論は狼の前には三文の値打ちもない。国家競争は道理の競争ではなく、徹頭徹尾力の競争である。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。この歴史上の事実を基として、我々が国家競争に向うに当り、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はない。かの欧米のキリスト教国、彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておるけれど、ひとたび国際問題に直面するとキリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかして、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、現実である。この現実を無視し、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民の犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、国家百年の大計を誤るようなことかあるならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。この考えをもって、果してかの近衛声明なるものが事変を処理するについて最善を尽したるものであるかないか。振古未曽有の犠牲を払ってこの事変を処理するのに(今の政策が)適当であるかないか。東亜における日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、もって将来の安全を保持するために適当なものであるかないか。これを疑う者は決して私一人ではない。

(基盤の全くない新政府擁立)

 私はさらに進んで(蒋介石)重慶政府と、汪兆銘氏を首班とする新政府との関係についてお尋ねをしたい。今回の新政府の成立については日支両国のためにまことに慶賀に堪えない。我国はさきに蒋政権を撃滅するまでは断じて戈を収めない、国民政府を対手にしては一切の和平工作をやらないと宣言している。したがって新政府はこれを援けてもって和平調整をなさねばならぬ。これについては誰一人として反対する者はない。しかしながら退いて考えて見ると、一体この新政府はどれだけの力を持って現われるのであろうか。これが私どもには分らない。申すまでもなく国際間、また国際法上において、政府として立つ以上は、内に向っては国内を統治する実力を備え、外に向っては国際義務を履行する能力を有する両方面の条件を兼備するものでなければ、政府としてこれを承認することも出来ないはずである。その実力とは即ち兵力であり、軍隊の力である。如何に法制を整えても如何に政治機構を打ち建てても、兵力を有しない政府の威令が行われるわけがない。かの孫逸仙(孫文)が革命事案に向って一生の精力を傾倒したにもかかわらず、その業が成らず志を得ずして終に最後を遂げたのは何が故であるか。つまり彼が武人にあらず、武力を有しなかったからである。これに反して彼の後輩である蒋介石が、一時なりとも支那を統一したのは、彼が武人であって武力を有していたからである。新政府と絶対相容れない重慶政府を撃滅する力を持たなければ、新政府の基礎は決して確立しない。それ故に新しい政府にその力があるのかないのか、これについてご説明をいただきたい。

 次に、新政府設立後には我国は何としてもこれを承認し、同時にこの新政府の発展に向って支持せねばならぬ。そのためには政治上、軍事上においても、また経済上においても、その他あらゆる犠牲を払ってこの新政府を支援せねばならない。そうして新政府を援けて将来名実ともに独立政府としたその後において、我国との関係が極めて円満に持続せられるものであるかないか、これも大切な問題である。しかしながら国の異なるに従って国民性にも違いがある。現に汪兆銘氏は一昨年の暮に重慶脱出以来しばしば声明書を発表して、蒋介石に向って和平勧告をしたが、蒋介石はこれを一蹴して顧みない。そこで昨年の七月には決然として蒋介石に向って絶縁状を送っている。にもかかわらずつい最近一月の十六日でありますか、それこそ辞を卑くし、言葉を厚くして蒋介石に向って停戦講和の通電をうっている。これは支那の政治家において初めて出来ることであって、我々日本の政治家においては想像も及ばないことである。

(解決の道を閉ざす日本政府の無策)

 さらに新政府が出来た後において重慶政府との関係はどうなるのか、これについては前内閣の阿部首相は、新政権が出来たなら、重慶政府に向って働きかけ、その趣旨によっては重慶政府も和平救国の途に就くであろう、こういう意見を述べている。しかし新政権と重慶政府、どう考えてもこれが将来一致するものであるとは思えない。なぜ一致しないのか。ご承知の通り重慶政府は徹頭徹尾、容共抗日(注:蒋介石の基本は反共であるが、抗日戦線のために国共合作作戦を取った)を基として長期抗戦を企てている。しかるに新政府は反共親日を基本として新政府の樹立に向って進んでいる。この氷炭相容れざる二つのものがどうして一緒になることが出来るか、これは到底想像することが出来ない。つまり蒋介石を徹底的に撃滅する以外には断じて戈を収めない。この鉄のごとき方針が確立して、あらゆる作戦計画が立てられるべきである。「即ち新政府が出来たところで蒋介石は決して兜を脱がない、重慶政府が屈服しない限りは日本軍はあくまでも重慶征伐に向って進軍すし、汪兆銘は日本の重慶征伐に便乗して戦う」、これが我が軍部の方針であるに相違ない。しかるに前内閣の首相及び政府の要人は気楽な考えを持っている。支那事変処理の根本方針について政府と軍部との間において何か意見の相違があるらしくも思える。

 次に重慶政府に対する方針、蒋政権を撃滅するにあらざれば断じて戈は収めない、蒋介石の政府を対手としては一切の和平工作はやらない、この方針は動かすべからざるものとしてあるが、その後蒋介石は重慶の奥地で今なお大軍を擁して長期抗戦を豪語し、あらゆる作戦計画をなしているように見受けられる。一方においてはどこまでも新政権を支持せねばならぬ。即ち一方においては蒋介石討伐、他の一方においては新政権の援助、我国はこれよりこの二つの重荷を担うて進んで行かなければならないが、これが我が国力と対照して如何なるものであるか、人的、物的関係の上において、また財政経済の関係において如何なるものかということは、国民が政府に聴きたいところである。申すまでもなく支那は非常な大国である。その面積においても、我国の占領地域が日本全土の二倍半であるとするならば、まだ十二倍半の領土が支那に残され、これに相当する人口をもち、これを統轄する力を有する者でなければ、支那の将来を担って立つことは出来ない。新政府はこれだけの力があるのであろうか。私ども如何に贔屓目に見てもこれだけの力があるとは思えない。もし蒋介石を撃滅することが出来ないならば、これはもはや問題にならない。よしこれを撃滅することが出来たとしても、その後はどうなるのか。その新政府において支那を統一する力があるのか。あると言われるならその理由を私は承っておきたい。もしその確信がないとするなら支那の将来はどうなるか。各所において政権が分立して、互いに軋轢を起こして摩擦を起こす。新秩序の建設も何もあったものではない。つまり蒋政権を対手にしては一切の和平工作をやらないと近衛内閣によって声明が出されているが、もし今後もこの方針を固く守って進むなら、公式非公式を問わず、新政権も断じて重慶政府を対手にすることは出来ないはずである。我が日本は重慶政府を対手にはしないが、新政府はこれを対手にしてもよいということはできない。そうすると支那の将来はどうなるのか。政府はこの点についてどういうお考えを持っておられるか、これもあわせて伺いたい。

(建国以来の大事件)

 最後において政府の所信を質しておきたいことかある。支那事変は実に建国以来の大事件である。建国以来二千六百年、我国は幾度か外国と事を構えたことはあるが、今回の事変のごとくその規模の広大なるもの、その犠牲の大なるものはない。したがってこの事変が如何に処理せられ如何に解決せられるかということは、実に我が日本帝国の興廃の岐れるところである。我々は今日に及んで一切の過去を語らない、また過去を語る余裕もない。一切の過去を葬り去ってなるべく速やかに、なるべく有利有効に事変を処理し解決したい。これが全国民の偽りなき希望であると同時に、政府として執らねばならぬ重大な責任である。歴代の政府は国民に向ってしきりに精神運動を始めている。しかし精神運動だけで事一翼の解決は出来ない。例えば国民精神総動員なるものにずいぶん巨額の費用を投じているが、一体これは何をなしているのか、この大事変の目的はどこにあるかということすらまだ国民の問にはよく徹底しておらないようである。聞くところによれば、ある有名な老政治家が演説会場において、聴衆に向って今度の戦争の目的は分らない、何のために戦争をしているのか自分には分らない、諸君は分っているか、分っているならば聴かしてくれと言うたところ、満場の聴衆一人として答える者がなかったというのである。

(国民の犠牲)

 ことに国民精神に極めて重大な関係を持っているもので、歴代の政府が忘れている幾多の事柄がある。例えば戦争に対する国民の犠牲である。いずれの時にも戦時に当って国民の犠牲は、決して公平なものではない。即ち一方においては戦場において生命を犠牲に供する、あるいは戦傷を負う、そうでなくても悪戦苦闘してあらゆる苦難に耐える百万、二百万の軍隊がある。たとえ戦場の外においても、戦時経済の打撃を受けてこれまでの職業を失って社会の裏面に蹴落される者もどれだけあるか分らない。しかるに一方を見ると、この戦時経済の波に乗っていわゆる殷賑産業なるものが勃興する。あるいはインフレーションの影響を受けて一攫千金はおろか、実に莫大な暴利を獲得して目に余る生活を曝け出す者もどれだけあるか分らない。戦時においてはやむを得ないことではあるけれども、政府の局にある者は出来得る限りこの不公平を調節せねばならない。しかるにこの不公平な事実を前におきながら、国民に向って精神運動をやる。国民に向って緊張せよ、忍耐せよと迫る。国民は緊張するに相違ない。忍耐するに相違ない。しかしながら国民に向って犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない。これと同時に政府自身においても真剣になり、真面目になって国事に当らねばならないのではないか。しかるに歴代の政府は何をなしたか。事変以来歴代の政府は何をなしたか。

(責任感の欠如した弱体内閣)

 二年有半の間において三たび内閣が辞職をする。政局の安定すら得られない。こういうことでどうしてこの国難に当ることが出来るのであろうか。畢竟するに政府の首脳部に責任観念が欠けている。身をもって国に尽す熱力が足らないからである。畏れ多くも組閣の大命を拝しながら、立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に対して何らの経験もない。しかもその器にない者を拾い集めて弱体内閣を組織する。国民的支持を欠いているから、何ごとにつけても自己の所信を断行する決心もなければ勇気もない。姑息偸安、一日を弥縫する政治をやる。失敗するのは当り前である。

 こういうことを繰り返している間に事変はますます進んで来る。内外の情勢はいよいよ逼迫して来る。これが現在の状態ではないか。これをどうするか、如何に始末をするか、朝野の政治家が考えねばならぬところはここにある。我々は遡って先輩政治家の跡を追想して見る必要がある。日清戦争はどうであるか、日清戦争は伊藤内閣において始められて伊藤内閣において解決した。日露戦争は桂内閣において始められて桂内閣が解決した。当時日比谷の焼打事件まで起ったけれども、桂公は一身に国家の責任を背負うて、この事変を解決し、しかる後に身を退かれた。伊藤公といい、桂公といい、国に尽す先輩政治家はかくのごときものである。しかるに事変以来の内閣は何であるか。外においては十万の将兵が殖れているにかかわらず、内においてこの事変の始末をつけなければならぬ内閣は、出る内閣も出る内閣も輔弼の重責を誤って辞職をする、内閣は辞職をすれば責任は済むかは知れぬが、事変は解決はしない。護国の英霊は蘇らないのである。私は現内閣が歴代内閣の失政を繰り返すことなかれと要求をしたい。

(従順な国民と官僚政治の弊害)

 事変以来我が国民は実に従順である。言論の圧迫に遭って国民的意思、国民的感情をも披瀝することが出来ない。ことに近年中央地方を通じて、全国に弥漫しているかの官僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々として政府の命令に服従する。政府の統制に服従するのは何のためであるか、一つは国を愛するためである。また一つは政府が適当に事を解決してくれるであろうことを期待しているためである。しかるにもし一朝この期待が裏切られることがあったならば、国民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある。繰り返して申すが、事変処理はあらゆる政治問題を超越する極めて重大な問題である。内外の政治はことごとく支那事変を中心として動いている。現にこの議会に現われて来る予算でも増税でも、その他あらゆる法律案はいずれも直接間接に事変と関係をもたないものはないのである。それ故にその支那事変は如何に処理されるのか、これが分らない間は、議会の審議も進めることが出来ない。私が政府に向って質問する趣旨はここにあるのであり、総理大臣はただ私の質問に答えるばかりではなく、なお進んで積極的に支那事変処理に関する一切の抱負経綸を披瀝して、この議会を通して全国民の理解を求められんことを要求する。私の質問はこれをもって終りとします。

—— 国務大臣:米内光政の返答 ——

支那事変処理に関する帝国の方針は確乎不動のものであります。政府はこの方針に向って邁道せんとするものてあります。戦争と平和に関するご意見は能く拝聴致しました。以下具体的問題についてお答を致します。支那側の新中央政府に関する帝国の態度は如何、こういうご質問であります。汪精衛(兆銘)氏を中心とする新中央政府は、東亜新秩序建設につきまして、帝国政府と同じ考えを持っておりますから、帝国と致しましては、新政府が真に実力あり、かつ国交調整の能力あるものであるということを期待致しまして、その成立発展を極力援助せんとするものであります。その次に新政府樹立後、これと重慶政権との関係は如何というご質問でありまするが、新政府が出来上りまして、差当り重慶政府と対立関係となるということは、やむを得ないものと考えておりますが、重慶政府が翻意解体致しまして新政府の傘下に入ることを期待するものであります。次に国内問題でありますが、政府は東亜新秩序建設の使命を全うせんがために、鞏固な決意のもとに手段を尽して断乎時局の解決を期している次第であります。この興亜の大事案を完成するためには、労務、物資、資金の各方面に亘りまして、戦時体制を強化整備致しまして、国家の総力を挙げて、本問題処理のために総合集中することが肝要てありまして、これがために真に挙国一致、不抜の信念に基づき国民の理解と協力とを得ることが必要であると存ずるのであります。

(汪兆銘はこの後3月に南京国民政府を設立)