出陣学徒壮行会の訓示と答辞

昭和18年(1943)10月21日開催

 文部省学校報国団本部主催、陸海軍省等の後援で、東京の明治神宮外苑競技場で開催された。当日は、秋雨降る中、東京帝国大学を始めとした東京・神奈川・千葉・埼玉の各大学・高校・専門学校以下計77校から召集された学徒兵7万人が集まり、学生たちは学生服に巻脚絆・編上靴に古びた38式歩兵銃の出で立ちでの雨中行進だった。見送る側としての観客席には、都内から集められた女学生と母親たちが中心で、傘も差さずスタンドから学生たちの行進を見守り、あちこちでハンカチで頬を覆う姿も見受けられた。式は学徒の入場行進(行進曲:観兵式分列行進曲「扶桑歌」奏楽:陸軍戸山学校軍楽隊)、宮城(皇居)遙拝、岡部長景文部大臣による開戦詔書の奉読、東條英機首相による訓辞、東京帝国大学文学部学生の江橋慎四郎による答辞、「海行かば」の斉唱、などが行われ、最後に競技場から宮城まで行進して終わった。その様子は2時間半にわたりNHKによる実況中継がなされ、映画「学徒出陣」も製作され、全国に放映された。この日以降、文部省主催の壮行会が全国7都市と満州などで開催された。

 この壮行会後に学生は徴兵検査を受け、学徒兵として陸軍には12月1日に入営、海軍には10日に入団した。その後幹部候補生試験などを受け将校・下士官として短期の訓練を経て、中国大陸や南方戦線、南太平洋などの前線に送られ、戦争終盤には学生たちは特攻隊として編成される場合があり、多くの戦死者を出した。

〈東條内閣総理大臣の訓示〉

 —— ここに明治神宮外苑の聖域において上らんとする学徒諸君の壮容に接し、所感を申し述べる機会を得ましたることは私の最も欣快とする所である。

 かつて藤田東湖先生が正気の歌を賦して、その劈頭に「天地正大の気、粋然として神州に錘まる」と申されたのである。只今諸君の前に立ち親しく相見えて私は神州の正気粛然として今ここに集結せられて居るのを感ずるものである。諸君は胸中深く既に決する所あり、腕を撫して国難に赴き烈々たる気魄まさに旺なるものがあるのは私は諸君の輝く眸に十分御察しすることが出来るのである。

 若き諸君は今日まで皇国未曾有の一大試練期に直面しながら、なおいまだ学窓に止まり、鬱勃たる報国挺身の決意躍動して抑え難きものがあったことと在ずるのである。しかるに今や皇国三千年来の国運の決する極めて重大なる時局に直面し、緊迫せる内外の情勢は、一日半日を忽(ゆるが)せにすることを許さないのである。

 一億同胞が悉く戦闘配置につき、従来の行掛りを捨て、身を呈して各々その全力を尽くし、以て国難を克服すべき総力決戦の時期が正に到来したのである。御国の若人たる諸君が勇躍学窓より、征途に就き、祖先の遺風を昂揚し仇なす敵を撃滅しで皇運を扶翼し奉る日は来たのである。

 大東亜十億の民を、道義に基づいてその本然の姿に復帰しめるために壮途に上るの日は来たのである。私はここに衷心よりその門出を御祝い申し上げる次第である。素よリ敵米英においても、諸君と同じく幾多の若い学徒が戦場に立っているのである。 

 諸君は彼等と戦場に相対し、気魄においても戦闘力においても必ず彼等を圧倒すべきことを私は信じて疑わざるものである。申すまでもなく、諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新なる血潮総てこれ、御国の大御宝(おおみたから=天皇の臣民)なのである。ここの一切を大君の御為に捧げ奉るは皇国に生を享けたる諸君の進むべきただ一つの途である。諸君が悠久の大義に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳なる所以は、実にここに存するのである。

 諸君の光栄なる今日の門出に接し、我々の祖先が我が子の初陣に当たり、一家一門揃って祝い送ったのと同様の心持をもって、我々一億同胞は心から敬意と感謝とをもって諸君の壮途を祝い奉らんとするものである。

 願わくば青年学徒諸君、私は諸君が昭和の御代における青年学徒の不抜なる意気と必勝の信念とをもって護国の重責を全うし、後世に永く日本の光輝ある伝統を残されんことを諸君に期待し、かつこれを確信するものである。而して我我諸君の先輩も、亦諸君と共に一切を捧げて皇国興隆の礎石たらんことを深く心に期しているものである。

 必ずや其の責任を全うせられんことを、切に祈念して、諸君に対する私の壮行の辞と致す次第である。

〈出陣学徒代表の答辞〉

 ——学徒出陣壮行会における答辞

 明治神宮外苑は学徒が多年武を練り、技を競い、皇国学徒の志気を発揚し来れる聖域なり。本日、この思い出多き地に於て、近く入隊の栄を担い、戦線に赴くべき生等(せいら)の為、斯くも厳粛盛大なる壮行会を開催せられ、内閣総理大臣閣下、文部大臣閣下よりは、懇切なる御訓示を忝(かたじけな)くし、在学学徒代表より熱誠溢るる壮行の辞を恵与せられたるは、誠に無上の光栄にして、生等の面目、これに過ぐる事なく、衷心感激措く能わざるところなり。

 惟(おも)うに大東亜戦争宣せられてより、是に二星霜、大御稜威(おおみいつ:天皇のご威光)の下、皇軍将士の善謀勇戦は、よく宿敵米英の勢力を東亜の天地より撃攘払拭し、その東亜侵略の拠点は悉く、我が手中に帰し、大東亜共栄圏の建設はこの確乎として磐石の如き基礎の上に着々として進捗せり。

 然れども、暴虐飽くなき敵米英は今やその厖大なる物資と生産力とを擁し、あらゆる科学力を動員し、我に対して必死の反抗を試み、決戦相次ぐ戦局の様相は、日を追って熾烈の度を加え、事態益々重大なるものあり。時なる哉、学徒出陣の勅令公布せらる。予ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外にのみ迸しめ得たりし生等は、是に優渥なる聖旨を奉体して、勇躍軍務に従うを得るに至れるなり。豈(あ)に感奮興起せざらんや。生等今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて、悉くこの光栄ある重任に獻げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。

 生等もとより生還を期せず。在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟(しんきん:天皇の寝所)を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。斯くの如きは皇国学徒の本願とするところ、生等の断じて行する信条なり。生等謹んで宣戦の大詔を奉戴し、益々必勝の信念に透徹し、愈々不撓不屈の闘魂を磨礪(まれい)し、強靭なる体躯を堅持して、決戦場裡に挺身し、誓って皇恩の万一に報い奉り、必ず各位の御期待に背かざらんとす。決意の一端を開陳し、以て答辞となす。

  昭和十八年十月二十一日

 注:答辞は東京大学文学部の江橋慎四郎。この内容は教授の添削を受けたものという。江橋自身は戦争の前線に立たなかったため生き残り、「答辞は我が身にとっては名誉なこと。だが戦没者のことを思えば何も言えない」と、戦後ずっと黙していた。壮行会から満70年となる2013年には毎日新聞において「僕だって生き残ろうとしたわけじゃない。でも『生還を期せず』なんて言いながら死ななかった人間は、黙り込む以外ないじゃないか」とインタビューに答え、戦後に事実と異なる噂やデマによる中傷にも反論しなかったことを明かしている。

〈東條内閣総理大臣の唱和〉

 —— 諸君のめでたき征途にのぼれるところの第一歩にあたります。諸君とともに聖寿の万歳を心の底から三唱いたしたいと思います。天皇陛下、万歳、万歳、万歳。万歳、万歳、万歳。