昭和14年(1939年)

書き方と使用する記号について

 この爆撃記録は、主語に当たる「日本軍の飛行機(日本機)」をほぼ省略しているので、内容により判断していただきたい。

 *は日本軍が行なった爆撃、△は日本軍の爆撃以外の動きその他、〇は政治的動きその他、◎は国際関係、▽は中国側(米軍機を含む)の日本軍への攻撃などの場合である。

 この年あたりから海軍と陸軍の航空隊は、特に重慶などの重点地区には共同して爆撃を行うようになった。ただ基本的には陸軍航空隊は地上部隊の進撃の支援、海軍航空隊は戦略爆撃として動いたが、海軍が地上部隊に協力した例は少なくない。相対的に海軍の戦略爆撃のほうが、市街地に対する無差別爆撃をより多く行なっている、というより戦略爆撃は基本的に無差別爆撃である。なお、前年より陸海軍航空隊は「海の荒鷲」「陸の荒鷲」と名付けられてその活躍が日本で報道されるようになり、日本側の記録はそれによる部分が多い。

日中戦争突入から8年間展開された想像を絶する空爆(続き)

昭和14年(1939年)

1月

*1939年1月1日:陝西省の延安を7機が爆撃、城東門に20数発の爆弾を投下した。

*同日:10機余りで陝甘寧河の防衛陣地を爆撃。

*1月2日:江蘇省連雲港市南雲台山東麓、同市中正街を爆撃。

*同日:26機で南昌飛行場爆撃、大型一機爆破、戦闘機6機と空中戦で撃墜一機。

〇 1月2日、アメリカ政府は日本政府に「東アジア(東亜)新秩序」を認めない旨の覚書を発表。

*1月3日:数機が湖北省黄岡市の道観河、新集、徐古、沙河などに小型爆弾10発余りを投下し、民家20棟余りを破壊した。

*1月4日:「漢口を35機で空襲、中国空軍10数機と交戦し、4機撃墜、地上の20機を爆破、17機を炎上」と『海軍の日中戦争』にあるが、すでに武漢三鎮(武昌・漢陽・漢口)は前年10/26に占領されていて、これは前年の別の日の記述ミスだと思われる。

*1月6日:河南省信陽市の商城を爆撃。

*1月7日:武漢・漢口の基地から31機の重爆撃機が出撃、雲で覆われるなか16機が重慶の金仏山あたりを爆撃した。さらに長江に沿って街や港への推測爆撃をおこなった。爆弾は巴県土主場・青木関・魚界灘・璧山蒲元郷などに44発を投下し(この中には500kg爆弾もあった)、死者は4人、負傷者は7人、家屋13軒を損壊と、推測爆撃のためか「市街の軍事施設に猛爆を加えた」との記録に対し、被害は少なかった。

*1月8日:湖南省衡(こう)陽を奇襲、飛行場や軍事施設を爆撃。

*同日:午前9時半、日本機1機が西北から飛来、陝西省楡林市府谷県城西関に爆弾3発を投下、一名死亡。

*1月8−10日:広東省江門市の新会駅で貨車軍を爆撃、また銀州湖で船舶一隻を銃撃した。また広東省香山県(現・中山市)にある工場一棟を爆破、広東省清遠市の青蓮江で軍用貨物船を攻撃、広西省北海市の湾に集まる小型軍用艇を爆破、広州市花県の倉庫群を爆破した。

*1月9日:湖南省衡陽の軍事施設を奇襲爆撃した。また山東省煙台市登州を爆撃。

*1月10日:30機が二回に分けて重慶の市街地東部を(曇天のため)推測爆撃、江北区鹿角場、巴県土主場、双河壩、馬家岩等に爆弾53発を投下、17人が死亡、38人負傷、家屋103軒が損壊。

*同日:四川省の瀘州(瀘県)に11機が出撃(11日に3機ともある)、双河場・土主場などの郊外、また巴中市も爆撃し数百人の死傷者と多大な損害をもたらした。

*同日:陝西省宝鶏市馬家店を爆撃。

*同日:雲南省曲靖市の新海駅、広東省江門市五邑の銀洲湖・茂名市化県(化州)、広西省北海・南寧・呉州を爆撃。

*同日:安徽省池州市梅村、同省南部を流れる青輦(よく)江、広東省香山県(現・中山市)を爆撃。

▽ 同日:中国空軍は日本軍が占領する広東省虎門を爆撃、その高射砲陣地を破壊し、珠江口に停泊した日艦2隻を破壊した。

*1939年1月11日:18機が広西省桂林の駅や倉庫群、工場や軍事施設に爆弾100発以上を投下し、住民8人が死亡し、50人余りが負傷した。

*同日:広西省吉安市の飛行場を爆撃、またその南方の河川に停泊していた船艇約150隻を爆撃、一部を炎爆させた。

*同日:払暁、湖南省芷江の飛行場を奇襲、20数機の爆撃・戦闘機のうち過半数を爆砕。

*同日:江西省南昌の南方にある塘運駅の倉庫と貨車40両を爆撃した。

*1月12日:桂林の停車場構内の諸施設、貨車、高射砲陣地を爆撃した。

*同日:湖南省の衡陽と株州を27機が爆撃し、衡陽市は記録では飛行場とあるが実際には市街地であって、市民200人以上が死傷した。また株洲市の駅に停車する貨車数十両、運行中の二列車および近くの兵営を爆破した。なお株洲は南北東西の鉄道の幹線が交差する中国南部の鉄道網の中枢であった。

*同日:広東省の河源市連平、韶関市の翁源の要衝を、別途清遠市、肇(ちょう)慶市四会の軍事施設を爆撃した。

*同日:広西省鬱林(現・玉林市)の兵営、広東省香山県を爆撃。

*1月13日:広東省韶州(韶関)の軍事施設、北江河岸の船艇を爆撃、施設の三箇所から大火災が起こる。また清遠市英徳の南北の中国軍に砲弾の雨を降らせた。別途、広東省香山県を偵察爆撃。

*同日:午前10時、爆撃機10機が東南方向から飛来、陝西省楡林市府谷県哈拉寨に爆弾50発を投下して5人を爆殺、3人が負傷、民家85棟が破壊された。

*1月14日:広東省の肇慶を爆撃、数カ所に大火災を起こした。また広州花県東方の軍陣地を爆撃した。

*同日:四川省の揚子江岸の要衝万県(現・重慶の市区)を6機が爆撃、爆弾31発、死者70人、負傷92人、家屋損壊103。この中で二馬街の鲁班廟内にある小学校で、周校長が生徒に演劇の稽古を指導していたが、1発の爆弾が直撃し校長と10数人の生徒が全員爆死した。校長も生徒たちも四肢が飛び散り、遺体を識別することすらできなかった。

*同日:河南省信陽市の商城に集結中の大部隊および軍事施設に約100発を投弾、大火災が起きた。

【アメリカの対日輸出禁止】

〇 アメリカは対日航空機及び一部の資材輸出禁止を発表した。

*1月15日:36機が重慶市街を4回目の爆撃、69発の爆弾を投下し、119名を爆殺し、166名を負傷させ、建物の全壊38世帯、54戸、木造船9隻が破壊された。市街地の三門洞街・国府路・曽家岩・学田湾・中四路その他が爆破された。なお中国軍の迎撃に遭い、天候不順と合わせて所期の目的を達成できなかった。この四度の爆撃で日本は4機を撃墜したが5機を失い、残りの多くも被弾した。日本軍は1月下旬に爆撃を中断し、装備を補強して長距離飛行訓練を強化し、大規模な集中爆撃を行うことにした。

*同日:陝西省の華県東方の中国軍陣地を爆撃。

*同日:広州市花県の中国軍陣地を爆撃したが、一機が被弾、そのまま中国軍に突入して自爆した。

*同日:陝西省渭南市潼関の中国防衛軍を空爆。

*同日:河南省の要衝南陽市の飛行場を爆撃して破壊、その他周囲の倉庫群を猛爆した。

*同日:広西省貴港市貴県を襲撃、停車場の機関車2、貨車5両を破壊、大型トラック数台を炎焼させた。

*同日:広東省茂名市電白港を爆撃。

*1月16日:重爆撃機18機の編隊が重慶上空に飛来、58発の爆弾を投下し、300人以上が死傷し、20棟以上の家屋を破壊した。メソジスト教会が運営する淑徳女子中学校が最も被害を受けた。

*同日:広西省欽州(欽県)の軍用施設を爆撃した。

*同日:河南省澠池と陝西省潼関を結ぶ隴海(ろうかい)線の駅と主要陣地を爆撃、また河北省保定市の小里鎮などの鉄道部楽や主要陣地を爆撃。

*同日:広西省北海湾に繋留している小型運搬船の一群を爆破。

*1月17日:貴州省の貴陽市に出撃、停車場の大型貨物や工場や自動車などを爆撃した。

*同日:広西省貴県を襲撃、荷揚げ中の大型貨物船群を爆撃、大破させ、対岸の軍事拠点の工場、電信所、路上の自動車群を爆撃した。

*1月18日:広西省欽州を再爆撃、市庁舎や軍事施設、江上の軍用貨物や江岸の倉庫群を爆破した。

*同日:陝西省西安を30機以上が軍事拠点その他を爆撃し、大火災が起こり、200人以上が死傷、家屋300以上が破壊された。

*同日:広東省陽江市を爆撃。

*1月19日:陝西省宝鶏を11機が爆撃し、58発の爆弾を投下し、147人が死傷した。

*同日:広東省河源市和平県の3つの町を爆撃し、45人が死傷し、159棟を破壊した。

*同日:湖南省の株州駅とその北方の湘潭市易家湾駅を襲撃、交通機関、工場や倉庫、運搬船を破壊し大損害を与えた。

*同日:広西省貴県の工場、電信所、運搬船、倉庫群等を爆撃した。

△ 19日、日大本営は海南島攻略の指令を出した。

*1月20日:河南省隴海線の三門峡市澠(べん)池や洛陽市新安の停車場や陣地を爆撃。また湖南省株洲市杉板舗駅を爆撃。

*同日:河南省南陽の飛行場を完全に破壊した。

*同日:広西省鬱林と北海の兵営群を「猛爆し多大な戦果を収めた」。

*同日:一機が陝西省楡林市府谷県哈拉寨を爆撃、爆弾数発を投下し、爆死2人、負傷者3人を出した。

*同日:湖南省株洲市醴陵の陽三石と板杉鋪駅を6機が爆撃、12発の爆弾を投下し、8人が死亡、民家十数棟その他の施設、工場を爆破。

*同日: 午前11時頃、2機の日本機が江蘇省連雲港市灌雲県連雲の大伊山上空を旋回、街中の人たちが大騒ぎになったところに急降下機銃掃射を繰り返し行った。東后街の魚市場や中大街の農民銀行や街の北端にある郵政局に次々と数発の爆弾を投下した。すぐに街には血肉が飛び散り、大通りは一面火の悔になり、壁は倒れ、家は崩れ落ちた。職人や商人、一般市民や野菜売りの農民たち、合わせて35人が死傷した。

*同日:陜西省延安城内の大街と西山、南部の洛川を爆撃。

*1月某日:陜西省固林県を陸と空から攻撃、国境の黄河の渡口である馬頭関と冷水岸に強渡攻撃を敢行し、毒ガス弾10発余りを投下。

*1月某日:3機が広東省仏山市高明県阮埇村を爆撃、1人を爆殺、家屋3軒破壊。

〇 大本営は20日、盧溝橋事件以来、計1010機の航空機が損失したと発表した。

【新首相の所信表明】

〇 1月21日:近衛前首相から引き継いだ平沼新首相の議会の所信表明である。

 「まず東亜の新秩序建設を基本精神とし、支那側においてもよくこの帝国の大精神を了解し、いささかの疑念も誤解も持つことなく速やかにこれに協力するのでなければ東亜の新秩序建設はならぬ。あくまでこれを理解せず抗日を継続するものに対しては断固としてこれを壊滅するのみである」(同日の朝日新聞号外)とした。

 筆者私見:(これは近衛前首相の踏襲であるが)他国を侵略しているが、それはアジアの新秩序建設のためであって、これを理解し従わないものは「膺懲」(ようちょう=打ち懲らしめる)するということで、自分たちが絶対正義の感覚でしかない。ちなみに平沼首相は検事総長まで務めた堅物で(つまり思考の柔軟性がないということ)、太平洋戦争敗戦後、A級戦犯として終身禁錮刑となった。1978年に靖国神社に合祀されたが、戦死ではない政治家たち、つまり戦争を推進し多数の国民(だけでなく戦争相手の海外の人々)を数えきれないほどに死に追いやってその自覚もない連中を「英霊」として靖国神社が祀るのは歪んでいると言わざるを得ない。

*1939年1月21日:広東省汕頭・潮州・陽江、広西省の東興・電白港など広範囲にわたり爆撃、列車や江上の船艇、路上の自動車群を爆破した。

*同日:陝西省延安の共産党軍の拠点を空爆、「徹底的に粉砕した」。

*1月22日:陝西省の渭南市街地を爆撃。

*同日:安徽省馬鞍山を爆撃。

*1月23日:(「完全に破壊した」はずの)河南省南陽の飛行場を爆撃、「敵軍施設を完膚なきまで破壊した」。

*1月23−24日:河南省洛陽を爆撃し、停車場や商業の中心街を蹂躙した。(これについては日本の新聞では「市街の軍事施設」となっているが、本来、市街地には軍事施設はほとんどなく、しかし建前上軍の発表は、市街地でも常に軍事関係への爆撃となる)

*1月24日:広西省貴県を爆撃。

*同日:河南省信陽市の商城を爆撃。

*1月25日:広東省江門市新会の河川で輸送船2隻を爆撃、大破させた。

*同日:河南省信陽市の商城・南門外で3機がびらん性ガス弾10弾余りを投下。

*同日:雲南省曲靖市新海上流を爆撃。

*同日:河北省滄州市粛寧県城西の劉屯村で八路軍に待ち伏せ攻撃を受け、八路軍は北へ向かって傅佐村に撤退し、日本軍が村に着いた時には八路軍の姿はなかった。そこで日本軍は傅佐村民に対して機関銃、迫撃砲、平射砲で逃げてきた村人に一斉射撃を行い、さらに飛行機による空爆も行った。村の内外には死体が散乱し見るに耐えなかった。午後4時、日本軍は傳佐村から撤退したが、村民40人以上が殺害され、村の全て家畜も略奪された。(『侵華日軍暴行総録』)

*1月26日:広東省肇慶市高要区禄歩の河川で中国軍慶雲型測量艦を爆撃、撃沈させた。

*同日:陜西省渭南市の朝邑、隴海線の華陰を「猛爆して大打撃を与えた」。

*1月27日:広東省江門市新会の河川で大型貨物船数隻を攻撃し、多大な損害を与えた。

*同日:山西省運城地区へ侵攻している地上部隊への支援で爆撃に参加した。

*1月28日:広東省江門市付近に駐留する軍用船艇群と貨物船数隻を爆撃し、軍需物資を焼失、飛散させた。

*1月28、30日:28日午前、日本機1機が山西省臨汾市汾西県城上空を偵察した後、午後再来、4発の爆弾を投下、1人が負傷。30日、日本軍は9機で県城を2度にわたり空爆、40発以上の爆弾を投下し5人が爆死し、文化的建築物も爆破され、民家40数軒が破壊された。その後日本軍は市街に入って住民4人を惨殺し、商店街に火をつけた。2月7日、日本軍2000人以上が県城を占拠し、占領期間は前後6年7ヶ月に及んだ。

◎ 1月28日、国際反侵略運動代表大会がロンドンで開かれた。

*1月29日:広東省の清遠、四会、肇慶方面に移動中の約二千の中国軍を爆撃し、大混乱させた。

*同日:広西省欽県(欽州)の中国軍陣地を爆撃。

*1月30日:前日に続き、広東省江門市の鶴山、および宅梧付近を移動中の中国軍部隊を急襲、さらに肇慶西北付近の大隊を襲撃して「徹底的に爆撃した」。

*同日:広西省南寧、広東省陽江江岸を爆撃。

*1月31日:広西省南寧、広東省西江の肇慶を空爆、軍事施設などを破壊した。

*同日:江西省浙贛墩・宜春市樟樹鎮駅、港浦塘市駅等の浙贛鉄道を爆撃。別途、広東省韶関も爆撃。

2月

*1939年2月1日:河南省の温県を2度にわたり空襲し、「敵の軍事施設を徹底的に粉砕した」。

*同日:鄭州に飛び、投降勧告ビラ三万枚を散布した後、地上部隊の支援のため、京漢鉄橋付近の「敵に大打撃を与えた」。

*同日:浙江、江西両省にわたる浙贛鉄道線路を各所において爆撃して寸断し、貨物列車、倉庫、鉄橋などを破壊した。

*2月2日:前日に続き、江西省南昌の浙贛線路数カ所と貨車、駅舎等を爆破、また湖南省懐化市璜渓子駅を爆撃。

*同日:河南省北部の武渉を爆撃した。

*同日:広東省茂名市電白港、広西省の西江・潭江の江上の陣地、艦船等を爆撃。

*同日:3機が福建省莆田県三江口を爆撃、1人が爆死、2棟の民家が破壊された。

【「偉大な成功例」としての貴陽爆撃】

*2月4日:正午頃、日本軍の大型爆撃機18機が3編隊で貴陽城(貴州省の省都)に三方向から侵入、(ちょうど民教館広場で数千人の群衆を集めて防空知識の講習が行われていた折に)市街区域に爆撃を行い、90発の爆弾と39発の焼夷弾を投下。日本軍が爆撃目標とした中心部の繁華街の百貨店を含む多くの店舗、銀行、レストラン、劇場、ホテルが一瞬の内に破壊され、また復旦女学校は最も爆撃を受け、42の街のいたるところに死体の血と肉がまき散らされ、店の看板に首が引っ掛かったり、手足が屋根に吹き飛ばされたりして、見るに耐えなかった。市の中心部は火の海になり、炎は数日間燃え続け街は完全に破壊された。大十字警察の交番が被爆、深さ17、8m、幅12、3mの大穴があき、3人の警察官が死亡した。死者488人、重傷735人、軽傷数は数えきれず(死者597人、重軽傷1526人でその半数が重傷とも)、破壊された家屋1326軒、財産損失は3380万元以上にのぼった。

 この日に関する日本の報道は、偉大な成功例として「市内重要軍施設、県政府その他の官舎多数を爆撃し数カ所に大火災を生じさせ、これに大損害を与えた」とあり、実際の地上の出来事とは大違いで、想像できる範囲ではない。つまり空から爆撃する側の視線と、爆撃を受ける側の実態には文字通り天地の差がある。またこの後も含めて貴陽は13回爆撃された。

*同日:四川省万県を爆撃、「軍事重要施設や飛行場を破壊」と日本軍の記録にあるが、実際には18機の日本軍機が2度に渡って万県に飛来し、街の40カ所以上に131発の爆弾を投下した。万県の長江沿岸の賑やかな町村の被害が最も多く土橋子の沈百権一家7人は全員が爆死し、隣家の方餅子一家5人の内4人が爆死、残された3歳の娘も被爆して障害が残った。死者は278人、負傷者は57人、家屋は246間が破壊された。

*2月4−5日:浙江省杭州市臨安県城、青山、横畈鎮などを爆撃、爆弾68発を投下、8人を爆死、5人を負傷させ、家屋16軒を爆破。

*2月5日:広東省清遠市連県(連州)を爆撃、また広東省韶州の軍事施設を破壊した。

*同日:浙江省杭州の銭塘江南岸の復旧工事中の飛行場、建設中の格納庫を襲い「木っ端微塵に粉砕した」。

*同日:浙江省寧波にある浙贛鉄道線の三江口駅を空爆、運用中の列車を爆破した。このほか、江西省南昌の袁州と姚家鎮の浙贛線で貨車を転覆させ、醴陵駅の線路、貨車、構内建物を爆撃した。さらに浙贛鉄道上の江西省宜春市樟樹鎮・撫州市東郷駅を爆撃。

*同日:湖北省宜昌市当陽市、広西省貴港市貴県、河池市宜山を爆撃。

*同日:6機が湖南省株洲市陽三石、醴陵の浦口及び姚家壩を爆撃、34発の爆弾を投下、6人が爆死、10数人が負傷。

▽ 2月5日:中国空軍は山西省運城市の日本軍飛行場を爆撃し、日本機40機余りを破壊した。

*2月6日:河南省洛陽を爆撃。(以下しばらくは占領した山西省運城の飛行場から陸軍飛行隊は爆撃を続けた)

*同日:18機が二回に分かれて四川州万県を爆撃、爆弾99発で235人死亡、150人負傷、家屋155軒が破壊。

*2月7日:広西省の欽州、廉州から北海までの路上や江上の中国軍兵や馬車、船艇などを爆撃した。

*2月8日:広西省北海市の砲台や軍事施設、欽州城内の兵舎、廉州の市街、崇左市龍州を爆撃し、各地に火災を起こした。

*同日:陝西省渭南市潼関を爆撃。

*2月9日:11機が甘粛省平涼県を爆撃。爆弾73発で死者126人、負傷者51人、家屋156軒が破壊され、家畜100頭余りが殺された。さらに9機が固原城郊外地区を爆撃、爆弾24発。

*2月10日:日本陸軍は海南島(省)上陸を開始、海軍は共同作戦として航空部隊を出撃させ、海口、瓊(けい)州、秀英砲台、南波江を爆撃、「大打撃を与えた」。また、海口東方飛行場近くにある演豊墟の陣地を爆撃。(この後海南島は6年半にわたり日本海軍に占領される)

*同日:陝西省楡林市府谷県の哈鎮にある中国軍陣地を爆撃。

*2月11日:(前日は陸軍航空隊だが)海軍航空隊は海南島の南渡江を遡行する海軍部隊を支援、また海口湾三角州地帯の中国軍陣地砲台を爆撃、また海南島東岸の文昌市、瓊海市、三江、塔市、清瀾などの中国軍陣地を爆撃した。(こののち海口は海軍飛行隊の基地となり、また海南島全体を海軍が支配する)

*2月12日:54機の大編隊が中国空軍の基地のある甘粛省蘭州の市内外の施設を爆撃、これに続いて約20機の編隊が蘭州の東飛行場一帯に出撃し、中国とソ連空軍志願隊戦闘機の迎撃で空中戦を制しつつ(11機を撃墜=中国側は日本の7機を撃墜)、飛行場の中国軍爆撃機約10機を破壊した。続いて別の編隊が空中戦を行い、7機を撃墜した。地上での死者4人、負傷3人。

*同日:甘粛省蘭州の東北にある白銀市靖遠を爆撃、死者3人、負傷30人。靖遠では44弾が投下され、機銃掃射も行われ、師範学校の教師の宿舎が爆撃された。(この時の靖遠は先発の編隊が蘭州と間違えて爆撃したとされる)

*同日: 福建省市漳州市 竜渓県(現・竜海県)に3度、石碼上空に飛来。1度目の4機は午前11時20分に旋回して低空を偵察、機銃掃射。2度目の4機は、正午15分に侵入し、晏海路に4発の爆弾を投下、民家数棟を破壊。救助隊が瓦礫の中から17の遺体を掘り出したが、いずれも人間の形がなかった。3度目の4機は、午後1時25分に襲来、錦江道の水面に停泊していた船群に向かって急降下機銃掃射と爆弾7発(3発の焼夷弾を含む)を投下、塩運搬船と柑橘を積んだ五帆船各3隻を爆撃し、船民12人を死傷させた。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*同日:広西省の北海・廉州を爆撃。

*2月12−13日:海南島北部要地澄邁県や対岸の半島の湛江市雷州の要地を爆撃。

【突然絶たれた日常と命】

*2月13日:午前8時頃、関東軍は占領下の牡丹江海浪飛行場から航空機3機を黒竜江省牡丹江対岸の南嶺村に出撃、爆弾を1発ずつ投下した。そのうちの1発は劉鳳岐家の3棟に命中、3歳の女の子と料理をしていた劉の母はその場で爆死、隣家の6人も爆死した。結婚2カ月目の張志超と劉殿喜は、干し草置場内で草を刈っていて、2発目の爆弾で死んだ。3機目の爆弾が路上に投下され、4人の学生、林正均の弟、曹徳純の2男、何崇吉の一人息子、趙永仁の弟が死亡した。この時、干溝子村から牡丹江に来ていた露天商2人など合わせて24人が死亡し、多くの人が重軽傷を負った。 (『侵華日軍暴行総録』)

同日:6機が安徽省南部から侵入し、浙江省孝豊県城を爆撃し、家屋30棟余りを破壊し、70人余りの死傷者を出した。

*同日:陝西省西安の中国軍陣地を爆撃。別途、四川省瀘(ろ)州を爆撃。

*同日:河北省衡水市の阜城に集結している中国軍を2度爆撃。

【「領土的野心はない」という虚言】

〇 日本軍の海南島=海南省への侵攻に対して、当時海南島を勢力範囲としていたフランスは厳重に抗議したが、2月13日に有田八郎外務大臣は「領土的野心はない」と回答した。しかし14日に海軍の陸戦隊は海南島の三亜、楡林を占領し、3月30日になると海南島と新南洋群島としての領土宣言を一方的に発表した。日本軍の常套手段である。その後海南島は海軍の領土のようになり、ほぼ7年間、陸軍に劣らない暴虐行為が展開される。

*2月14日:陜西省延安の軍官学校と市街地を爆撃した。

*同日:海軍の陸戦隊も海南島の三亜湾に奇襲上陸、飛行隊は海南島の文昌、瓊東県、文教鎮、万寧、陵水、新村などを低空飛行で爆撃と機銃掃射を加えて上陸を援護し中国側(島民)に「大打撃を与えた」。

*2月15日:江蘇省連雲港市の海州を爆撃、中国軍の司令部や兵器・火薬庫を爆破した。

*同日:18機が浙江省温州市宜山鎮を爆撃、浙江大学の校舎に落ちた爆弾だけでも100数発あり、10数軒の家屋が破壊され、日本軍侵入後、100数名の学生の衣類・物資が略奪された。

*同日:海南島全島を日本軍の翼下に収め、多数のビラを飛行機から散布、「皇軍の恩威を島民に周知せしめる」。

△ 海軍の強い要求により、1/13の御前会議で海南島攻略を決定。2/10から決行し、14日には作戦完了、島の南北岸の要地(要港)、三亜、海口を制圧した。南岸の三亜は対華南地区への航空基地としての価値は大きいものがあった。

*同日:山東省煙台市登州付近の中国軍兵舎を日本の青島航空部隊が爆撃、大損害を与える。

*同日:河南省南陽、広西桂林市屏風山を爆撃。

*2月16日:浙江省金華市の浙贛線の金華駅を爆撃、構内建物を破壊し、鉄路を寸断した。

*同日:広東省仏山市高明県富湾に爆弾2発を投下、1人が負傷。この他高明県では同じ2月に(日付不明)5度爆撃があり、まず3機が西頭、阮埇、鰲(がん)囲村を爆撃。西頭村で死者2人、家屋3軒を破壊、鰲囲村の高楼2棟を破壊。次に9機が清泰村を爆撃、10数発を投下、爆死2人、負傷数人、祠堂1棟、民家数軒を破壊。さらに海口村を爆撃、家屋2軒を爆破、10機が三洲圩を爆撃、店舗23軒を爆破、最後に城東門及び謝家祠一帯を爆撃、4人が爆死した。

*2月17日:広東省雷州半島の中国軍兵営、塹壕を爆撃。

*2月18日:河南省中部で交戦する地上部隊を支援して爆撃を行った。

*同日:午前10時45分、3機が延安に飛来、西山および城郊外付近に15発の爆弾を投下し、抗日軍政大学および市街地を爆撃した。

*2月19日:湖南省長沙を襲撃するが、中国空軍に8機撃墜された。

*同日:広九路の深圳を爆撃、さらに英国軍兵営を爆撃し、9人が死亡した。

*2月20日:30機が3回に分けて甘粛省蘭州を爆撃、東飛行場に50kg爆弾を198発投下したが、迎撃戦で日本は9機を撃墜され、日本人飛行将兵13名が戦死した(一方で国内の報道では中国軍機36機を撃墜とあるのみ)。その他、同省西飛行場・西固城・蘭州市街にも投弾、市民25人が爆死し17人が負傷、家屋約100軒が破壊。

*同日:宜昌飛行場を偵察攻撃、滑走路を爆破。

*同日:浙江省杭州蘭渓県の王家埠頭の上首三拱橋が爆破され、橋の下に隠れていた住民20人余りが爆死した。抗日戦争期間中、日本機は蘭渓県を45回爆撃し、家屋5200棟を爆破した。そのうち校舎514棟、病院の145棟が含まれている。日本軍による「掃討」は22回、全県35の郷に及び、毒物を59回(井戸に毒を入れるなど)投下した。掃討中に330人が惨殺され、400人余りの女性が強姦・輪姦され、20900軒の家屋が焼失した。

*2月21日早朝、9機が湖北省宜昌に襲来、その後も周回しながら何度も爆撃し、大東門正街、環城東路、新街、献福路、北正街一帯と県府路の大勢の家屋と万寿宮と晴川書院などが爆破されて死傷1000人余り、600以上の家屋を破壊した。500kg爆弾が4個投下され、その一つの爆弾が廖家台の曹家の裏庭にあった防空壕に当たり崩壊して40人以上が死亡した。

*同日:午前8時過ぎ、9機が湖北省襄陽を爆撃し、100発余りの爆弾が襄陽市街中心部に落ち、家屋100軒余りを破壊し、数十人の死傷者を出した。襄城の中山巷の前にある大木には、吹き飛ばされた血まみれの人間の足が二本ぶらさがっていた。

*同日:陝西省渭南市潼関の南北街・頭層山・二層山・第一巷などを爆撃し、民家46棟を爆破し、市民3人が死亡、50人以上が重軽傷を負った。

*同日:広東省の深圳市街地と停車場が爆撃され、死傷者120数人。また英国が管理する羅湖駅が爆破され、数人が死亡、列車一両と線路や路盤が破壊、放送局も被弾、駅は英国旗を掲げていたが無視されていて、駐日英大使館は猛抗議した(国内の報道では「誤って爆弾1発を投下、機関車に命中、軍は英国側に遺憾の意を表した」とある)。

*同日:浙江省諸曁(しょき)市の内外と浙贛線の駅を爆撃、線路を寸断し、「市中軍事施設に大損害を与えた」(この中で多くの市民に死傷者が出ていることは、これまでの例で大いに考えられる)。

*同日:山東省濰坊市諸城南方の中国部隊を青島航空部隊が爆撃。

*同日:湖南省岳陽市平江北方・長沙市長湖、江西省鄱陽湖北部、浙江省金華市大窰(よう)、湖北省宜昌・荊門、河南省南陽を爆撃。(航空部隊はこれら各地の中国軍拠点、軍事施設、軍用船艇群を爆破、大損害を与える)

*2月22日:35機が甘粛省平涼県を三度にわたって空襲、33発の爆弾を投下し、城内及び関東地区で死者9人、負傷者2人、家屋140軒を破壊した。

*同日:陝西省宝鶏、延安を爆撃。

*同日:湖北省の襄陽、荊門を狂撃した。

*同日:浙江省鎮海の砲台、台州市臨海の「軍事施設および多量の軍需品を爆撃し、多大な損失を与えた」。(中国側の記録:5機の日本機が臨海城を爆撃し、5人が死亡、数十人が負傷、数十軒の家屋が破壊された)

*同日:広東省肇慶市高要県金利の珠岡、都播、矮岭などの村一帯は、西江の対岸の三水、南海に進駐した日本軍から重砲撃を受けていた。この日は中国正月の4日で街は賑わっていた。そこに日本機が爆弾5発を投下、奸中正街德と茶楼門前に落ちた。その後引き返し、低空で人々を狙って機銃掃射した。爆弾の一つが平行に近い斜めに落ち、弾の破片が四方に飛び散り茶楼を直撃、二階にいた約60人が死傷した。そのうちの30余名は、見分けがつかないほどの爆死体になっていた。警察と救急隊が駆けつけ、遺体をすべて広場に移し、遺族の引き取りを待った。

*2月23日:20数機により甘粛省蘭州の市街地に100kgと250kg爆弾58発を投下、10ほどの街路一帯が爆撃を受けた。この日の攻撃によって、唐代の建築である普照寺が被爆し、経典6358巻が焼失した。26人が死亡、家屋780軒が破壊。また12、20日とこの日で、合わせて81機が5回に分けて蘭州を攻撃し、258発の爆弾を投下し、市民33人を殺害し、46人を負傷させ、家屋948戸を破壊した(日本の報道では「飛行場と市街の軍事施設を爆撃した」とあるだけである)。ただしこの日も中国軍機の迎撃で日本側は6機を失った。

【陸軍航空隊の未曾有の壮挙】

〇 ここに当時発行されていた雑誌『大陸』(改造社)の1939年四月号があり、「蘭州空爆現地座談会」なるものが掲載されていて、前年11月から2月までの蘭州への集中的空爆戦を、陸軍航空隊の未曾有の壮挙として大成功を祝しての座談会となっている。当然自分たちの手柄話ばかりで、空爆される側を斟酌する言葉は微塵もない。

*2月24日:浙江省杭州市青山、横畈鎮を爆撃、爆弾21発を投下し、10人を爆殺、23人を負傷させ、家屋27室を破壊。

*2月25日:福建省福州、厦門(アモイ)、広東省汕頭を偵察攻撃し、汕尾の港に居留する船艇を爆撃、また広東省湛江市雷州半島の軍需倉庫などを爆撃、炎上させ、「大打撃を与えた」。

*同日:陸軍の侵攻を支援すべく、湖北省天門近くの何家場の陣地を爆撃。

*同日:午前九時ごろ、9機が3隊に分かれて広東省雲浮市羅定城を爆撃、3隊は縦に並んで東方から空爆を繰り返した。城内への爆撃が少なく、城外への爆撃が多かったが、投弾は全部で百個余り、機関銃の銃撃は無数でありこの日だけで死者百人以上、負傷者は二百人以上で、民家商店は百軒近くが爆破された。

△ 水母艦瑞穂竣工。

*2月26日:日本軍機は江蘇省連雲港市贛楡県歓墩鎮に1発の爆弾を投下、1人が爆死した。

*2月27日:広州の珠江江岸、広西省北海市高徳沿岸の寧用船艇を爆撃、大型船一隻撃沈、3隻隻を破損。

*同日:午後4時ごろ、日本機は江蘇省宿遷市大興を襲撃、機銃掃射と爆弾投下を繰り返した。大興で最も整然とした街並みであった東小街を瓦礫に変えた。多くの住民は察知して市街から避難していたため爆死は6人と少なかったが、2日前に生まれたばかりの女児と共に命を落とした女性もいた。

*2月27−28日:武漢の漢陽の対岸にある中国軍の砲兵陣地を爆撃。

*2月28日:江蘇省連雲港市の海州・淮(わい)安市の准陰、広東省汕尾市の海豊・陸豊を爆撃。

*2月某日:湖北省荊州市江陵を爆撃、ここから1943年2月にかけて、103機の航空機が県内の町や村を爆撃し、死者392名、負傷千名、家屋464棟を破壊した。名所旧跡40ヵ所余りが同時に廃墟と化した。

*2月−3月、海南省昌江県沿海地区を7回襲撃し、墩頭村、港門、新街、北黎、海尾などの村を爆撃した。墩頭村では30人余りが死亡、海尾村では6人が負傷。

3月

*1939年3月1日:湖北省荊門市鍾祥にある漢水江東岸に集結していた中国軍に「猛爆を敢行、大混乱に陥れた」。

*同日:江西省上饒(じょう)市の玉山飛行場、さらに玉山駅、橋梁を破壊、さらに他の一隊が浙江省の衢州駅、江西省鷹潭市の貴渓飛行場を爆撃した。

*同日:江蘇省淮陰(淮安市)の運河堤防を北上する自動車隊を爆撃、同省塩城市双港鎮も爆撃。

*同日:河南省信陽市の平橋で軍需品満載の輸送部隊に対し「猛爆を加え人馬諸共これを全く粉砕した」。

*同日:広東省を流れる北江の中国軍陣地を爆撃、さらに浙贛鉄道の広東省汕頭駅と潮州駅、付近の倉庫軍と線路を破壊した。

*同日:海南島の海軍陸戦部隊を援護するため爆撃。

*同日:江蘇省連雲港市南部の灌河を遡上する日本軍部隊を支援するために中国軍の拠点や軍用船等を爆撃、「大損害を与える」。

*同日:福建省福州市長楽を爆撃。

*3月2日:江蘇省塩城市阜寧、福建省寧化県洞水口を爆撃。

*3月3日:江蘇省の海州を攻めていた陸軍を支援、海州や淮安市の漣水県などを爆撃。

*同日:福建省の興化、龍渓において中国軍部隊を「爆撃、殲滅せしめ」、さらに泉州の橋梁その他の軍施設を爆破した。

*同日:安徽省宣城市郎渓県に6機が三度目の爆撃をし、20数人が爆死、多数の負傷者を出した(51人が死亡、45人が負傷との記述もあり)。翌日、日本軍は街に侵入し住民十数人を銃殺した。

【国際的連携】

◎ 3月3日、オーストラリアのキャンベラ港埠頭の労働者が中国の抗戦支援のためにストライキを行い、スクラップ鉄の日本への輸出を拒否した。

*3月4日:海州城内を爆撃した上に、敗走する中国兵を機銃掃射で掃討した。

*同日:広東省の雷州半島の軍需倉庫群を艦上機隊が爆撃。

*3月5日:江蘇省の漣水県南東方の旧黄河を渡河中の中国軍を発見し「これに猛爆を加え大打撃を与えた」。

*同日:広東省雷州城を爆撃。

*3月6日:湖北省襄陽を急襲、高射砲をかいくぐり市街の兵舎や軍事施設に「多数の巨弾を投じ、大損害を与えた」。

*同日:30数機が共産党軍の根拠地である陜西省の延安を急襲し、市街の兵舎、軍官学校その他の軍事施設に「徹底的爆撃を敢行した」。

*同日:15機が寧夏省(現在の寧夏回族自治区)銀川市を爆撃し、住民300人余りが死傷した。別途、一編隊が寧夏城内の共産党軍が居住する各公共建築物を爆撃した。

*同日:陝西省西安市の関山鎮、山西省呂梁市嵐県を爆撃。

*同日:江蘇省塩城市阜寧方面、広西省北海市廉州鎮の敵陣地および陽江岸の軍用艇、造船所を爆撃、「大損害を与える」。

*同日:朝、山西省長治市平順県の上空を2機が旋回し市街の北部地区に13発の爆弾を投下した。一家7人のうち6人が爆死し、生後1週間に満たない乳児だけが生き残った。その他この爆撃で合計18人の住民が死亡し、53の家屋が破壊された。

*3月7日:西安の市街地を14機が爆撃し、100発以上の爆弾を投下し、600人以上が死傷。

*同日:12機が甘粛省金昌市の永昌を爆撃、40発の爆弾を投下し、城内の市民22人が爆死、11人が負傷、家屋35軒が破壊、家畜17頭が爆死。日本機は戻ってくると永昌の武威を空襲し、街中に機銃掃射を行った。

*同日:甘粛省の平涼を爆撃、市街に爆弾60発を投下し、死者7人、負傷者1人、家屋破壊300軒、倒壊40軒。(国内の報道では「軍事施設と飛行場を爆撃」とある)

*同日:江蘇省塩城市の阜寧・東坎鎮・場塞鎮・溝安墩(現・溝墩鎮)の中国軍拠点を爆撃。

*同日:広西省北海市の廉州を爆撃。

*3月8日:約30機が二隊に分かれ、湖北省の漢口・荊門、湖南省の常徳の中国軍部隊を攻撃した。

*同日:江蘇省淮安市漣水県の30km東方の運塩河(この河は200km以上の南西の南通市近くにあるから記述上のミスと思われる)上を「遁走する約500隻の敵ジャンク船を発見、爆撃を加え、たちまち50隻を撃沈し、陸地に這い上る敵に機銃掃射を加え、約500名を殲滅した」。

*同日:江蘇省塩城の射陽県射祭家橋・東坎鎮・寨鎮を爆撃。

*同日:福建省厦門島対岸・漳州・泉州・海安を爆撃し、敵陣地、軍用船艇に損害を与える。

*同日:広東省清遠市清城区の琶江口村、広東省広州市花県などを爆撃。

【宜昌大爆撃】

*3月8−9日:8日、「湖北省宜昌城を爆撃し、軍用発動機船、残敵を爆撃、城内に大損害を与える」。これは日本側の記録で、これに対し中国側の記述は以下。

 —— 42機が午前8時から午後4時までの4回にわたって爆撃し、計203発の爆弾が投下され、千人以上が死傷(395人が死亡)した。第一回爆撃は午前七時頃、老三条街、中山道、木橋辺一帯を爆破し、家屋300棟余りを破壊し、300人余りの死傷者を出した。二回目の午前10時には、環城南路と学園街を爆破し、家屋100軒余りを破壊、400人余りの死傷者を出した。第三回は午後2時に、二馬路、聖公会、西陵路、美華里、平安里一帯を爆破し、家屋100軒余りを破壊、死傷者100人余りを出した。第四回は午後3時、9機が一字にならんで、楽善堂街の段、花月楼、積慶里、南門里街の一帯を爆破し、家屋100余間を破壊、死傷200余であった。街中には爆死者の死体が横たわり、あるものは首を削がれ、あるものは四肢を切断されて胴体だけになり、木や壁には人の足や手足や内臓が血まみれになってぶら下がっていた。また市街のすべての送電線が破壊され全市が停電状態になった。さらに9日、27機が再び宜昌市街を空襲し、市民数十人が死亡した。2月21日と3月8日、9日の三日間だけで、宜昌市民は2000人近く死傷した。

(中国のサイト「抗日戦争時湖北重大惨案」より)

*3月9日:日本機は三つの編隊に分かれてまず陝西省西安市の臨潼の停車場および工場を爆撃、次に渭南市の市街と北側の軍事施設を、三つ目は渭南市華県市街を爆撃した。華県では3機が6、7発の爆弾を投下して、2人が爆傷を負い、家屋8棟が倒壊した。

*同日:江蘇省塩城の射陽河沿岸を爆撃。

*3月10日:午後、陜西省延安を14機が爆弾70個投下、死者6人、家畜8頭と家屋7棟が破壊された。

*同日:福建省福州市の金牌砲台を爆撃(広州の珠江部隊の軍用船艇掃討戦に協力)。

*3月11日:広東省清遠市清城区の琶江口村、広東省広州市花県などを爆撃。

*同日:江蘇省の射陽河沿岸を爆撃、広東省雷州、福建省福州・泉州を爆撃。

*3月12日:河南省洛陽の市街地および軍需施設、陝西省潼関の中国軍陣地を爆撃。

*同日:広東省雷州の城内、広西省廉州の城内外を爆撃。

*同日:江西省上饒県城中心にある小学校を爆撃し、教員1人を爆死させた。

*3月13日:河南省濮陽市の清豊を爆撃。

*同日:江蘇省塩城市の阜寧付近の補給部隊を有する中国軍約一個大隊を銃爆撃、および同省海州市付近を爆撃。

*同日:江西省の鄱陽湖東岸攻略戦に協力、他に同省景徳鎮市の楽平、九江市修水南岸の敵陣地を偵察攻撃。

*3月14日:陝西省宝鶏を爆撃、駅倉庫や主要建築を破壊した。また同省西安の飛行場兵舎等、別途、江蘇省射陽河方面を爆撃。

*同日:江西省九江市都昌県老爺廟、同市都昌、同省(市不明)徐家舗を爆撃。

*同日:湖北省宜昌市・黄岡市鹿角、河南省洛陽を爆撃。

*同日:福建省厦門方面、広東省汕頭市潮陽水道を爆撃。

【爆撃とその後の占領による蹂躙の例】

*3月15日:午前十時ごろ、湖南省岳陽市平江に18機が来襲、二陣に分かれて東南から西北へと県城を爆撃した。襞循道公会洋館の下で46人が爆死し、英国人の牧師も巻き込まれた。北街善慧庵は廟全体が爆破され、廟の上殿だけで30数人が、李家巷口で10数人、魯家坪で10数人が爆死した。この日の死者は三百人程度とみられ、この二度の大爆撃の後にも、三、五機の散発的な爆撃が繰り返された。『湖南省の損失統計』によると、日本機は平江で22回爆撃し、延べ235機が出動し、2990発の爆弾を投下した。この後日本軍は翌年から平江を四度占領し、特に1944年5月8日から45年2月18日までの285日の長期間に日本軍の鉄蹄による蹂躙の足跡が残された。この期間に、日本軍は姦淫略奪、殺人放火など罪行によるは深刻な災難は筆舌に尽くしがたく、とりわけ婦女子への暴行致死は記すにも胸が痛む。「湖南省の抗戦損失統計」によると、平江の死亡者は1万2852人、重傷者は1万3872人、軽傷者は1万6610人、直接経済損失(法貨)は732億369万元、間接経済損失は260億989万元である。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*同日:陜西省西安の飛行場や市街地を連日爆撃。

*同日:江蘇省塩城付近、湖南省岳陽市平江を攻撃、敵軍司令部その他へ潰滅的損害を与え、浙贛(せっかん)鉄道交通機関を攻撃。

*同日:甘粛省平涼の飛行場と市街地が爆撃され、74発の爆弾投下によって、死者6人、負傷者2人。

*同日:河北省保定市安新県端村鎮の村民が抗日維持会を設立したとして、日本軍は未明、航空機の援護の下、水陸両方の道から端村に侵入、家屋500数軒に放火し、村民80数人(女性18人、子供6人を含む)を殺害した。

*3月16日:江西省九江市の廬山の香炉峰西方の部落に立てこもる中国軍に猛烈な爆撃をした。また同市の都昌も爆撃。

*同日:江西省の撫州市東郷・新余市羅坊・宜春市豊城・鷹潭市貴渓・上饒市七陽・廬山市星子県熊家山等の敵陣地を爆撃。また浙贛鉄道交通機関を爆撃、貨車、線路に大打撃を与える。

▽ 中国空軍は南濤線の日本軍陣地と広州白雲空港を爆撃した。南濤

*3月17日:17機が陜西省西安の市街地を爆撃し、300人以上が死傷。

*同日:河南省鄭州市を「猛爆撃し、全市を震撼せしめた」。

*同日:湖北省襄陽市の漢水(河)南岸に集結する大部隊を爆撃、また同省宜昌城を爆撃。

*同日:広東省湛江市揚家鎮、福建省と江西省の境にある武夷山の大鶏山・小鶏山を爆撃。

*同日:32機が江西省吉安市街に絨毯爆撃を行い、焼夷弾が投下された。一時間もしないうちに、吉安の最大の繁華街である永叔路を焼き尽くし、この惨事で400人以上が焼死、200人以上が負傷、永叔路一帯が全焼し、吉安市の最重要地域が全焼した。

【南昌作戦】(南昌会戦)

*同日:海軍航空隊は陸軍の南昌作戦を援護するため、江西省南昌への攻撃を開始した。

*3月18日:河南省の清豊を爆撃。

*同日:江西省樟樹市呉城方面、浙贛鉄道を爆撃、

*同日:河南省許昌市を「奇襲し、巨弾を投じ市内数カ所に火災を起さしめた」。

*3月19日:湖北省襄陽市の襄陽城と樊城を空爆、また襄陽東部郊外の軍官学校に集結する部隊に「大爆撃を加え、混乱に陥れ、さらに漢水上の船艇軍にも巨弾を見舞って粉砕した」。

*同日:河南省鄭州と江西省呉城を連続して爆撃。

*同日:広東省汕頭市海門にて荷役中の軍用汽艇を爆撃、欄坐させる。

*同日:午前10時、一機が広東省梅州市五華県安流を爆撃、5発を投下し、死亡4人、負傷14人。

*同日:浙江省金華市永康を一機が爆撃。

*同日:偵察機4機が浙江省臨海県城上空に侵入し、旋回後、機銃を江下対岸に停泊していた臨海商輪に向けて掃射した。

*3月20日:江西省九江以西の陣地を攻撃した。

*同日:湖北省咸寧市崇陽県南方(箸渓西方)の棺材山、羅盤山一帯の「敵陣を痛爆した」。

*同日:河南省京漢線の新鄭、隴(ろう)海線の中牟の各駅を爆撃。

*同日:江西省呉城方面、浙江省温州、広東省雷州半島を爆撃。

*3月某日:11機が、海南省定安県竜塘墟を爆撃。村にある400数軒の民家の5割以上が破壊され、10数名の住民が爆死、負傷。死傷した家畜は数えきれないほどだった。

*3月某日:陝西省安康市石泉県に34機の爆撃機が上空に侵入し、関頭山で羊の群れに急降下して機銃掃射、1人が負傷し羊1頭を爆殺して立ち去った。

*3月某日:湖北省の襄陽、当陽、沙市の道路が交差する建陽駅に3機が爆撃し、家屋20余棟を破壊、20余人死傷。

*3月某日:江西省宜春の下浦汽車鉄橋と宜春駅近くの宜樟道路に3機が爆弾を投下し、交通輸送を妨害した。

*3月21日:呉城を4日連続で爆撃。他に江西省の鄱陽湖方面、福建省福州を爆撃。

*3月22日:河南省鄭州市の新鄭県城に、9機が南から飛来し、警報が発せられると住民は先を争って避難した。飛行機が飛び去り、警報が解除されて人々が出てくると、日本機は急に引き返し、4、50発の爆弾を投下し、20人以上の死者を出し、多くの家屋を爆破した。

*同日:河南省鄭州市新鄭県城の人々が東城壁を撤去していると、9機が南から北へ飛来し、、市内に警報が発せられ、住民は先を争って避難した。飛行機が飛び去り、警報が解除されて人々が出てくると、日機は急に引き返し、4、50発の爆弾を投下し、20人以上の死者を出し、多くの家屋を爆破した。

*同日:二度にわたり隴海線の鄭州駅を爆撃。

*同日:福建省泉州・興化(現・莆田市)方面の敵軍事施設、軍用汽艇を爆撃。広西省北海市付近を偵察、廉州と冠頭角砲台を爆撃。

*同日:河南省洛陽、海南島を爆撃。

【九江市の惨禍】

*同日:江西省九江市永修侵略に際し、日本軍は張公渡から犯灘渓に入り、まず爆撃機が爆弾を投下し、張公渡の村60余戸が破壊された。その後地上部隊が呉城鎮に侵入し、同時に軍艦が饒河口に入り、大砲で猛攻撃し、爆撃機がさらに乱爆し、大量の焼夷弾を投下して、三日三晩にわたって大火災を起こし、民家はことごとく失われ、天主堂付近の家屋の10%だけが残された。日本軍は塗家埠を占拠し、放火、焼却した。永修占領後の7年間で焼失した家屋は1万2545軒、虐殺された人民は全部で2万523人に達し、内訳は男性1万6550人、女性2620人、子ども1398人という悲惨な結果を生じた。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*同日:午前9時頃、爆撃機2機が江西省宜春市靖安に来襲、県城上空で1時間にわたって爆撃、機銃掃射を行った。正午2時頃、日本機は再び県城の上空に侵入し、爆弾100発近くを投下し、家屋30棟余りを爆破、焼失させ、城内の住民及び難民100人余りを爆死傷させた。29日、日本軍は靖安を占領。

*同日:広東省仏山市高明県の羅岸、古楊、新村を爆撃し、4発の爆弾を投下、1人が爆死、家屋7軒を爆破。高明県ではこの前後の日に3機が大楠村および人和市を爆撃、大楠村に爆弾3発を投下、2人が爆死、家屋1棟を破壊、人和市に爆弾3発を投下、1人負傷、1軒を破壊。別の日、8機が海口村を爆撃、家屋2棟を爆破。

▽ 同日、中国空軍は広州の日本軍飛行場を爆撃した。24日、再び広州の飛行場を襲撃し、日本機10機を破壊した。

*3月23日:甘粛省蘭州を襲撃し、稀代の有名な建築物普照寺を爆破した。

*同日:江西省九江市の武寧における地上部隊の修水作戦に呼応して南昌に向かって潰走する大軍を反復爆撃、また頑強に抵抗する大部隊に対しても低空爆撃で打撃を与えた。

*同日:福建省泉州の港内の軍用船艇5隻および港岸の建物群、路上のトラックを爆撃、また興化付近に停泊中の汽船、洛陽江の倉庫群を爆破し、多大の損害を与えた。

*同日:4機が福建省漳州市竜海の石碼に侵入し、西湖路で爆弾4発を受け、負傷13人死亡1人。

*同日:広西省北海市の冠頭角・廉州を爆撃。

*同日:江西省呉城・南昌を爆撃。

*3月24日:江西省九江市武寧を爆撃、交通機関や列車を爆破した。また鄱(は)陽湖西方(武寧近辺)の地上部隊の作戦を支援、修水河南岸の中国軍陣地を機銃掃射した。

*同日:江西省宜春市の高安の要衝を急襲、低空爆撃をした。

*同日:山西省の潞安・沁県を襲い、市街地の軍施設を爆撃、多大な損害を与えた。

*同日:浙贛線鉄道の要所を遮断すべく数次にわたり爆撃、江西省の南昌・宜春市の豊城などの駅あたりの列車、貨車数十輔、施設、線路の数々を破壊、大損害を与えた。

*同日:広西省北海、桂家芥(省市不明)を爆撃。

*3月25日:江西省の南昌に向かい、鉄道を破壊し、飛行場を爆撃した。

*同日:山西省運城市の垣(えん)曲に拠る中国軍部隊を爆撃、「全弾命中し、多大な損害を与えた」。

*同日:江西省九江市武寧を地上部隊と呼応して中国軍部隊を反復爆撃。さらに同市永修県繚水および南潯鉄道(九江−南昌間)付近を爆撃。

*3月26日:広東省の汕頭と潮州の両駅を爆撃、機関車や貨車、倉庫、その他潮州河岸の船艇を爆砕した。

*同日:連続して九江市武寧の修水河上流の中国軍部隊を爆撃。

*同日:隴海線沿線の河南省鄭州市鞏(きょう)県、偃師(えんし)市の中国部隊、さらに同省の黄河北岸の済源市、焦作市の孟県を爆撃した。

*同日:南昌西北地帯の地上部隊を支援して爆撃、中国軍に「壊滅的打撃を与えた」。また同市万家埠を爆撃。

*同日:広東省深圳市羅湖区付近、広西省北海市廉州城内外、海南省海口市大林を爆撃。

*同日:海南島の万寧方面偵察で興隆で道路破壊中の敵兵十数名を銃撃、

*3月27日:大編隊で、九江市武寧の地上部隊の戦線に協力、別途その中の編隊が九江市修水市街地を猛爆した。

*同日:河南省洛陽を空爆し、猛烈な銃砲火を軍事施設に浴びせた。

*同日:広西省の廉州城内外を連日爆撃。

*同日:陝西省渭南市潼関県を爆撃。

△ 下旬からの修水・南昌への大砲撃もあって陸軍地上部隊は27日には江西省南昌市街地を占領。

*3月28日:18機が河南省南陽市桐柏県を再び爆撃し、家二百軒を爆破し、20人以上の死傷者を出した。

*同日:九江市武寧城郊外の中国軍陣地に大編隊で低空爆撃を敢行した。

*同日:江西省南昌西方の赤田張の集結部隊に「猛爆を加え、徹底的打撃を与えた」。また同省南昌と吉安の浙贛線沿線を爆撃。

*同日:海南島海口付近を爆撃。

*同日:広西省簾州、桂林市龍雲、海南省の南閭嶺・嶺ロ小撹を爆撃。

*同日:湖北省襄陽市棗(そう)陽県に6機が来襲、二組に分かれ、三機は踞湾を爆撃し、他の三機は呉店を爆撃した。呉店では東門の外から西河坎まで行き来して爆撃、同時に機銃掃射で、28人を爆死させ、別途、市に集まっていた張道金、施顔氏ら50余人も爆死させた。その後呉店は何度も日本軍に侵犯され、大きな犠牲を生んだ。

*3月28−31日:山西省晋城市の高平・陽城、長治市を爆撃。この間、陽城に毒ガス弾も投下した。

*3月29日:河南省方城を6機で爆撃し、44人が焼死、38人が負傷し、100以上の家屋が破壊された。

*同日:江蘇省の洪沢湖上を移動する船艇300隻の中国軍約3000人を急降下爆撃を行い「船艇群をことごとく湖中に撃沈せしめた」。

【祝宴中の惨事】

*同日:四川省重慶梁山県(現・梁平区)、万県を18機が爆撃、梁山では上空で「一」の字に編隊を組み飛行場と市街区を交互に爆撃、爆弾300発以上を投下、梁山第一の古刹、五重瑠璃、文廟、有名な朱衣楼、魁星楼、清代咸豊年間に建てられた慈善機関の育嬰堂、県立初級中学、職業中学、女子中学、県立小学校など、また繁華街の暗橋街、四牌楼一帯、東門、西門、北門の内外も見渡す限り瓦礫となった。避難が間に合わなかった人々の血と肉が飛び散り、屋根の上には死体から吹き飛ばされた手や足が、また電信柱の上には死者の五臓六腑がぶら下がっていた。刑務所も被爆し、死体が部屋いっぱいに積まれた。家を失った人々、肉親の死体と一面の瓦礫を目のあたりにした人々は悲しみと苦しみで泣き叫んでいた。水洞門の李継栄は結婚祝いの最中で、主人、祝賀客、新郎、新婦はすべて爆死した。数時間の内に259人が爆死、286人が重軽傷となり、家屋2840軒が損壊した。(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:広西省北海市の軍事施設と市街地を爆撃、各所に火災を起こさせ、大損害を与える。

*同日:江蘇省無錫新呉区、江西省南昌の樵舎(浙贛鉄道)、広西省欽県、海南島海防市白龍尾・瓊(けい)中県嶺門、を爆撃。

*同日:山西省晋城市の陽城を爆撃。

*3月29−31日:江西省九江市西方の中国軍陣地を爆撃。

*3月30日:海南省海口市の甲子山・嶺口、南部の楽羅を爆撃。

*同日:広東省江門市蓬江区白沙の街にちょうど人通りが多い時、5機が上空に侵入、24発の爆弾を投下、家屋建物24棟を破壊、爆死131人、爆傷73人、血肉が横に吹っ飛び、首もない体が残り、泣き叫ぶ声が天を震わせ、見るに耐えなかった。

(3月30日、米国、日本機による米教会爆撃に抗議)

*3月31日:山西省長治市の潞安の市街地を爆撃。

*同日:海南省の甲子、嶺口、楽羅を連続して爆撃。さらに同省の点屯昌、南門、鳥波、楓木を爆撃。

*同日:江西省の浙贛鉄道、宜春市建昌の飛行場、李家渡対岸、袁州の兵舎や貨車群、撫州市の軍用トラックや小型船艇群、吉安の軍事施設等を爆撃。また同省南昌市滁槎を爆撃。

*同日:重慶の沙坪を爆撃。

*3月某日:日本機が安徽省合肥市肥西県に侵入し、聚星集、周老圩、雷麻店などの集落を爆撃し数十発を投下、数十人を爆死させ、百余人を負傷させ、家屋数百軒を爆破した。

*3月某日:36機が払暁から夕方にかけて、湖北省仙桃市沙湖鎮を交互に爆撃、機銃掃射した。鎮区の家屋は40棟余りが破壊され、死傷者は60人余りに達した。このうち沙湖小学校の後ろにある防空壕で、10人余りが生き埋めになった。その後沙湖周辺の農村にも爆撃、機銃掃射が行われ、民家百棟余りを爆破、死傷者百余人、耕牛70余頭も殺された。

*3月某日:2機が広東省五華県水寨、夏阜を爆撃し、2人を爆死させた。この後もう一度、年月は不明ながら7機が華城を爆破、死者3人、負傷者12人。

*3月下旬:湖北省襄陽市の襄陽城と樊城を三日間に渡り爆撃。

*3月−4月、山西省山岳等にある抗日拠点村落を(占領した彰徳の飛行場基地から)30回爆撃した。

4月

*1939年4月1日:午前、10機が浙江省湖州市安吉県城を爆破し、100発余りの爆弾を投下、家屋200棟余りを破壊し(東街は全て破壊された)、116人の死傷者を出した。家屋の下に設置した防空壕は火災で倒壊して穴をふさぎ、18人が窒息死した。翌日、日本機はまた安吉県城の近くの欽家の上を爆撃して、欽家の家屋を崩壊させた。

△ 空母飛龍竣工。また小笠原父島に航空隊設置。

△ 日本軍はベトナム海岸近くのスプラトリー諸島に侵攻し、フランスは厳重に抗議した。

*4月1−2日:広西省南寧、海南省嶺口、広東省潮州市揚美(墟)を爆撃。

*4月2日:午後1時30分、陜西省西安を7機が市街地に爆弾50発あまりを投下し、10ヶ所以上が被災、市民10人あまりが死傷した。有名な易俗社劇場が爆破され、残骸だけが残された。西京商報社の中庭に3発の爆弾が落ち、活字を組む部屋が破壊され、その翌日の西京商報新聞は休刊となった。(これについての日本の報道は「敵軍事施設に巨弾を浴びせ、これを粉砕した」としている)

【列車爆撃と逃げる乗客を機銃掃射】

*同日:午前8時過ぎ、江西省新余市分宜県の河下駅に停車中で、軍人と江西私立鴻声中学生、旅客などを満載した列車を3機が爆撃、列車を降りて逃げる乗客を機銃掃射、さらに2、30個の爆弾を投下、乗客100余人が死亡、重軽傷30余人、そのうち5、60人の遺体は散逸し、肉片、頭、手足と五臓六腑が枝の上や草むらの中にあり、血は大地を染めた。(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:山東省煙台市莱州付近、海南省海口市嶺口・甲子、同省瓊中県嶺門を爆撃。

*同日:山西省の陽城を爆撃。

*4月3日:湖南省北部の長沙市の新牆(しょう)、黄沙街、湯家牌の市街や軍事拠点を爆撃。

*同日:江蘇省塩城付近を爆撃。

*4月4日:山西省長治市の襄垣県の市街地を爆撃。

*同日:「絶好の飛行日和に恵まれ」、浙贛線沿線の江西省吉安市、鷹潭市の貴渓などの市街地の「軍事施設」および路線で運行中の貨車群に「巨弾を浴びせ」、さらに江西省玉山近くの沙陽で運行中の列車6両を「粉砕した」。

*同日:江蘇省塩城市東台北方、湖南省衡陽や長沙の中国軍事施設を襲撃して大損害を与え、江西省南昌以東の交通機関を爆破。

*同日:湖南省長沙市瀏陽の南郷を爆撃、数人が死傷した。

*同日:福建省漳州に33機11編隊が轟音を響かせ来襲、1時間近くもの間、住民は恐怖におののいたが、機銃掃射だけで終わった。

*4月5日:江西省上饒市万年県に1機が侵入し、野菜市場や北大街に数発の爆弾を投下、妊娠中の女性が爆死した他、7人が死亡し、7人が負傷、5棟の民家が破壊された。

*同日:河北省邯鄲市の渉県の市街地を爆撃。

*同日:湖北省の隧県の中国軍部隊を攻撃、また前日に続いて浙贛線沿線の交通機関を爆撃した。

*同日:前年3月以来のこの日、5機が江蘇省塩城市東台を攻撃、台城寺街、彩衣街などを爆撃し、民間人40人余りを死亡させ、民家数百軒を爆破した。

*同日:江西省南昌方面の敵陣地、浙贛鉄道沿線を爆撃。

*同日:江西省上饒市万年県

*同日:安徽省宣城市郎渓定埠を爆撃し、死傷者6人。

*同日:浙江省衢州市街 の隍巷を爆撃し、住民4人を殺害、2人を負傷させた。

▽ 4月5日、中国空軍は2日連続で広州の日本軍を襲撃した。

【衡陽大爆撃】

*4月6日:湖南省衡陽市を108機で爆撃。日本機は占領した武漢、南昌などの基地から出撃し、衡陽雲集の上空に集まり、三陣に分かれて襲撃した。爆撃は午前10時から夕暮れまで続き、一陣は城北草橋から投弾を始めて城南回雁峰まで爆破、別の一陣は江東岸の飛行場から爆弾を投下、一路江東西岸の大・小西門を越えて衡陽市を東西南北四方を爆破し、いたるところに死傷者が散乱した。250kg爆弾が多く投下され、その殺傷の威力は200mの範囲に及んだ。もう一陣は北正街、司前街、上下長街、大西門正街に大量の焼夷弾を投下、一挙に建物が燃え上がり、大火は夜になっても消えず、街は灰燼と化し、城南にある傷病兵収容所では300-400人が爆死した。調査によると、少なくとも3000発の爆弾が投下され、今回の大爆撃で住民1万人近くが爆死傷し、家屋約500棟が破壊された。この後も衡陽は5年間で100回以上も爆撃を受ける。

*同日:日本機は大挙して江西省上饒(じょう)市の広信付近の浙贛線上の列車を攻撃、さらに同省吉安、玉山の各飛行場を爆撃。

*同日:広西省柳州飛行場を襲い、格納庫などに大損害を与え、柳州域内の軍需倉庫群を爆砕炎上させ、南寧南方の鉄橋を爆破。

*同日:陝西省漢中市南鄭県城を爆撃、上海から避難してきた扶輪中学生1人が死亡、数人が負傷した。

*同日:山西省晋中市楡社県の市街地を爆撃。

*4月7日:陸海飛行隊が協力して、湖南省の芷江の飛行場を爆撃、「巨弾の雨を浴びせ、殲滅的打撃を与えた」。また同省長沙市潭州の飛行場を攻撃、滑走路を中心に大損害を与えた。

*同日:衡陽を連日:さらに陝西省西安、四川省梁山などを爆撃する。

*同日:山東省青島市平度の東方、江西省吉安、浙贛鉄道を爆撃。

*同日:広西省崇左市龍州を爆撃。

*同日:福建省福州市美打道を爆撃、4人が死傷。

*同日:9機が突然安徽省阜陽市界首城の上空に現れ、数十発の爆弾を投下、機銃掃射を行った。

*同日:午前7時ごろ、9機の爆撃機が江西省撫州市東郷県の南門を爆撃し、10個以上の爆弾を投下し、家屋数十棟を爆破、80人以上が死亡、その中で南昌の難民(前月、日本軍に占領された)が70人近くいた。再び11時に日本機が南昌の方から来襲、まず県城を旋回して低空で城南、城中に焼夷弾を投下し、家屋90棟を焼き払った。この後東郷は日本軍に占領され、1942年8月に退却するまで1069人が虐殺され(男性611人、女性321人、子ども137人。障害者は男性594人、女性403人、子供111人の計1108人)、焼失家屋2235棟、その他多大な物資が略奪された。

*同日:午前七、八時ごろ、安徽省銅陵県鳳凰山の上空に4機が飛来、空中で旋回し飛び去ったかと思うと、急旋回し多数の爆弾を投下しつつ急降下して機銃掃射した。この空襲で20人余りが死傷し、2世帯の8人のうち7人が死亡、残る1人も重傷を負った。つづいて第二次として二機が地上攻撃の日本軍を掩護し、隣接する清水堰に爆弾を落とし、一人の老婦人が即死した。

*4月8日:雲南省の昆明を25機が襲撃、飛行場の35機を炎上、大破させ、空中戦で17機のうち4機を撃墜、地上機15機を炎上、20機を爆破、「わが方損害なし」とあるが、中国側の記録では2機を撃墜とある。死傷者30数名。

*同日:浙江省金華を2回爆撃し、40発以上の爆弾を投下し、53人を爆殺し、190人以上を負傷させ、90以上の家屋を破壊した。

*同日:安徽省蕪湖市の南陵県、河南省臨州市の姚村・大菜園を爆撃した。

*同日:河北省邯鄲市渉県の共産党部隊に多大な打撃を与えた。

*同日:山東省煙台市海陽付近、江西省上饒市広信、広西省南寧市賓陽を爆撃。

▽ 4月8日、中国空軍の12機が山西省侯馬の日本軍を爆撃した。

*4月9日:山西省長治市の潞安を爆撃。

*同日:雲南省昆明、浙江省金華、江西省上饒、広州の珠江方面を爆撃。

*同日:江西省玉山の飛行場を急襲し、格納庫に巨弾を集中し、入庫中の飛行機もろとも破壊した。

*同日:江蘇省東台飛行場を攻撃、地上の敵大型機一機を爆破炎上、格納庫を一棟大破させた。

*同日:山東省海陽の兵器工場とその部落を爆破。

*同日:広西省南寧の北方にある建築中の駅および付近に集積していた鉄道資材、軍需品を爆撃。

*同日:陸軍作戦に協力して海南省の嶺門と嶺口を爆撃、軍陣地と市街軍施設を破砕し、二ヶ所に大火災を生じさせた。

*4月10日:浙江省安吉を10機が爆撃し、100発以上の爆弾を投下し、116人が死傷、200戸以上の家が壊された。

*同日:河南省安陽市林県の城外を爆撃。

*同日:江西省の撫州市東郷を爆撃、また浙贛線の上饒市玉山駅、鷹潭市の貴渓駅を爆撃、貴渓では貨車群を爆破し、さらに貴渓と撫州市上東郷市街地の軍事施設を破壊。(市街の軍事施設という場合、ほぼ民間人とその密集した家を狙ったものと見てよい)

*同日:山西省運城市垣(えん)曲、臨汾市蒲県城を爆撃。別途、山西省長治市襄垣県望城頭、晋城市沢州県小箕村・天水嶺、朔州市山陰県十二会などを敗走中の中国軍に「巨弾を浴びせこれを殲滅した」。

*同日:山西省晋城市高平の軍司令部と陣地、長治市潞安・黎城・襄垣の「各市街に巨弾を投じ、移動中の敵大軍を爆砕」。

*同日:陝西省西安方面を急襲、臨潼付近の軍用列車に急降下して機銃掃射、立ち往生させた。

【宜春市靖安県の村々の惨事】

*4月の間:江西省宜春市靖安県の村々(山口、下観、棠棣など)を乱爆し、数百発の爆弾を投下、家屋52棟、272軒を爆破した。山口街は廃墟と化した。その後日本軍は安民地区仁首郷などに長期駐屯し、そこから任意に各村々に侵入して暴虐の限りを尽くした。わずか12世帯の高湖郷貫湾村は焼失家屋12棟、55軒。山口街では商店12軒が1日で灰になった。悠羅家自然村では20戸余りが全焼、宝峰郷蕉坑は2日間で、家屋1281棟、5130間を焼失した。宝峰郷の蕉坑、舒家、項家一帯は、一日のうちに日本軍によって70人以上が殺害された。項家の項書甫一家7人は午前中に夫婦が家で殺されて、午後息子と娘は避難先から下山して父母を埋葬する時、日本軍が戻って来て、同じく殺害された。日本軍の女性への奸淫は残忍極まりなく、宝峰村の劉家の女性項XXは日本軍に輪姦された後、稲の藁を積み上げて焼き殺された。高湖郷中港の羅XXは9名の日本軍に輪姦された後、すぐに命を落とした。古港の黎XXは日本軍10人余りの輪姦に遭い、即死した。山吹、中港、鄧家、古港、山口、下観などに限っても、日本軍は女性を百人以上強姦した。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*4月11日:山西省長治市の屯留の市街と中国軍兵営を爆撃。

*同日:朝、9機が 湖南省懐化市辰渓県城を爆撃、全城に火が燃え広がった。北門閣、万寿宮には壮丁が駐屯していたが、隊長の張雍如は壮丁が脱走することを恐れ、駐屯地の外に避難することを許さなかった。その結果爆弾が万寿宮に命中、壮丁、警士の死傷者は50−60人に達し、また県庁前の城壁の下及び河街の家屋が倒壊、圧死して数十人が焼け死に、新市街の売春宿も出火し40人以上が焼死した。後日の集計では家屋200棟以上が爆破され、500人以上が焼死または爆死した。(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:10時頃、海南省海口市竜塘鎮の上空に突然日本機3機が飛来、低空で数分間旋回した。街に集まっていた村人は慌てて街を脱出した。数日後、更に11機の日本軍の爆撃機が飛んで来て、多くの爆弾を落として、竜塘鎮の400余りの店舗、民家が破壊され、10数人が爆死傷した。

*4月12日:海南島(省)澄万方面の陸軍部隊の掃討作戦に協力爆撃。

*同日:広東省深圳市橋頭の中国軍本部を爆撃。

*同日:河南省開封市朱仙鎮、鄭州市中牟(ぼう)鎮一帯の「敵に猛爆を加えこれを撃滅」。

*同日:山西省南部一帯に蠢動する中国軍に対し徹底的爆撃。

*4月13日:江西省鄱陽湖東岸湖口より安徽省蕪湖市繁昌に到るまでの揚子江東南地帯の軍事拠点、軍需品倉庫などを「徹底攻撃」。

*同日:江西省上饒市走馬坂、さらに安徽省蕪湖市南陵・淮南市大通・池州市青陽、浙江省温州西岸橋、湖北省宜昌を爆撃。

*同日:広西省北海市廉州、貴州省銅仁市江口等を爆撃。

*同日:雲南省紅河州蒙自を攻撃、駅や市街地の軍事施設、飛行場の5機を破壊、炎上させたとあるが、市街地には軍事施設などなく、死傷者500人以上。

*同日:海南島文昌土来、澄邁、深圳市橋頭を爆撃、「大損害を与えた」。

*同日:浙江省湖州市の再建中の孝豊飛行場を急襲し「粉砕した」。

*同日:内モンゴル五原県を急襲、集結中の大部隊、軍事施設に「巨弾を浴びせ多大の損害を与えた」。

▽ 中国空軍は杭州の日本軍を爆撃した。

*4月14日:南部の要衝広西省欽県を爆撃。

*同日:3機が福建省漳州市竜海の武廟に飛来し、銀巷、直扶街に8発の爆弾を投下し、7人を爆死、15人を負傷させ、家屋30数間を損壊した。

*4月15日:地上部隊の作戦に呼応して山東省煙台市招遠付近および莱州市郭家店を爆撃、「多大の損害を与えた」。

*同日:浙江省温州、福建省福州市馬尾を爆撃。

*同日:広西省を流れる珠江の支流明江の渡船場の軍用自動車数台を銃爆。

*同日:広西省崇左市龍州を急襲、対空砲火をかわしながら倉庫群を爆撃。

*4月16日:海南省琼海市薄鰲(ごう)・儋(だん)州市洋浦付近を爆撃。

*同日:浙江省温州・舟山市定海を爆撃。

*同日:早朝、安徽省安慶市望江県城に三機が来襲、涼泉街の上空から9発の巨弾を投下した。たちまち家屋は倒壊し瓦礫と化し、血と肉が飛び散った。被害者の家族は血溜まりの中で家族を探した。宋対庭の息子は街外の水溝に父の頭を見つけ、頭を抱いて慟哭し昏倒した。若い女性の汪金花は頭を半分はがされた。その他竜保珠、陳蘭玉、陳長春ら15人は全員遺体がなく(大きな爆弾が直撃すると肉体は残らない)、家族は残った服装などから確認した。その後占領した日本軍は8月に機関銃で20人余りを射殺し、家屋239軒を焼いた。こうした暴虐行為は1945年まで繰り返された。(『日軍侵華暴行実録』第3巻)

*4月17日:福建省福州市市街と金牌砲台を爆撃。

*同日:4機が安徽省銅陵市鳳凰山を爆撃し、「観音会」の男女21人が爆死した。

*4月18日:福建省福州市琯頭の長門砲台(福州沖の海軍の作戦に協力、汽艇および機雷堰)を爆撃。

*同日:河北省石家荘南左鎮の根拠地、河南省鄭州市中牟付近の黄河の渡河点および南岸の陣地に「猛爆を加えこれを壊滅」。

*同日:福建省寧徳市古田県城に2機が来襲、数発の爆弾を投下、五保大街の住民に被害が及び、蔣家秘蔵の王善之、朱熹真跡などの名人の書画及び多くの骨董品が大火ですべて焼失した。

*同日:河南省彰徳(現・安陽市)内黄県とその西南の約一千の部隊を「爆砕した」。

*4月19日:連日湖北省襄樊、雲南省蒙自を爆撃した。

*同日:山西省黄河北岸の運城市平陸の「敵陣に巨弾を浴びせ爆砕」、また浮山南方の趙家源を爆撃。

*同日:陸軍地上部隊の広州市増城に対する殲滅作戦に協力し、「巨弾の雨を投じ大打撃を与えた」。

*4月20日:広西省北海市廉州城内外を爆撃して大損害を与え、一方艦載機が浙江省温州市街の軍事施設を爆撃。(市街に軍事施設はほぼなく、市街地の民間人と家屋を爆撃したということである)

*4月某日:広東省仏山市高明県三洲を機銃掃射、3人死亡。

*4月某日:日本軍機は安徽省池州市青陽県廟前鎮を爆撃し、市民40余名が爆死。

*4月某日:3機が福建省寧徳市福安県城に侵入、爆弾2発を投下し、30数人が爆死した。

*4月某日:午前8時頃、18機が湖北省襄陽の県境に侵入、周回後、襄陽西街に無差別爆撃を行い、十字街から西門まで20軒以上の家屋がすべて破壊され、街の交通が7日間も中断した。紅花園一家の裏庭の防空壕が爆破され、隠れていた21人全員が生き埋めとなった。

*4月21日:湖南省懐化市芷江を27機が爆撃、昭宗祠、東紫巷、東西南北街、南門外は火の海となり、北街の元湖南銀行、温家大院、張氏宗祠、肖氏宗祠などの建物、また三清観、南寺、天王廟などの名所の建築や歴史的文物がすべて破壊された。肖氏宗祠正殿の裏側にある防空壕に隠れていた約20人は、正殿に落ちた爆弾でひっくり返った土塀により生き埋めになった。西街では11発の爆弾を受け、60人余りが死亡、また王家祠堂には新兵が簡易防空壕内に隠れていたため、30人余りが爆死した。約400人を死傷させ、数百の家屋を破壊した。

 これに対し日本側の記録は、「軍事施設を多数爆破、多数の損害を与えた」とあるのみで、またその帰路に「湖南省一帯に伝単(ビラ)数万枚を散布し、非戦闘地域の民衆に対し戦況を知らしめその覚醒を促した」。

*同日:山東省青島平度東方を爆撃。

*同日:福建省福州・厦門(あもい)・金門島(現・台湾所属)対岸、海南省陵水等の軍事施設を爆撃。

*4月22日:午前10時頃、河南省南陽市内郷県城に突然18機が飛来し、100数発の重爆弾を投下し、まとめて城内を機銃掃射した。合わせて37人が爆死し、100人以上が重軽傷、北大街の「和順東」で料理人が爆死し、太ももが椿樹にかかっていた。第一小学校の前で、陳金斗は壁の隅にしゃがんでいたが、破片が腹部を横切って、内臓が外に出て死んだ。東大街の楊鳳祥茶館には九人の茶客がいたが、全員爆死、楊の叔母と妻は腕を切断して、首にも障害を負った。韓井呉子文の家には、外から避難してきた山東人の一家5人がいたが、全員が爆殺された。ある死体はくずになって見つからない(爆弾に直撃されると肉体は散り散りで不明となる)。(『日軍侵華暴行実録』第2巻)

 日本側の記録は「内郷を急襲、飛行場および市街軍事施設を爆砕、市街三ヶ所に大火災を起こさしめた」とあるが、そもそも市街に軍事施設を置く軍隊など基本的にない。

*同日:浙江省麗水・衢(く)州、福建省建甌(おう)、江西省玉山の各飛行場を爆撃。(中国側の記録では建甌は市街地も爆撃、親子4人が死亡)

*同日:江西省鷹潭市貴渓、浙江省寧波市鎮海、温州市を爆撃。

*同日:広東省汕頭市海門、深圳市偉遠砲台を爆撃。

*同日:福建省厦門沖合の金門島対岸の拠点部落を爆撃。また厦門市同安潘塗村を爆撃、3人の親子が死亡。

*同日:広東省江門北方に集結中の部隊を爆撃、また深圳蓮塘の中国軍司令部に「猛爆を加え致命的打撃を与えた」。

*同日:山西省運城市垣曲方面を爆撃、また同市夏県、平陸県茅津渡の大部隊を「猛爆し大混乱に陥れた」。

*同日:福建省福州市を奇襲し重要軍事施設を爆撃、「猛烈な火災を起こさしめ」、また大型汽艇2隻を銃撃、擱坐させた。

△ 4月22日、南昌作戦中の江西省贛中地区で、日本軍第101師団は毒ガスを使用した。

*4月22−23日:朝、河南省信陽市新県に烏馬潭祭の縁日の市が立っていて、人が集まっていたところに1機が飛来、騒乱状態になり人々は逃げ惑ったが、日本機はそのまま飛び去った。翌日の午前中、3機が再び市の上空に飛来したが群集は居らず、日本機はすぐに方向を変え、近くの陡山河郷の街の上空に行き、爆撃を開始、1里余りの陡山河の街に9発の大型爆弾と硫黄弾を投下、陡山河の街全体が火の海となり、街の南端の商業地区では、5発の大型爆弾が投下され、160棟以上の家屋が焼かれ、8人が死亡、多数の負傷者が出た。(『日軍侵華暴行実録』第2巻)

*4月23日:江西省宜春市高安県城を襲い、市街地および軍事拠点陣地を爆撃、「大打撃を与えた」。

*同日:建甌飛行場、浙贛鉄道の金華駅の軍需格納庫を爆撃、42ヶ所を炎焼させ鉄路を多数遮断した。

*同日:浙江省金華市内の兵営、温州市と市内を流れる甌江、厦門島対岸、海南省陵水付近を爆撃。

*同日:大挙して湖北省荊門市沙洋鎮を襲撃、漢水渡河のため集結していた中国軍数千と渡河中のジャンク船30数隻に「巨弾の雨を降らせ爆沈させ多大の戦果をあげた」。

*4月23日−24日:湖南省湘陰県城を爆撃し、1700人以上が死傷した。(日本側未確認)

【キリスト教会や孤児院を爆撃】

*4月24日:重爆撃機6機が河南省鄭州市密県(現・新密市)の上空に飛来、重機関銃を住民に向けて乱射、城南関の県救済院がある火人廟、城西の南后園、豫豊祥京貨店の裏庭、東街の石橋東キリスト教会などに爆弾を投下した。県の救済院では20−30人の孤児が爆死、石橋東のキリスト教会でも礼拝中に多くの犠牲者が出た。東大街の南にある豫豊祥の裏庭に落ちた大型爆弾1発で(500kg爆弾か)、民家14棟が爆破され、10人が死亡、2人が負傷した。この日の密県城の爆撃で、官民の建物数百棟が爆破され、60人以上が死亡、40人以上が負傷した。(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:浙江省温州を爆撃。

*同日:山東省煙台市海陽、威海市乳山口を爆撃。

*4月25日:山西省長治市の平順県の市街地を爆撃。

*同日:福建省福州の金牌山と煙台山北岸の長門の両砲台を反復爆撃。長門砲台では火薬庫および兵舎一棟を大破。

*同日:福州市の碼頭、荷揚場、倉庫、通信所などを炎焼させた。

*同日:江西省玉山県七里街を爆撃。

*同日:午前、山西省長治市壷関県に日本軍機3機が飛来、城内に数発の爆弾を投下、城西街では15歳と19歳の青年が爆死し、家屋も多数破壊された。

*4月26日:湖北省宜昌市、荊門市の荊州・沙洋鎮を大編隊で爆撃、軍事施設と集団部隊を「痛爆、多大の戦果を収めた」。

*同日:江西省南昌付近、浙江省寧波市鎮海・温州市、広東省宏遠砲台、広州の珠江方面を爆撃。

*同日:河南省安陽市林県・人村集(未確認)・鮑店・高子崗・合澗などの「重要施設を猛爆」。

*4月27日:山西省運城市の垣曲県で黄河対岸の渡船を爆撃。

*同日:福建省竜岩市長汀県の汀州、江西省贛州の両飛行場、南昌を爆撃。

*同日:浙江省寧波市鎮海の宏遠砲台とその付近に停泊する小型船艇軍を襲撃、「甚大な被害を与えた」。

*同日:浙江省台州市・温州市を二度にわたり爆撃、台州に停泊中の軍用汽船を爆沈、港岸の倉庫群や積荷に「甚大な損害を与えた」。

*同日:福建省長門砲台、広東省汕頭付近を爆撃。

*同日:山西省長治市武郷、河北省邯鄲市渉県を爆撃、騎兵と歩兵集団を「粉砕」。

*同日:山西省潞安(現・長治市)、運城市の垣曲の軍事施設、戦線司令部を「壊滅」。

*4月28日:浙江省寧波市鄞県を爆撃し、120人が死亡、270人以上が負傷し、街の中心が完全に破壊された。

*同日:午前に湖北省襄陽に36機が飛来、わずか4平方kmの光化小県城を爆撃、3時間もしないうちに、多くの家屋が灰になり、多くの死傷者が出て、中には家族全員が爆死した。県城街の中心に落ちた爆弾坑の深さは4mに達し、穴の直径は数十mで、その殺傷力と破壊力の大きさを想像することができる(おそらく250kg爆弾)。

*同日:江西省南昌市撫河・進賢・宜春市高安、福建省福州・漳州市羅渓駅、浙江省台州・温州、重慶豊都県李河渡・宜宝を爆撃。

*4月29日:「天長の佳節(昭和天皇誕生日)を期し」、赤都(共産党軍の都市)甘粛省蘭州の中国空軍前身基地である陝西省漢中市南鄭を急襲、中国軍20数機と空中戦で11機を撃墜、自軍は2機が撃墜された。

*同日:山西省潞安の根拠地をはじめ重要拠点10数カ所に「巨弾の雨を降らせた」。

*同日:河南省洛陽、陝西省西安の飛行場を爆撃、軍事施設、滑走路や格納庫などを「粉砕」。

*同日:江西省南昌、南昌南方の新墟村、浙江省台州市黄巌と温州市瑞安の港岸の倉庫群や積荷、製材所などを「爆撃炎焼」させた。

*同日:広東省汕頭市海門を爆撃。

*4月30日:山西省長治市潞安・潞城の兵営と市街を爆撃。

*同日:湖南省邵陽市宝慶を大挙して攻撃、軍事施設その他を爆撃炎焼させた。その帰路に長沙市寧郷を爆撃。

*同日:湖南省懐化市辰谿を急襲、軍事施設と付近江上の軍用汽艇、ジャンク船を爆撃。

*同日:陸軍部隊に協力して湖南省衡陽市幽蘭を爆撃。

*同日:江西省南昌青山湖・宜春市高安を爆撃。

*同日:河南省安陽市林県・合澗を爆撃。

*同日:艦載機隊が海南島楽安の中国軍遊撃隊の拠点を攻撃、大火災を起こす。

5月

【繰り返される占領による虐殺】

*1939年5月初め:河南省周口市太康県で中国軍第81師団と日本軍第14師団約2000人と2昼夜に及ぶ戦闘の末、中国軍は撤退した。日本軍は3機の航空機を出撃させ、彼らを追撃、大砲で砲撃し機銃を掃射した。常営鎮から南にいたる高寨村の北方約1kmの田野は、多数の死体が横たわった。日本軍は残虐な手法で太康県の人々を殺戮し、例えば32人の男女が聶芳領家の堂屋に集められ、日本軍はドアに鍵をかけてガソリンを撒き、焼き殺した。さらに150人以上の人々が仏爺廟のそばの水深の深い側溝に投げ込まれ、ほとんどの人が溺死した。3日の間に村全体で1100人以上が殺害され、このうち家族全員が殺害された世帯が74あった。また300人以上の10代以上の女性がレイプされた。高氏の母親は強姦された後、ナイフで3つに切断され、その妻は妊娠中で輪姦された後、腹を切られ母子ともに死んだ。日本軍はまた常営村の財物を略奪し尽くし、焼き払った。村の民家、学校、お寺が焼け、3日3晩燃え続け2000軒以上の家屋が灰となった。(『侵華日軍暴行総録』:なお、この記録集や『日軍侵華暴行実録』からは爆撃に関わる記述しか引用していず、それ以外の各地への侵攻と占領による蛮行=虐殺なども数多く記録されていて、すべて目を通すには耐え難いものがある)

*5月1日:河南省桐柏を爆撃し、120人以上が死傷した。

*同日:江西省南昌市三陽、江西省撫州市東郷・宜春市豊城の両県城、棠飽(省市不明)を爆撃。

*同日:浙江省寧波市内の工場や兵営、港岸の倉庫群やジャンク船を爆撃し「多大の損害を与えた」。

*同日:福建省福州を二度攻撃、市街地のほか南台島の海軍工場、馬尾造船所を爆撃。

◎ 5月1日、米国の労働者50万人が国際労働者の日を祝うためにワシントンに集まった。中国の朱学範国際労働大会代表は会議で演説し、「日本が現在中国人を虐殺している武器の54%は米国が供給している。米国政府は直ちに日本への武器供給を停止し、日本製品をボイコットしてほしい」と訴えた。

*5月2日:福建省福州を連日爆撃し、市内の精華学校は甚大な被害を受け、市民約1000人が死傷した。

*同日:陸軍作戦に協力し、江蘇省揚州市高郵の汪村、南昌南方新墟村、宜春市高安西北の村前街、浙江省寧波を爆撃。

*同日:河南省南陽市桐柏を急襲、兵舎や陣地を爆砕、また桐柏の平氏鎮に対しては4回連続で計21回の爆撃をし、綿橋の鴻儀女中和の病院を爆破して80軒の家屋を壊し、21人の死傷者を出した。

*同日:湖北省咸寧市通山・崇陽、広州西村駅を爆撃。

【陸軍の毒ガス使用】

△ 鄂北(湖北省北)塔児湾の戦闘では、日本軍は毒ガスを使用し、中国軍の死傷者は甚大で、漂水川西岸を退守した。同じ日の鄂北高城の戦闘でも日本軍第3師団は毒ガスを使用した。

*5月3日:江西省宜春市奉新南方、南昌市荏港・新墟村・万舎街、大王廟(同名多く特定不可)、浙江省紹興、福建省福州を爆撃。

*5月3−4日:広東省湛江市の青塘の司令部を連続爆撃。

【重慶大空襲】(5月3−4日の二日間で4千人以上が死亡)

*5月3日:重慶の市街地に日本軍の占有する漢口(武漢)から45機が二編隊に分かれて出撃し(中国軍戦闘機約30機と空中戦となり、その約10機を撃墜〔確実5機以上〕、日本軍機は二機撃墜された)、市街地に爆弾166発を投下し、さらに初めて焼夷弾88発を投下した。「市街地27ヶ所のうち19の街が廃墟となり、41の街が火の海となって燃えた」結果、673人が死亡、350人が重軽傷を負い、846世帯と家屋222軒が焼失または破壊された。例えばこの日、市内の各街に5店舗展開していた商人(この日死亡)の店が全店、破壊、焼失したことでもその規模がわかる。この日爆撃されたのは大梯子・左営街・蒼平街・都郵街・一鳥居・奇門・太平門・商業場・神仙口・陝西路・西四街・朝天門・瑪瑙渓などであった。19か所が被爆した。人口が密集して商工業が盛んな市街地はたちまち天高く燃え上がり、黒い煙に包まれた。

*5月4日:再び重慶の中心市街地を27機が襲撃し、78発の爆弾と48の焼夷弾を繁華街に投下、都郵街・小梁子・夫子池・七星崗などが火の海となった。2日間の集計で、外国人を含め、3318人が死亡、1973人が重軽傷を負い(3991人が死亡、2323人が重軽傷を負ったという記述もあり、重症者がのちに死亡したのを含めると死者は4755人ともされる。これは後の調査で増えたものと思われる)、2840世帯が焼け出され、家屋963棟が焼失または破壊された。同時に古刹である羅漢寺、長安寺も大火に飲み込まれ、外国教会や英国、フランスなどの各外国大使館、ナチ党旗を掲げたドイツ大使館も免れなかった。大空襲の後、死体が路上に散らばり、手、足、頭、腹などの残骸がいたるところに見られた(後の東京大空襲の時も同様な光景が見られた)。財産の損失は数え切れないほどで、郵便街の一帯で壊された呉服店だけで十五軒に達し16万7200匹の布が失われ、市内の37の民間銀行のうち14行が破壊された。前日と合わせて14度の大火災が発生し、3日以内に25万人以上の市民が難民となり郊外に避難した。

 この両日は「5・3と5・4の大爆撃」として中国内で語り継がれているが、負傷者よりも死者が多い場合、東京大空襲の例も同様であるが、多くの人が焼夷弾による火勢に負けて逃げ遅れたということである。この一日の爆撃で死傷者5千人以上とは、それまでの世界戦史上最も多い空襲犠牲者である。

 街中の様子である —— 「肉親三人の行方が知れず、死体も誰のやら区別がつかない状態だった。… 焼け焦げ、縮かんだ死体や千切れた四肢などは大きな籠に入れて(防護団の)二人で担ぎ上げ、何籠も何籠も積み上げられ、見るに忍びない有様だった。…路上には未だに収容されていない遺体があちこちに散らばっていて、電線や木の枝には人の腸や手首足首、服の切れ端が引っかかっていた。当時埋葬に関わった人の話では、死体は何百何千と運ばれてきて、揚子江川岸に積み上げられ、犬の群れが駆け寄って噛みちぎり、腸がいたるところに引き出されていた、とある」(『重慶爆撃とは何だったのか』:鞠天福の証言)。当然こうした地上の悲惨な実態は、高い上空から空爆した側の飛行士にはわからない。この乖離した実態が20世紀の戦争の大量殺戮の要因であり、最終的に原爆投下へとつながる。

【爆撃の成果を誇る新聞】

〇 この大空襲後、日本の報道は「全世界における未曾有の大空襲で、重慶全市は文字通り修羅場と化し、… 市内は言語に絶する混乱と動揺に陥り、市民は続々避難を開始した。… 重慶市は全く死の街と化した」と成果を誇っている。しかし総司令官蒋介石が武漢から重慶に移るまでに重慶各所に多くの広大な防空壕が作られ、ある程度は準備されていたので、日本側の「蒋介石は早速(再度)成都に首都移転を決定した(それに対し海軍飛行隊の高官は、もはや如何にしてもわが空爆隊から逃れようもなく四百余州広しといえども蒋の身を置くところなしと豪語)」との適当な報道に反し、動く様子はなく、日本軍はこの後も含めて、200回以上重慶爆撃を繰り返すことになるし、さらにこの5年半後、日本の各都市が米軍の大空襲に晒されることになるとは夢にも思っていなかっただろう。

〇 5月3、4日の重慶大爆撃によって破壊され、焼失した新聞社が多く、国民党中央宣伝部(蒋介石)は重慶の左右翼の新聞十紙を臨時休刊させ、中央日報が中心となって『連合版』を発行するようにと通告した。これを中国共産党の周恩来も全面的に支持する声明を国民党に送った。その創刊号において、「連合版に表現したい精神、日本軍に一番示したい心は団結である。全国民が一致団結となった理由の大半は日本軍のおかげである。敵機の圧迫が強くなればなるほどこの団結はもっと深まるであろう」と記した。こうして戦時下の間、「国共合作」の精神は強化され、「疲弊爆撃」とも言われる連続爆撃によって中国民の心を疲弊させて厭戦気分を高めるという日本軍の作戦は、自分たちが疲弊していくだけの結果に終わる。(この連合版は8月まで続き、その後各紙は復刊する)

 ちなみに新聞社は地元だけでなく、イギリスのタイムズ紙やアメリカのAP通信やソ連のタス通信等、欧米各国の特派員が重慶から日本軍の爆撃の様子を発信していて、国際世論もほぼ中国の味方となっていた。

*5月4日:江蘇省塩城、江西省吉安・玉山の飛行場、南昌市新墟村、浙江省金華を爆撃。

*同日:広東省汕頭・潮州、福建省泉州を爆撃。

*同日:湖北省随州市随県北方の高城鎮の中国軍部隊を急襲し「粉砕」。また湖北省襄陽付近の軍需物資や倉庫を爆撃、「炎上せしめた」。

*5月5日:広東省汕頭を二度爆撃、市街の市政府と周辺の軍事施設、また福建省泉州の市内外の重要施設を爆撃。

*同日:河南省駐馬店の泌陽から南陽市の源潭に至る街道上の中国軍部隊を発見して「巨弾を浴びせ爆砕した」。

*同日:午前、湖北省襄陽市老河口の中国軍総司令部および密集部隊をに「巨弾を浴びせ大打撃を与え」、午後にも同地区の拠点に蟠踞している部隊に猛爆を加え「片っ端から吹き飛ばした」。さらには老河口の光化城の軍拠点を爆撃、なおも沘源北方の源潭鎮の軍事施設を爆撃、「壊滅的打撃を与えた」。

*5月6日:広東省汕頭・潮州を三度にわたり爆撃、汕頭では化学工場、中山公園の機銃陣地、行政署、潮州では駅の軍用列車、発電所、重要工場、さらに済南堤軍用倉庫を爆破した。

*同日:海南島陵水方面の海軍陸戦隊の戦闘に協力、また金門島対岸の軍拠点を連続爆撃。

*同日:陝西省漢中市の南鄭を急襲、飛行場、軍事施設などに「巨弾の雨を降らせ格納庫滑走路を完全に爆破、市内東方の重要施設は大火災を起こした」。

*同日:陸軍に協力し江西省南昌南方の連塘市付近の中国軍部隊を爆撃。

*同日:浙江省寧波の甬江岸の工場や倉庫群、大桟橋を爆撃、大破させた。

*同日:広東省仏山市高明県の富湾渡頭何村を爆撃、23発の爆弾を投下し、死者6人、負傷者1人、祠堂、学校、民家各1棟を爆破。この月別の日に一機が新圩を爆撃、2発を投下、爆死1人、負傷3人。

*同日:広西省柳州の司令部飛行場、軍需品倉庫に「巨弾の雨を浴びせ、ほとんど破壊炎上せしめた」。

*同日未明、河南省南陽市桐柏西方20kmの西新集と西10kmの鴻儀河にある中国軍の大部隊を痛爆、「これを壊乱、敗走せしめた」。さらに唐河県湖陽鎮を敗走する約一千の中国兵を発見し爆撃。

*同日:河南省南陽の司令部を爆撃。

*同日:広西省河池市東蘭県などの自動車群やガソリン庫などを爆撃。

△ 湖北省北励山江家河の戦闘で日本軍第3師団が毒ガスを使用した。

*5月7日:河南省秦陽県を爆撃し、40発以上の爆弾を投下し、100人以上が死傷、2160の家屋が破壊された。

*同日:陝西省南鄭を連日で「急襲し、敵空軍根拠地を完膚なきまでに叩きつけた」。

*同日:福建省漳州市南靖市街、同安、海滄、集美、島尾その他の重要拠点を「猛爆、大なる損害を与えた」。このうち南靖では、厦門から8機が飛来し、爆弾18発、民家など50数軒を破壊し、28人を爆殺、30人以上を負傷させたと中国側資料にある。

*同日:福建省福州市の交通部、通信所および市街の軍事施設を爆撃。

*同日:湖北省襄陽、河南省南陽、陝西省西安の各重要拠点を爆撃、別途、湖北省宜昌の飛行場、兵営を爆撃。

*同日:湖北省襄陽と宜昌を通る漢水沿岸を襲撃、いくつかの橋梁を爆破し、中国軍の退路を遮断した。

(5月7−8日:天候悪く重慶を爆撃できず)

*5月8日:江西省南昌方面・九江市湖口の中国軍拠点を爆撃。

*同日:福建省南平市延平を爆撃、省政府や軍拠点の大建築物を爆破。福州市では南台江岸の軍需倉庫および軍拠点、主要工場を爆撃、「大なる損害を与えた」。南平市についての中国側の記録は「4機が南平の中華路地区を空襲、爆弾10発を投下、機銃掃射で南平中学校の光国堂や図書室などの建物や民家を多数破壊し、その他も含めて市民11人が死亡、7人が負傷」とある。

*同日:海南省の司令部がある屯昌県岭肚村を爆撃。

*同日:陸軍部攻略戦に協力して海南省瓊中県嶺門、南濫を爆撃、撃墜一機、逆に一機撃墜され敵陣地に自爆。

*同日:陝西省西安飛行場を爆撃。

*同日:河南省の光州、正陽、方城、舞陽、南陽等を退却する部隊を捕捉し爆撃。

*5月9日:湖北省襄陽、河南省南陽街道に溢れる兵馬、車両の大群を爆撃、「大なる戦果をあげた」。

*同日:爆撃機3機が河南省南陽市社旗の橋頭街で行われていた古会に集った市民を爆撃、機銃掃射し、30数名の住民が爆撃されて死亡した。その中には小さな男の子をかばって自分の体の下に隠したが、及ばず二人とも死んでいた例もあった。(この日はおそらく上記の爆撃隊から数機が市街地の一般群衆を見て爆撃を仕掛けたものと思われる)

*同日:浙江省寧波市三江口、温州市羅渓、江西省南昌市進賢を爆撃。

*同日:四川省雅安市揚家山付近、湖南省長沙市瀏陽大平関、湖北省襄樊の石繝舗を爆撃。

*同日:福建省三明市永安・泉州市・厦門(あもい)島、広東省湛江市徐聞(海南島対岸)、海南省嶺門、南濫方面を爆撃。

*同日:重慶を爆撃。

*5月10日:河南省南陽市鄧県に4機が飛来、城内を4周し、張村に30数発の爆弾を投下した。それ以降1941年2月まで、日本軍機は60数機を派遣し、順次、鄧県境で490数発を投下し、123人が爆撃死し、52人を傷害を負い、役牛53頭などを爆撃で失った、家屋640余軒を破壊し、多くの樹木が倒された。

*同日: 15機が重慶で40数発の爆弾を投下、120数棟の家屋を爆破し、7人が死亡、30人余りが負傷。

*同日:山東省煙台市莱陽付近、同省聊城市徐翼(現・陽穀県)、江西省南昌市松湖街、湖南省大平関を爆撃。

*同日:浙江省寧波市鎮海砲台、市営車庫、修理工場を爆撃。また汀露渠(省市不明)飛行場を爆撃。

*同日:福建省竜岩市長汀県に2機が侵入、3発の重量爆弾を投下し、まだ完成していない県政府の講堂及び付近の民家24棟と商店3軒を爆破した。往塘湾哩で1人が爆死、4人が負傷した。

*5月11日:山東省莱陽を爆撃。

*同日:湖北・河南省境に中国軍九個師団を追い詰めた地上部隊に呼応して〇〇(新聞ではわざと隠している)を痛爆、さらに続く敗残部隊に急降下機銃掃射を「敢行し多大の戦果を収めた」。

*同日:数十回に分けて重慶に侵入、各回は約3−5機から9機が市区、市郊外に560発以上の爆弾を投下した。

*5月12日:27機が薄暮から夜間にかけて重慶を三度襲撃し、65個の爆弾と51個の焼夷弾を投下した。市街地の棗子嵐坡、江北米亭子などが爆破され、62人が死亡し、348人が負傷、家屋362軒が破壊され焼失した。中国空軍は応戦し、一機が撃墜されたが日本機3機(5機とも)を撃墜した。(これは日本側の記録では第三次爆撃で、重慶を流れる嘉陵江対岸の江北の防空陣地、軍事施設を爆撃し「多大の損害を与えた」とある)

*同日:広東省韶関市南雄・翁源を爆撃。翁源では司令部隊、さらに翁源東方の渡河地点に集結するトラック140台のうち80数台を破壊した。

*同日:広東省肇(ちょう)慶市高要で南岸の軍事施設、多数の軍用船艇を撃沈、別途広西省欽県を爆撃。

*同日:湖南省衡陽飛行場および施設を爆撃、また浙江省寧波の市内に散在する兵舎などを爆撃。

*同日:福建省漳州市海澄県の肇慶道に多数の爆弾を投下、数十間の家屋が倒壊した。同省厦門市嵩嶼(すうしょ)を爆撃。また同安県西安路の中華百貨店を爆破し、客と通行人計19人が死亡した。

*同日:広東省汕頭市海靖、雷州半島の逐渓、海南島の保停営を爆撃。

*同日:河南省南陽を目指して退却中の中国軍部隊に対し、数次にわたり爆撃、「この日の獲物は各隊合計トラック百数十台、輜重車二百車輌、兵二万余に上る」。

*同日:南陽市東南方35kmの要衝〇〇(唐河県か)を猛爆し火災を生じさせた。

【新たな毒ガス使用と秘匿の指示】

 5月13日、前年からの数度にわたる指示に続き、大陸指代452号として陸軍参謀本部から新たな毒ガス使用の指示がなされた。大陸命第241号に基づく指示として、北支那方面軍司令官宛に「黄剤(びらん症状を引き起こすガス剤)等の特種資材を使用し其作戦上の価値を研究すべし」、「使用の秘匿に関しては万般の処置を構ず/特に第三国人に対する被害を絶無ならしむると共に秘匿すること/支那軍以外の一般支那人に対する被害は極力少なからしむ/実施は山西省内の僻地に於いて秘匿の為に便利なる局地に限定し試験研究の目的を達する最小限とす」とあり、第三国人つまり欧米諸国人に被害を与えて世界のニュースにならないようにと念を押している。

*5月13日:日本軍機9機が河南省南陽市新野県の韓営村に9機が南から飛来し、爆弾90発余りを投下した。すぐに火の手が上がり126戸の村全体が一面の火の海になって34人が死亡した。

*同日:広東省翁源東南方面で移動中のトラック80輌以上を破壊、炎上させ、北方地区で燃料集積所を爆破。

*同日:山東省威海市威海衛付近、浙江省紹興を爆撃。

*同日:江西省玉山飛行場の軍事施設を爆撃、また南昌付近の地上部隊作戦にし、市汊街・岡上街・何村を爆撃。

*同日:江西省九江市彭沢東方に集中する中国軍部隊を爆撃。

*同日:福建省漳州・厦門市集美・嵩嶼、龍岩市新羅区東肖、福州市陽光、広東省珠海市の万山島を爆撃。

*同日:残敵掃討として、海南島儋(だん)州市南豊・保停営・楽安を爆撃。また雷州半島遂渓の市街を爆撃。

*同日:深夜、浙江省金華市に日本機の夜襲があり、住民はあわてて浮き橋を渡って対岸に逃げようとしたが、船が転覆し、80人余りが溺れて死亡した。

〇 陸軍飛行隊は「この2日から13日までの間に地上軍の「湖北大殲滅戦」に協力、出動延べ機数〇〇機をもって約200回にわたり猛爆撃を敢行、百十余ヶ所に総計〇〇トンの爆弾を投下、敵死傷一万数千を出した」(支那事変画報第60集より)と記録しているが、上記の同期間の記録のうち、陸軍飛行隊の爆撃は1/5にも満たない。つまり筆者も目につく事例はほとんど挿入しているつもりであるが、これでも抜け落ちている記録がかなり多いことがわかる。

【南陽市桐柏:延べ1357機による爆撃】

*5月14日:河南省南陽市桐柏を前年から4度目に襲撃し安棚鎮を爆撃、住民と中国軍兵士百人余りが爆死した。この後日本陸軍は桐柏に侵入して、ガソリンで月河通りの民家を燃やし、たちまち400軒の家が火の海になった。また新集街の家も一度に焼き払い、栗楼高寨村に百余発の砲撃を行い、村の五百軒の家屋が破壊された。さらに半固県街の家屋を五百軒も燃やしたが、関帝廟の家だけで80戸以上が焼失、程湾郷の158軒の家々も二日間で焼失させ、何千何万という人民が帰るところがなくなり、流浪した。この後の占領期間も含めて、桐柏県の15の郷鎮のうち388の村が日本軍の鉄蹄に踏みにじられ、1103人が殺され、1204人が重軽傷を負い、127世帯が消え、3875戸が被害にあい、婦女子暴行285人、金品強奪4万8千204件、爆撃飛行機延べ1357機、爆弾1351発、機銃掃射3149回、焼失した家は7156軒であった。(『日軍侵華暴行実録』第2巻)

*同日:浙江省寧波市街中央部の軍事施設を爆撃、また紹興の兵営を「粉砕」。

*同日:山東省煙台市棲霞県を爆撃。

*同日:福建省漳州市漳浦の市街の軍事施設、泉州市南安の軍事拠点、厦門付近の海南島砲台、石塘社、恵州市澳頭を爆撃。中国側の記述では、漳州市漳浦は「日本機3機が県城東門外の林の中で掃射し、数発を投下した」とあり、南安は「7機が南安県城(豊州鎮)に侵入、7発の爆弾を投下。そのひとつがキリスト教礼拝堂の入り口に落ち1人が死亡、また4発が県城の東北にある民家に落とされ8人が全員爆死し、血と肉が近隣の家屋の屋根に飛び散った。豊洲小学校の庭にも一弾が落ち、日本軍機が機関銃で掃射、校舎の屋根は何も残らなかった」とあって、軍事拠点ではない。

*同日:福建省を流れる漳江付近、広東省潮州・江門市台山・汕頭市海門島砲台を爆撃。

*同日:海南省万寧・儋州市那大・南豊・楽安を爆撃。

*5月15日:山東省棲霞県城外、江西省広昌・吉安両飛行場を爆撃。

*同日:江西省九江市彭沢、大平関付近の中国軍部隊を爆撃、潰走させた。

*同日:湖北省黄岡市武穴東方官橋付近に集結する約二千の部隊を猛爆。

*同日:福建省三明市永安・嵩嶼を爆撃。永安では約20発の爆弾を投下し多くの建物を破壊した。中でも郡刑務所の被害が最も大きく、20人以上が死亡、負傷は10人以上。

*同日:海南省那大・南豊・万寧・楽安を爆撃。

*5月16日:江西省南昌、江西省東部を流れる撫河付近、九江市大平関を急襲し「大打撃を与えた」。

*同日:福建省莆田市石尾・嵩嶼、漳州市龍溪吾貫を爆撃。

*同日:15機が陝西省漢中市南鄭県城を爆撃、爆弾100発以上を投下し、死傷者100人以上を出した。

▽ 5月16日、10日に日本軍は厦門の鼓浪嶼を突然占領したが、この日英、仏、米3カ国の海兵隊が上陸し、翌日には日本軍は撤退を余儀なくされた。。

*5月17日:12機が再度南鄭県城を爆撃し、大型爆弾約50発を投下、死傷者8人、家屋56棟を破壊した。このうち、石灰巷では7発の爆弾を受け、中央銀行の倉庫が破壊された。この後、県の各機関・団体・学校が郊外に移転し、商店は正常に営業できなくなった。

【寺院に集った人々を爆撃】

*同日:河南省舞陽県王店郷に3機が、ある寺院の古刹大会に参加した民衆を爆撃し、500人以上が死傷した。(わざわざ祭りなどに集まった人々を狙って日本軍が爆撃した例は結構多い。偵察している途中で人の集まるところを狙っての意図的な無差別爆撃である)

*同日:陸軍部隊の掃討戦に協力、江西省大平関、南昌市新村墟・東湖区王家を爆撃。

*同日:広東省汕頭を反復爆撃、また茂名市電白港を海軍船艇と協力して軍事施設や兵営を爆撃。

*同日:福建省福州の外港馬尾の桟橋や倉庫、工場数棟、漳州市東山県銅山営を爆撃。

*同日:36機が湖北省襄陽市光化県城を爆撃し、家屋は瓦礫と化し、多くの死傷者を出した。午後、18機が同市老河口鎮を爆撃し、光化、老河口で1000人余りの死傷者を出し、家屋100棟余りが破壊された。

*同日:3機が湖北省襄陽市谷城に襲来、旋回しながら老街や米粮街を爆撃、30人が爆死、44人が重軽傷、家屋100戸余りが焼かれた。谷城は全部で22回爆撃を受け、702人の住民が死傷し、724軒の民家が焼失した。

*5月18日:正午、湖北省随州市随県を18機が3機ずつの編隊で次々と爆撃し、爆弾、焼夷弾100発余りを投下、さらに9機が城の上空に来襲、爆弾、焼夷弾4、50発を投下、大部分は青城内と大十字街付近に落ちた。青城内の北門近くの何宝富の家九間、三階が一発の爆弾ですべて破壊された。穴の深さは8mで、30人余りが爆死した。大十字街口東南角に貨物集積店が二つの路地に並び、当時、河南省の農民がごま油や山の品物を県城内に売りに来た。両路地の荷造り屋にはそれぞれ100人余りの人が住んでいたが、住民たちは貨物の紛失を恐れて遠くへ行こうとせず路地の中に隠れていた。結果的に人も荷も両方とも失われた。この二路だけで300余人の爆死者が出て、この日、約800人が死亡した。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*同日:広東省汕頭市・電白港、広西省南寧市馬山県湖陽、福建省福州市馬尾を爆撃。

*同日:陝西省渭南市潼(どう)関を朝と午後襲撃、地上軍と協力し中国軍陣地に「巨弾を投じ完膚なきまで粉砕した」。

*5月19日:山東省煙台市芝罘(しふう)付近を艦載機隊が10カ所を爆撃。

*同日:広東省雷州半島逐渓を偵察攻撃、市内外の軍事施設および機銃陣地を爆砕し一機を撃墜したが一機が対空砲火で撃墜され、相手陣地に突入、自爆した。

*同日:福建省福州の主要軍事施設、製材工場、小型軍用艇を爆撃。

*同日:広西省北海を海軍艦艇と協力して襲い、陣地や軍需倉庫、市内軍事施設を爆撃、「大打撃を与えた」。

*5月20日:山東省烟台福山楼・威海市葛家集・同市憑家集〈文登の西南〉、安徽省績渓県霞間、江西省南昌市新村墟を爆撃。

*同日:福建省福州・厦門と鼓浪嶼島を延べ約30機が反復爆撃、「甚大な損害を与えた」。

*同日:福建省漳州市海澄県華瑶村と他の二つの村が爆撃を受け、数名が爆死した。

*同日:広東省雷州半島遂渓、広西省北海を爆撃。

*同日:18日に続いて陝西省潼関を2回にわたり爆撃、陣地および鉄道を粉砕。

*同日:午後、3機が広東省茂名市の麻仔崗に低空で飛来した。その時ちょうど葬儀を行っていた人々が慌てて逃げたが、敵機は狂ったように機銃掃射して、その場で軍民30数人を爆死させた。

*同日:2機が安徽省合肥市肥東県梁園鎮に対して2回目の爆撃を行い、住民多数が爆死。

*同日:午前、河南省南陽市内郷県の灌張鋪の西稜から東の斜面までの約5kmの狭い道のりで物資輸送を担う牛車の一隊と兵器弾薬を積んだ1台のトラックが西から東へ走り、そこに6機が飛来、上空を旋回しつつ急降下し、爆撃を6回繰り返し、爆弾を36発投下した。そこでトラックに積まれた弾薬が爆発、硝煙と火焔が満天に広がり、人や家畜が殺傷され、一面に軍の糧食や軍需物資が散乱した。再び3機が飛来し、道路沿いに繰り返し爆撃掃射を行い、18人が死亡、34人が負傷、爆殺された家畜牛は76頭、爆破された牛車は230台その他で、損失は甚大であった。(『侵華日軍暴行総録』)

*5月21日:江西省撫河、江蘇省揚州市高郵・蕪湖市繁昌を爆撃。

*同日:海南省陵水・黄流・楽安を爆撃。

*同日:山東省煙台市芝罘から退去している敗残部隊の掃討で拠点を爆破。

*同日:地上軍砲撃部隊と協力し陝西省潼関の陣地および隴海線を爆撃、トンネルを崩壊させ、隴海線を完全に遮断した。

*同日:山西省曲沃方面の中国軍部隊を急襲し「殲滅」した。

*同日:この日から24日まで「山東省莱陽市、泊兒鎮、済寧市夏村などを連続爆撃。

*5月22日:江蘇省繁昌・高郵、江西省新村墟・撫州、浙江省寧波市鎮海・温州を爆撃。

*同日:海南省昌江・陵水・北黎を爆撃。

*同日:福建省厦門鼓浪嶼対岸の新安・高嶼などの拠点を反復爆撃。

*同日:湖南省洞庭湖に流入する新牆(しょう)河岸の中国軍陣地に大挙して攻撃、4回にわたり猛爆、さらに新牆市街の「軍事施設」を粉砕。

*5月23日:福建省泉州・永春を爆撃、「敵の軍事施設を粉砕した」。広東省珠海市淇澳島対岸を爆撃。

*同日:連日で厦門および鼓浪嶼付近の陣地を爆撃、「敵拠点部落八ヶ所に大火災を生ぜしめ多大の戦果を収めた」。

*同日:浙江省温州の製材工場や倉庫群を爆破、別途、黄華村の兵営や陣地を爆砕、「大損害を与えた」。

*同日:海南島の昌江、北黎を攻撃、軍事施設に「猛烈な火災を起こさしめた」。

【西安の防空壕大惨事】

*5月24日:日本軍機が陝西省西安を空襲、住民は次々に避難所に逃げ込んだ。大学街、小学街、洒金橋、麦市、寺院5カ所などを爆撃、また西大街橋梓口には大きな防空壕が掘られており、近隣の漢、回教族の人々の多くが避難した。この防空壕に爆弾三発が落ち住民1000人以上が生き埋めになり圧死、窒息死した。これは抗日戦争期の西安で最大の惨事である。空爆後、警察は道路を封鎖、人員を動員して瓦礫を取り除き、遺体を掘り出したが惨状は目に余るものだった。 (この日の爆撃記録は日本側にはない)

*同日:福建省竜岩飛行場を3機が急襲、兵舎や施設を爆撃、その他簡師、塔巷、南門外溪辺、小学校及び竜岩師範学校などを爆撃し、死亡4人、負傷7人。

*同日:広東省汕頭・潮陽では橋梁や倉庫、別途、淇澳島対岸、海南島昌江を爆撃。

*同日:山東半島の莱陽市の拠点を地上部隊と連動して「猛烈な爆撃を加え、徹底的打撃を与えた。

*同日:山西省晋中市西寨郷の共産党陣地を爆撃。

*5月25日:夕刻、重慶市街地培(ふ)陵などを39機のうち27機が襲撃し、他の12機が巴県の広陽壩(ダム)と双河などを襲撃、そのうち重慶市区には、爆弾91発、焼夷弾19発を投下し、市民404人が死亡し、516人が負傷(199人の死傷者とも)、家屋126棟と400戸が破壊された。また重慶郊外の広陽壩飛行場を夜間爆撃、空中戦で1機を撃墜、日本機は2機撃墜された。

 これは日本側の記録では、いつもの軍事施設、政府関係施設を爆撃と記した後、「前三回の爆撃でなお残された重慶市内の中心施設も今次の爆撃で完全に壊滅に帰し、市内は焔々たる火炎に包まれた」とある。またこの日は第四次爆撃としているが、その前後にも隙を見て重慶を爆撃しているから、そのまま受け取れない。

*同日:山東省煙台市招遠東北、浙江省鎮海・温州を爆撃。

*同日:広東省韶関市・汕頭市海門、福建省泉州・厦門圭嶼・興化を爆撃。このうち泉州では、「3機が永春県城上空に飛来、6発の爆弾を投下し、住民3人を爆死させ、10人を負傷させた」となっている。

*同日:午後2時、3機が福建省莆田県城に侵入、8発の爆弾を投下、2人を負傷させ、哲元(現・梅峰)小学校の2つの教室を破壊した。

*同日:広東省の翁源、韶関を別途爆撃。

*同日:陸軍地上部隊の作戦に協力して江西省南昌新村墟を連続爆撃、「多大の戦果を収めた」。

*5月26日:江西省新村墟、福建省福州・廈門市集美を爆撃。

*同日:続けて重慶を爆撃。

△ 5/22−5/26、第五次珠江湾(広州、香港、深圳市、東莞市、マカオを結ぶ三角地帯)のジャンク船掃蕩作戦。

*5月27日:広西省潭江・西江、海南省楽東県千家鎮を爆撃。

*同日:福建省福州市を偵察爆撃。とあるが、「午後、1機が福州市福清県城に侵入、較場埔墘柳池頭地区に向けて爆弾を投下、4人を爆死させた」となっている。

*同日:午後一時頃、8機が、占領地厦門から福建省漳州市東山に飛来、24発を連続して投下、民家83軒、祠宇1軒を爆破し、住民39人が爆死、45人が負傷。

*5月28日:福州市倉山南台の発電廠、興化(現・莆田市)で荷揚げ中の桟橋、泉州、また福建省閩江上にて敵軍用汽艇一隻撃沈。

*同日: 安徽省安慶市 望江県凉泉郷を爆撃、住民14人が死亡、20人が負傷した。

*5月29日:広東省韶関市を再度爆撃。

*同日:山東省莱陽、福建省福州を数度、海南島感恩を2度爆撃し、大損害を与える。

*5月30日:福建省福州金牌山の砲台、海南省万寧の軍拠点、北黎市内軍事施設を爆破、炎焼させた。

*同日:山東省煙台山長門の砲台、莱陽を爆撃、「壊滅的打撃を与えた」。

*5月31日:山東省日照市、煙台市莱陽を爆撃、「甚大な損害を与えた」。

*同日:福建省福州市、甫田市で市内軍事施設、荷揚げ中の桟橋・軍需品倉庫、泉州市恵安で駐屯地の建築物を爆破、漳州市石碼で軍需品工場・兵営、厦門市角尾で兵営、興化を爆撃。ただし甫田は中国側の記録では、「9機の日本機が2度甫田県城上空に飛来、爆弾13発を投下、本仓巷の民家や城東お中心部にある小学校の寮など28棟の家屋を爆破」となっている。

*同日:福建省漳州市海澄県の市街地から5km離れた傍山的村庄白水营垀は安全な地帯と思われたが爆撃を受けた。午後、3機が鶏市、中街、五爺廟后と三宝竹仔足に3、4回急降下し、8発の爆弾を投下、さらに低空で一回の機銃掃射で5人が爆死、4人負傷、民家数十軒を破壊した。これは意図的に民間人を爆撃の対象にして、殺すことを楽しみにしているとしか思えない。こうした様子は後の米軍による日本への爆撃時にも見られる。

*同日:午前8時頃、7機が福建省泉州市恵安県城に侵入、3機は去ったが残った4機が急降下して城区に爆弾を投下、恵安中学校や住宅40軒が破壊され、8人が爆死、4人が重傷を負った。

*同日:海南省万寧の拠点の大部隊、北黎港を反復爆撃。

*同日:再び湖北省襄陽市老河口を爆撃。南街の防空壕が崩壊、26人が生き埋めになる。

*5月某日:福建省寧徳市福安県城に侵入、賽岐上空に飛来、江上に停泊中の船を標的に9発の爆弾を投下し、さらに江沿いの両岸に機銃を乱射し、漁民2人を射殺した。

△ 2月下旬より「襄陽東方作戦」が実施され、それに呼応して陸軍飛行隊の「出動は延べ一千数百機、爆撃回数は敵主陣地に60数回、兵站線・軍事施設に70数回、密集部隊に50数回におよんだ」とある。当然ながらこの記録の中ではそこまで把握できていない。

6月

*1939年6月1日:山東省煙台市海陽・日照市莒県、浙江省寧波市慈谿を爆撃。

*同日:福建省漳州市内と竜渓県(現・竜海県)石碼の主要軍事施設、泉州市内中央部の陣地、寧徳市新橋頭を爆撃。石碼では武廟、直扶街と下碼尾などに着弾、10数人が死傷。

*同日:江西省南昌市進賢を急襲、「巨弾の雨を降らせ軍用トラック50余台を木っ端微塵に爆砕」、さらに南昌市滁槎で兵馬二千を爆撃。

*同日:安徽省安慶市太湖、高家埠、段家淮を爆撃。

*6月2日:江蘇省塩城北端の兵営を爆撃。

*同日:安徽省安慶東北方の池州、青陽を急襲、「蠢動する敵一線部隊に巨弾を投じ、これを潰乱せしめた」。

*6月3日:江蘇省燕城の兵営、東台の新設無線台、浙江省寧波江岸の軍事施設、倉庫を多数爆撃。

*同日:海南省感恩を急襲、主要軍事施設を爆撃。

*同日:7機が福建省甫田県城を爆撃、爆弾13発を投下、私立東山職業訓練学校の校舎を破壊し、学生2人が死亡、女性2人が負傷した。

*6月4日:江西省撫州で軍事施設等、同省折贛鉄道沿線の萍(へい)郷市・鷹潭(ようたん)市貴渓・上饒(じょう)市広信で運行中の列車などを爆撃。

*同日:福建省竜岩市上杭城区を爆撃し、15人が死亡、30人が負傷し、93軒の家屋(内学校3校)が爆破された。

*同日:広東省潮州市意渓、雲南省河口鎮でトラック軍、海南省感恩を爆撃。

*同日:6機が陝西省楡林市呉堡県の李家溝八路軍陣地に対して爆撃。

*同日:浙江省麗水市遂昌県倉山に、細菌を混ぜた菓子などを飛行機から散布した。

*6月5日:江蘇省塩城、浙江省紹興市内の軍事施設、兵営を爆撃。

*同日:江西省吉安・泰和の重要軍需施設などを「猛爆し驚異的打撃を与え」、南昌市岡上街で駐屯中の部隊を爆撃、「壊滅せしめた」。 

*同日:9機が交互に江西省南昌市温家圳を爆撃し、24発の爆弾を投下、民間人36人が爆死、100人余りが負傷、民家5棟が爆破され、民間船4隻が爆沈。

*同日:広東省梅県(梅州)市軍司令部と興寧の兵舎、同省珠江流域、新会付近の小型船艇軍を爆撃大破させたが、「わが一機は不幸敵弾を被り勇敢にも敵陣に突入自爆した」。別途、海南島保停営で新設兵舎などを爆撃。

*同日:山西省呂梁市柳林鎮・五石寨の陣地を猛爆、さらに陝西省榆林市綏(えん)徳で敗走中の兵集団に「巨弾の雨を降らせ」、次に黄河渡河地点である山西省磧口鎮および渡河軍、船艇群を「猛爆、粉砕」。

*6月5、7日:江蘇省宜興市官林の蔵村、閘門、豊義に初爆撃。一人が死亡しただけであったが、官林はまだ戦闘の影響がなく比較的安全として続々と避難民が入ってきていた。7日、晴れの午後2時ごろ、市街は人々で雑踏の中にあった。急に爆撃機3機が現れ急降下して爆弾を投下、人々は先を争って逃げ大混乱となった。約14個の焼夷弾を投下、軽・重量爆弾15、6個を投下し、北街は銃撃掃射を浴びた。爆死及び重傷致死者約61名、軽傷者27名。その中で最も悲惨だったのは二人の女性で、一人は家の中で幼児を抱いて座っていたがその頭を爆破され、幼児は分からずに笑っていた。もう一人は妊婦で腹を穿かれ無残にも胎児は数メートル外へ放り出された(『日軍侵華暴行実録』第3巻)。

*6月6日:広西省南寧を急襲、市東部の軍事施設、倉庫群に「巨弾を投じ破壊」、その西方の鬱江(雲南省東部から広西省南部を流れる河)において大小の軍用汽艇を攻撃、その大部分を粉砕、炎上させた。

【捕虜の虐殺】

*同日:日本軍は第20師団と第37師団等の混成部隊と飛行大隊の航空機38機を加え、計3万の兵力を集結、山西省山西省南部の中条山を大掃討する作戦に出た。当日の未明、中条山に駐屯していた中国軍38軍と96軍の陣地に対し、奇襲的に総攻撃をしかけ、中国軍は多くの死傷者を出し、午後11時に運城市平陸県県城は日本軍に占領された。8日正午以降、沙口灘周辺の高地はすべて日本軍に占領され、抵抗力のない中国軍兵士や民間人は、低空で旋回する飛行機の機銃掃射と大砲の砲撃を受けて敗走した。日本軍は捕虜にして戦闘能力を失った中国将兵と罪のない民間人5、600人を沙口村東道壕の畑に集め、全員銃剣で刺し殺した。こうした日本軍の空襲、砲撃、銃殺、刺殺によって平陸県では5000人以上の中国軍兵士と民間人が死亡した。(『侵華日軍暴行総録』)

*6月7日:山東省日照市夾倉鎮を爆撃、また浙江省鎮海の発電所を攻撃し、「壊滅的損害を与えたが、わが一機は敵弾を被り勇敢にも敵陣目がけて突入し壮烈な最後を遂げた」。

*同日:湖北省恩施、四川省万県(現・重慶市万州区)の「重要軍事施設」を爆撃、恩施市内では10カ所で猛烈な火災が生じた。この日は当初、36機により重慶爆撃に出撃するも天候不良により、9機は恩施を爆撃、27機は引き返すが、万県には爆弾25発が投下され、2人死亡、6人負傷。

*同日:浙江省杭州市蕭山の南陽、靖江などに白い綿状の細菌弾を投下。

【傷病兵病院と多数の負傷兵を移送中の船を爆撃】

*6月7−8日:湖南省岳陽市湘陰県を爆撃。 午後2時頃、日本軍機1機が湘陰県城の上空に飛来、人口密集地の南門に大型爆弾を投下、続いて1編隊3機が次々と県城に爆弾を投下、また低空で機銃掃射し、南門、東門一帯の大部分の家屋が破壊され、避難出来なかった住民は爆死した。翌日の午前中、市民が悲しみに耐えて肉親の遺体を集め、被爆物を整理していると、再び日本機がやってきて、北門外の傷病兵病院に集中爆撃を行った。病院の7、8棟が被爆し完全に破壊され、院内には長沙に移送される負傷兵600−700人が船に乗込むところで、日本機はそれを発見、県城から10km余離れた萝卜洲まで追撃、船を一隻ずつ爆撃して負傷兵と乗員全員が死亡した。この二度の爆撃で住民1000人以上と城の守備隊兵士1700人以上が死亡、船舶70隻以上が爆破された。東正街、三井頭、衙前街、豊厚街などの家屋がすべて爆破され、曹吉安、宋鉄洋鉄鋪、任家秤鋪などで42戸の家族全員が爆破され絶家となった。(『侵華日軍暴行総録』)

*6月7、10日:国民党山東省政府の拠点がある沂源県東里店に日本軍は攻撃を仕掛け、7日午前10時、15機が出動、東里店の南から北へと襲撃した。先頭の7機が次々と爆弾と焼夷弾を投下、東里店の街は炎上、4、50人が死傷し、街中には手足や肉片が飛び散った。東里店の住民は村の前にある河川の浅瀬に逃げた。第2陣の8機の爆撃で被害はさらに広がり、遺体が見つからないものもあった。さらに10日、日本軍1機が東里店に10発の爆弾を投下、焼け残っていた家屋は焼失した。この2回の日本軍機の爆撃で300人以上が死亡、4000間以上の家屋が灰になった。(『侵華日軍暴行総録』)

*6月8日:浙江省鎮海(複数)・温州・台州を爆撃。

*同日:江西省撫州・新村墟において地上部隊に協力、一帯に「爆弾の雨を降らせた」。

*同日:福建省泉州、広東省韶関市・汕頭市海門方面、雷州半島石城を爆撃。

*同日:四川省広元市、内江市威遠の各砲台、および港口(地区特定できず)市街の陣地を爆砕。

*同日:陸軍の魯南(山東省南部)作戦に協力し、この日と翌日にわたって日照市莒県・石臼港その他を爆撃。

*6月9日:陸海航空隊の27機が三回に分かれ重慶の市街地を夜間爆撃(第五次)、「市街重要軍事施設に的確な命中弾をもって全市を黒煙に包み、首都を大混乱に陥れ」、空中戦で5機を撃墜、2機が中国空軍に撃墜された。さらに別働隊が再度重慶を襲い、重要施設を破壊した。中国側の資料では、「市区の商業地区40カ所が爆撃を受け、爆弾69発により12人死亡、12人負傷(25人死亡、19人負傷とも)、建物90軒余が破壊された」となる」。

*同日:甘粛省広河県三庄、 河北省沈家村沈畦・邯鄲市劉家庄、湖北省恩施市・荊門市九里波、河南省安陽市黄華村を爆撃。

*同日:折贛・粤(えつ)漢沿線の湖南省衡陽、江西省萍郷、上饒市玉山を攻撃し、衡陽では飛行場、萍郷および玉山では軍事施設、駅構内の貨車・鉄路を爆撃、さらに江西省鷹潭では貨車や自動車群を銃撃し、「潰走せしめた」。実際には 衡陽は城の南蘇修一帯に爆弾を投下、家屋200棟以上を爆破し、住民1000人以上が死傷した。

*同日:浙江省温州では倉庫群、甌江下流の中国軍陣地、盤石下流桟橋付近、松興半島、台州市を爆撃。

*同日:広東省海門鎮、広西省南寧、海南省万寧市和楽鎮を爆撃、南寧では北部の倉庫群のほとんどを全壊、もしくは炎焼させ、市外のトラック群20台に損害、さらに福建省閩江河口にある金牌門付近の汽船を爆沈あるいは大破させた。

*同日:広東省雷州半島の湛江市石城市内軍事施設、軍需倉庫を爆撃、数カ所に大火災を生じさせた。

*6月9日:2機が安徽省宣城市郎渓、梅渚を爆破し、10数発の爆弾を投下し、66人が死亡、13人が負傷した。

*6月10日:浙江省鎮海、湖北省宜昌市伍家鄕麻伍、広東省宏遠砲台の兵舎・火薬庫、同省潮州市拓林付近を爆撃。

*同日:浙江省温州の甌江一帯の陣地を連日爆撃。

【日本軍のアヘン栽培】

◎ この日、国際連盟アヘン委員会はジュネーブで声明を発表し、日本軍がその占領区でアヘンの栽培を強要し、中国人民を毒していることを非難した。

*6月11日:夕刻、重慶に27機が第六次攻撃をおこない、敵軍事施設を爆撃して大火災を起こさせた(空中戦で2機を撃墜)。一方で中国側の記述では、「重慶の市街地に27機が爆弾116発と焼夷弾17個を落とし、180人が死亡し、85人が負傷し、家屋42棟69軒が破壊された(高射砲で日本機2機を撃墜)」とある。

*同日:別途、四川省成都に27機が出撃し(空中戦で4機を撃墜)、中国軍司令部を目標として爆撃、「多大の損害を与えた」。一方で中国側の記述は「人口の密集した都市部(西大街等)に111個の爆弾と焼夷弾を投下し、あちこちで火災が発生、226人の市民を殺害し、432人を負傷させ、家屋4709軒を破壊した」とある。

*6月12日:浙江省寧波市余姚を2機が来襲、新筑路桐江橋一帯に、焼夷弾2発、開花爆弾4発を投下し、一人を爆死させ、70余軒の店舗を焼失させた。

*同日:江西省吉安(市街の軍事施設を三度)・泰和(陣地および自動車群)・贛州を爆撃、「甚大なる爆撃戦果を収めた」。

【キリスト教会を完全に破壊】

*6月13日:27機が重慶爆撃に出撃するも天候不良のため湖南省常徳市へ変更し爆撃する。 中国側の記録ではこの結果、常徳市桃源を爆撃、数機が県城の南街、后港一帯を爆撃し数十棟の家屋を爆破、米国人のキリスト教会の屋根には米国国旗、教会内の芝生には米国国旗が描かれた大きな板が敷かれていたが難を免れることができず、教会は完全に破壊された。その後、2人のアメリカ人宣教師は桃源から帰国した。

*同日:山東省日照市石臼所、威海市鹿道口、河南省済源迸源、江西省吉安・贛州・南昌方面を爆撃。

*同日:福建省閩(びん)江・福州金牌門・長門・閩安鎮の各砲台を爆撃。、雷光山、広西の各砲台

*同日:広東省汕頭市済北堤を翌日も含めて連続で爆撃、。

*同日:広西省南寧を爆撃。

*同日:浙江省杭州市蕭山区靖江と義盛の上空から細菌弾を投下した。多くの村民が感染した後、嘔吐と下痢、四肢の感覚が麻痺し、惨死した。

*6月14日:河南省益陽市を6機が爆撃、頭堡、二堡、三堡一帯に爆弾10発余りを次々と投下し、家屋100軒余りを爆破、死傷した市民は291人。

*同日:山東省煙台市芝罘(しふう)・威海衛付近、湖南省長沙市白水湾、湖北省南西部を流れる清江、浙江省寧波市慈谿、福建省南平市浦城を爆撃。

*同日:江西省吉安市と新淦(現・新幹)を爆撃、吉安では師範附属小学校の地下室に避難した子供たちと吉安会館に避難した人々の多くが死亡した。

*同日:午後2時、江蘇省泰州を初爆撃。3機が南方から泰州城上空に侵入、ちょうど城北の大東橋の野菜市場には太鼓の演奏を聞く人が集まり、そこに連続して大量の爆弾を投下、現場には死骸が飛び散り、天井からは頭が落ち、腕が落ち、その惨状は見るに堪えず、40人を超える死傷者が出た。また123棟の家屋が爆破された。

*同日:福建省閩江・福州金牌門・閩安鎮の各砲台、海南省万寧市和楽鎮を爆撃。

*同日:9機が湖北省襄陽市光化県の府駐屯地を爆撃。

*6月15日:江西省宜春市高安県城、福建省福州を爆撃。

*同日:広西省南寧の市街地北部軍需品倉庫群を爆撃、うち4棟を焼失させた。

*同日:江西省上饒市広信の河口鎮の軍用車庫、格納庫、バス・トラック・乗用車30台を粉砕。

*同日:山東省淄(し)博市胡林・青島市万載・聊城市大橋、臨沂市竹園、麻仾(確認できず)の軍施設などに連日「爆弾の雨を降らせ甚大の戦果を収める」。

*同日:一機が福建省漳州市竜海を爆撃、5発を下仔尾通易公司、紫云岩寺一帯に投下、10数軒の家屋を爆破、6人死亡、14人負傷。

*6月16日:艦船機が山東省日照市と石臼所・安東衛付近の部落の中国軍兵を銃爆撃、「潰滅させる」。

*同日:浙江省浙贛鉄道への攻撃、および陸軍部隊の江西省南昌方面作戦に協力、また福州の偵察攻撃をおこない、長門砲台の砲座を破壊、さらに海南省万寧付近を爆撃。

*同日:午前、重慶涪陵区に9機が竜潭鎮を経由して2発の爆弾を投下、鎮街口河畔に落ちて爆発し、川で洗濯をしていた女性や遊んでいた子供7人が死亡、13人が負傷した。

*6月17日:成都の中国医学院が爆撃され、校舎は破壊された。

*同日:前日に続けて山東省安日照市および海南省万寧付近を爆撃。

*6月19日:浙江省紹興市内の軍事施設二ヶ所を爆撃。

*6月20日:広東省梅州市興寧・梅県、潮州市潮汕、福建省漳州市詔安・汕尾市陸豊、海南省楽安の中国軍拠点を爆撃。

【八路軍の戦績と傀儡軍からの寝返り】

▽ 6月20日、蕭向栄は『八路軍新四軍抗戦2年来の戦績』を発表し、両軍の主力部隊は2年来、計3219回の作戦で、日本軍7万2030人を銃殺傷し、1339人を捕虜にし、傀儡軍1万5430人を銃殺傷し、6615人を捕虜にしたと述べた。

*6月某日:日機は福建省漳州の北廓頂山頂巷の太陽公廟で爆弾一個を投下、廟の中で1人死亡した。

*6月某日:広東省仏山市高明県明城を爆撃、家屋、店舗数軒を爆破、5人が爆死。

【12時間連続爆撃】

*6月某日:(晴れた日曜日早朝)、まず3機が安徽省六安市金寨鎮に飛来、上空を旋回しつつ急降下し、内下町埠頭一帯を爆撃、次に3機が飛来し爆撃と機銃掃射を繰り返し、最後にまた3機が来襲、人だかりのある丘の周囲と丘の下の側溝沿いの一帯に照準を合わせ、罪のない民間人の体は飛び散り、爆発で巻き上げられた泥と砂利が周辺の人の全身を覆った。さらに午後になって三編成になって来襲、交互に爆撃爆射して、焼夷弾を投下、たちまち家々に火がつき、新しくできた街は、灰燼に帰した。一日に12時間連続して攻撃にさらされた金寨鎮は廃墟に変わり、目も当てられない悲惨な光景だった。この日一日で死者400余名、重軽傷者一千余名の犠牲者が出た。(『日軍侵華暴行実録』第3巻)

*6月21−26日:広東省の潮州市と汕頭市を日本陸軍増援部隊の上陸作戦支援のために連続爆撃。

*6月21日:汕頭市埼碌砲台を爆撃。

*同日:午前10時頃、陝西省楡林県城に5機が2回目の爆撃を行った。これにより城内に駐屯していた中国軍司令部は城外東南郊の金剛寺に移転した。

*同日:午前、江蘇省宜興市楊巷に2機が爆弾10数個を投下、市街の家屋66間、茅屋の焼却は20数箇所、川上の民船が六隻爆破され男女15人が死傷。午後3時、北方から4機来て、爆弾10個投下、また焼夷弾で家屋140間余りの焼却、民船が10隻で死傷者の60数人、楊巷鎮の華やかさは完全に破壊された。

△ 6月21日:陸上部隊は広東省汕頭港の要衝を占領した。

*同日:広東省河源市の竜川南方の抗日部隊を爆撃。また浙江省寧波市象山、江西省新村墟を爆撃。

*同日:3機が江蘇省揚州市の高郵城を爆撃、住民50人余りを殺害し、家屋数十軒を爆破した。ーー虐殺

*同日:午前、5機が楡林城を第二次爆撃し、爆弾は新明階下巷から蓮池一帯に落下し、住民の死傷者20余人、店舗家屋百軒以上を損壊。

*6月21、22日:21日は福建省竜岩市上杭城区、22日は竜岩市長汀を6機が爆撃し、約150人が爆死、民家20余軒、店舗80余軒を爆破。

*6月22日:浙江省寧波市象山県の丹城、墙頭を爆撃、民間人14人が死傷、民家20棟以上を爆破した。

*同日:午後、福建省竜岩市長汀県に3機が来襲、国民党県党本部と社壇前、報恩寺前、仙隠観前と水東街、半片街及び鶏毛洞、鋳鍋寮下などに14発の爆弾と焼夷弾を投下。水東街では直ちに炎上し、一昼夜燃え続けた。この爆撃で民家104棟、商店91軒、公共建物1棟が破壊され、20人以上が爆死、12人が負傷し、1500人が帰る家を失った。

*6月23日:江蘇省徐州市邳(ひ)州、江西省撫州市南城県、浙江省東北部の舟山島を爆撃。

*同日:福建省泉州市南安、竜岩市長汀、運平、林吾、舗前を爆撃。

*同日:広東省潮州市潮安、韶関市南雄、福建省竜岩市連城、江西省贛州を爆撃。これは日本側の記録だが、このうち竜岩市連城についての中国側の資料では、「単翼重爆撃機3機が県城上空に侵入、旋回飛行をして清流、寧化方向に向かったが、20分もしないうちに日本軍機は東北方向から折り返し、東台山の北面上空に飛来、爆弾13発(うち500ポンド12発、1000ポンド1発)が、県城東南の李坊村に投下された。村全体で6世帯の家屋が爆撃で全て破壊され、李坊村では合わせて75棟の家屋が爆破され、200軒が倒壊、家を失った人は計150人以上に上り、死者は20人、負傷者は23人であった」(『侵華日軍暴行総録』)となっている。

*同日:広東省梅州市豊順付近で迷彩を施した自動車群約40台を爆撃、炎焼せしめ、また江西省贛江で渡河中の自動車を銃爆撃し約20台を「烏有に帰せしめた」。

*同日:湖南省常徳を二隊に分かれて市内外の重要軍事施設を爆砕、さらに市街の対岸に密集していた軍用船艇群を粉砕。

*同日:安徽省宣城市広徳を5機が爆弾18発を投下、30人以上が爆死し、多くの重傷者が出た。

*同日:湖南省岳陽市湘陰の城内を猛爆し、市街道路上の自動車群約60台を壊滅。

*同日:地上軍に協力して江西省宜春市高安県一帯の陣地に銃爆撃を加え、浙江省寧波市鎮海砲台二度にわたって爆破した。

*6月23−25日:三日間、浙江省鎮海市港への連続爆撃で、日本機は51回出撃し、304発の爆弾を投下、580軒余りの家屋を破壊し、住民61人を爆死、25人を負傷させた。

*6月24日:湖南省常徳・湘陰を前日に続き爆撃、常徳は城内東端の軍事施設に「巨弾を投じ」、二工場に大火災を起こした。

*同日:安徽省宿州雲都、江西省贛州、撫州市南豊、宜春市建昌・奉新を爆撃。

*同日:広東省韶関市韶州、河源市藍口、梅州市𨻧隍・梅県、江門市開平水口圩を爆撃。

*同日:江蘇省宜興市に朝から夕方まで18機が北は豊義から南は京杭の国道まで爆撃、大小の村落は一日中爆撃と機銃の音に脅かされ、爆弾180余発で、国民党の施設は全壊し、民間の被害は計り知れない。

*6月25日:浙江省舟山島・鎮海砲台・麗水を爆撃。

*同日:広東省南雄市、韶関市韶州、梅州市𨻧隍・大埔・建寧・豊順・梅県、福建省泉州市南安、竜岩市汀州、海南島感恩を爆撃。

*同日:江西省玉山・贛州、陝西省潼関、広西省龍州を急襲、多数の市街軍事施設、倉庫群、自動車群を爆撃粉砕。

*同日:福建省建甌を爆撃、二ヶ所から大火災を生じさせた。

*同日:午後三時頃、9機が福建省竜岩市武平城を三組に分かれて爆弾30数発を投下し、家屋30余棟を破壊し、31人が死亡、30余人が負傷。

*同日:3機が福建省漳州市詔安県に襲来、中山南路、丹紹小学校、黄唐祖祠、風田祠を爆撃、爆死2人、負傷1人、民家22間を損壊した。

*6月26日:陸軍部隊の攻撃に呼応して広東省の潮州市、梅州市𨻧隍・豊順を爆撃。

*6月27日:前日に続き、潮州付近の江門市水口圩、登塘、福建省福州を爆撃。

*6月28日:四川省奉節県城に27機による爆撃が行われ、129発が投下され、813人が死亡、899人が負傷、 798棟の家屋が倒壊し569棟が破壊された。(日本側の記録では「市内外の軍事施設に多大の損害を与えた」となる)

*同日:7時頃、30数機が江西省上饒県城水南街蚊虫坑、灘頭などを爆撃し、数百人の死傷者を出した。人々は遠くへ逃げる時間もなく、信江を渡ったところを敵機に発見され、爆弾と機銃掃射で数百人がその場で死亡した。その中で何人もが血肉となって吹き飛ばされた。続いて敵機は陳水源一帯を爆撃し、その場で百人近くを爆死させ、家屋三、四十棟を破壊、廖氏は腹は木の枝に引っかかった。

*同日:浙江省鎮海砲台、広東省潮州市、梅州市興寧、海南省楽安を爆撃。

*6月29日:4/22以来、河南省南陽市内郷県城に15機が3回に分けて交代で爆撃を行った。警報により多くの人は城を出て避難したが、間に合わなかった人々のうち40数人が爆死し、百数十人が負傷。2度の内郷県城爆撃で80人余りが死亡し、200人余りが重軽傷、家屋800軒余りが破壊された。この後内郷県城は陥落し、日本兵はいたるところで婦女を奪って強姦し、ある者は輪姦されて死亡し、ある者は生涯障害をもたらした。その他例のごとく虐殺や放火、略奪が行われた。(『日軍侵華暴行実録』第2巻)

(日本側のこの日の記録では「内郷飛行場を爆砕、市街軍事施設に三ヶ所から炎焼せしめた」とあるだけである。「市街軍事施設」とある場合、ほとんどが無差別爆撃と見てよい)

*同日:前日に続き浙江省鎮海砲台・白鶏山砲台・長跳嘴を爆撃。

*同日:広東省潮州市、梅州市興寧も連続で、さらに福建省福州市熨斗島(現・粗芦島)を爆撃。

【細菌爆弾】

*6月某日:上記内郷県の馬山口鎮に三機がやってきて、ちょうど墟市(定期の市)が行われている上空を旋回し、住民たちが見上げているところに、30数個のふくらんだ麻袋が投下された。麻袋が落ちると、灰、鶏の毛、紙くず、ぼろ布、ガラスのカス、アリ、フン、カビの生えた甲冑虫などが麻袋から出てきて、たちまち灰や埃や羽毛が舞い上がり、まるで雪が降っているかのようだったが、見物していた村人たちは、ある者は目を細め、ある者はむせて咳き込んだ。それから二日後、村人が吐下痢症にかかって昏睡状態に陥り、死んでいった。これは細菌爆弾といい、日本陸軍が麻袋の雑物にコレラやペストなどの細菌を混ぜて投下した結果である。(『日軍侵華暴行実録』第1巻)

*6月30日:朝、四川省梁山(現・重慶梁平区)の飛行場や市内軍事施設を「猛爆」、その帰途に巫山県を「屠った」。中国側の記録では、27機が重慶市梁平区を27機が爆撃、爆弾・焼夷弾136発が投下され、飛行場、県庁、城西郷などで死亡70人、負傷50人、建物450軒が破壊され702人が難民となった。巫山では爆弾2発で3人負傷、となっている。

*同日:浙江省杭州市建德梅荘、同省温州を爆撃。

*同日:福建省福州西方の兵営と砲艦、熨斗島さらに興化(現・莆田)を爆撃。

*同日:爆撃機と陸上の大砲で陝西省楡林市呉堡県の河西守備軍を猛攻撃した。(抗戦期間中に日本機が呉堡を爆撃したのは前後合わせて80回に達した)

【ノモンハン事件】

 満州北部モンゴルのノモンハン地区でソ連(ロシア)軍と日本が植民地とする満州国の国境で5月11日から衝突事件があり、一時的な休戦を経て6月中旬後半から再度衝突、激しい攻防戦が展開され、相互に戦車・大砲、爆撃機での合戦を行い、日本軍の飛行隊は主に吉林省長春市を基地として陸海共同で行ったが、結果として日本は1万人近い犠牲を伴う痛み分けに近い敗戦であった。9月16日、ソ連と日本は停戦協定を締結したが、日本軍の失った戦闘機は 171機(含損傷機)、ソ連軍は251機である。また戦死者は日本が8000人前後(戦傷約8650人、捕虜を含む行方不明約1000人)、ソ連が9700人(戦傷約1万6000人)となっていて、ソ連側の損害の方が大きいが、日本側は痛み分けに近い敗戦としている。しかし当時の『支那事変画報第66集』では、日本軍は8月までに空中戦と高射砲によってソ連機を合計1100機撃墜したとし、さらに年末の「第75集」では1340機としていて、盲目的な身びいきが甚だしい。またこの紛争の歴史的評価は今では作戦も行き当たりばったりの愚かな消耗戦であったとされるが、この日中戦争自体がそうであろう。

 筆者注:この事件に関連した爆撃についてはここでは省略するが、逆に6月下旬より7月上旬までの中国本土における陸軍航空隊の記録はない(特に個々に明示していないが、それまでの陸軍の出撃回数は、海軍の1/5以下である)。これはノモンハン事件の間に、満州の関東軍を含めた陸軍の飛行隊がほとんど駆り出されたためであろう。

△ 日本海軍は、6月27日、浙江省の温州と福建省の福州から始めて、浙江、福建、広東三省の港に対し閉塞宣言を通告した。7月末までにその範囲は珠江デルタ全域に及んだ。海軍はこの閉塞を執行する際に、まず閉塞点付近で活動するジャンク船を捕獲し、 それと同時に偵査隊を派遣し、閉塞線や機雷敷設線を測量、捕獲したジャンクを閉塞 指定する港湾に沈ませて、さらに機雷を敷設した。これによって各港を自由通航させないようにした。これらの第一目的は中国軍に物資の輸入をさせないためである。

7月

*1939年7月1日:浙江省台州市海門港付近の倉庫、兵舎、桟橋を爆撃、「甚大な損害を与えた」。

*同日:地上部隊の福建省福州閉塞作戦に呼応して興化東方兵営および汽艇を銃爆撃、また福建省福清南方の兵舎、長楽市三渓の軍事施設を爆撃。

*同日:海南島定安県富文において約一千の中国兵を銃爆撃、「壊滅せしめた」。

*同日:江蘇省揚州市の高郵城を爆撃し、住民40人余りを爆死させ、家屋数十軒を破壊した。

*7月2日:浙江省舟山市定海を爆撃。

*同日:海南島西部和盛附近に集結する「残敵に対して銃爆撃を与へ有効なる戦果を収めた」。

*同日:早朝、濃い霧が立ちこめていた福建省福州市連江県定海へ、日本軍は大小の艦船24隻、爆撃機9機、武装した日本兵一個中隊を動員し、まず爆撃機で順に定海集落を爆撃した。つづいて武装部隊が、定海左翼の帯一教場前の浜に上陸し、上陸前に機銃掃射を行い、村人の多くは教場山や深い水路に逃げたが、爆撃や銃撃で32名が死亡、30数名が負傷。被爆した農家が128軒、大小の船80艘が焼かれたり奪われたりした。

*7月3日:浙江省温州市羅渓の陣地、江西省南昌市撫河東岸荏港を爆撃。

*同日:福建省福州・南平市延平を爆撃、さらに三明市沙県では9機が飛行場付近と兵舎8棟、自動車群、汽艇などに「大損害を与えた」。また沙県城を空襲し、爆弾8発、機銃掃射約10回で9人死亡、4人負傷。福州市は黄岐半島の苔録村が爆撃を受け、478世帯ある村の家屋が破壊され、514人が死傷。南平市では 「建順」という高速艇が南平岳渓の水上で、9機の襲撃を受け、5人が死亡、3人が負傷。

*同日:広東省信宜市大成鎮・梅州市興寧東北部を爆撃。

*同日:海南省儋(だん)州市新英、広東省潮州市潮汕駅を爆撃。

*7月4日:江蘇省南匯(わい:後に上海市となり現・浦東新区)、連雲港市南辰を爆撃。

*同日:「大部隊をもって」浙贛線上の江西省撫州・上饒市広信・吉安市泰和・萍郷市蓮花を爆撃、さらに鷹潭市鄧埠西方で運行中の列車、吉安泰和では自動車群に銃爆撃。

*同日:福建省寧徳市福安・三都澳、広東省韶関市新英の南西、海南省楽安北東を爆撃。福建省ではこの日永春県に10時頃、9機が爆弾19発を投下、文廟、武廟と民家10棟以上を爆破した。また、五里街から卿園一帯にいたる道路で機銃掃射を行った。

*同日:南京の100km南方にある高淳が爆撃され、東ダム、下ダム、固城などの町で約20人が爆死、30人が重軽傷、家屋30軒以上が爆破された。定埠でも数人が爆死した。

*同日:午後、日本機は安徽省宣城市郎渓県の梅渚、定埠及び付近の村を空襲し、爆死1名、負傷数名。

*7月5日:21機が三波にわたり重慶市街を襲撃、投下爆弾37発、死亡42人、負傷71人、家屋437戸破壊。

*同日:山東省煙台市莱陽・招遠、重慶郊外の広陽壩飛行場、浙贛鉄道、上海市南匯を爆撃。

*同日:浙江省寧波市蟹浦鎮・紹興・鎮海・奉化を爆撃。このうち奉化では3機が県城に6発の爆弾を投下し、10人が死傷した。

*同日:広東省梅州市蕉嶺、海南省崖県北方を爆撃。

*7月6日:未明の月明かりを利用し、「二大編隊をもって第七次重慶空襲を決行、市内外敵陣地からの熾烈な防御砲火を冒して悠々広陽壩飛行場その他軍事施設を爆撃、甚大なる戦果を収めて全機無事帰還した」。(広陽壩飛行場は郊外であるが)これに関する中国側の被害記述は「18機が三回にわたり夜間に重慶を襲い、投弾46発、二ヵ所を炎上させ、死者2人、負傷92人、家屋118戸破壊」とある。

*同日:山東省日照市濤落鎮、江西省南昌市荏港・漸嶺を爆撃。

*同日:江西省上饒県城水南街を爆撃し、家屋数十棟を爆破、30人余りの死傷者を出した。

*同日:浙江省寧波市紹興・余姚・鎮海を爆撃。余姚では6発を投下して、県東街、后滨江路などで3人を爆死させ、1人を負傷させた。

*同日:広東省陸豊の陣地、福建省熨斗島・金牌門砲台、汕尾市陸豊北方、建甌市内軍事施設、延平付近の軍用汽艇10隻を爆撃。

*同日:午前、11機の日本軍機が 山西省晋城市 陵川県城関上空に現われ、東関街から南門にかけて数十発の爆弾を次々と投下、街の家々数百軒を爆破し、数十人の村民を爆殺した。

*7月7日:前日に続き未明に三隊に分かれ前後三回、重慶への第八次空爆を実施、第一隊は蒋介石の政務機関と思われる場所に「巨弾の雨を降らせ」、第二隊は郊外の広陽壩飛行場を徹底爆撃、第三隊は市内中央公園北西地区に「爆弾を投じ、火焔は天に沖し、我が海軍機は朝日を浴びて全機悠々帰還した」。

*同日:陸軍の作戦に呼応して江西省南昌・奉新の陣地を爆撃、また宣伝ビラ数万枚を散布した。別途、九江市賽塘付近で自動車群を「粉砕」。

*同日:浙江省寧波市鎮海・台州の兵舎、四川省内江市威遠砲台、福建省福州市福清を爆撃。福清では1日とこの日で住民5人が死亡。

*同日:湖北省恩施市巴東県を18機が爆撃、爆弾数十発、住民23人が爆死、重傷軽傷3人。

▽ この日、重慶市では抗日戦争2周年を記念して集会を開き、抗日戦争で戦死した将兵と死亡した同胞を追悼した。軍政部長の何応欽は次のように発表した。

 ——「抗戦以来の敵軍の死傷総数は91万7800人余りで、日本軍855人を捕虜とし、日本機716機を撃破、日本艦船644隻を撃沈させた」。もちろん中国側の被害はこれをはるかに超える。

*7月8日:山東省煙台市龍口・招遠付近の中国軍拠点を爆撃、江西省南昌市下賦策を爆撃。

*同日:広西省柳州と桂林飛行場の建築物、軍事施設を爆撃、また福建省金牌門・長門砲台の拠点と軍用汽艇群のうち8隻を粉砕、大破。

*同日:浙江省温州と広東省普寧市江口崎頭山陣地を爆撃。

〇 7月8日:日本で国民徴用令発布

*7月9日:山東省威海衛付近、広東省普寧市埼頭山・江門市畳石を爆撃。

*同日:山東省煙台市龍口・招遠付近の中国軍拠点を連日で爆撃。

*同日:4機が福建省南平市街地の水門埠頭付近で、爆弾8発を投下、家屋1棟を破壊し、2人を死傷させた。

*7月10日:5機が浙江省台州市黄岩に来襲、30棟以上の家屋を爆破、10数人が爆死した。

*同日:広東省雲浮市郁南の磨刀を反復爆撃、また連日で山東省威海衛を爆撃。

*7月11日:湖北省孝感市河口鎮と江西省吉安市固江鎮賽塘の自動車・トラック群を爆撃、また江蘇省南京高淳県甫頭を爆撃。

*同日:福建省金牌門砲台の砲六門、中西門および兵舎一棟爆破、付近の敵軍用艇3隻を銃撃して爆砕。

*7月12日:26機が重慶への爆撃に出撃するも天候不良のため変更して重慶の北西にある奉節、湖北省巴東県・巫山を爆撃、「大戦果を収めて同夜深更全機帰還した」。中国側の記録では、18機が巫山に爆弾61発により106人死亡、168人負傷、建物倒壊105棟。また奉節では爆弾41発で5人死亡、13人負傷。

*同日:湖南省株洲市攸(ゆう)県で大型車庫を爆撃したほか、長沙市涂家、江蘇省揚州市高郵、江西省南昌梅莊、山東省威海衛を攻撃し「大損害を与えた」。

*同日:江西省南昌付近の浙贛鉄道沿線、福建省南平市延平・福州市川石島・詔安を爆撃。南平では4機が市街西門一帯を空襲、爆弾9発を投下、爆死1人、負傷3人、民家3棟を破壊した。

*同日:7日に続いて湖北省巴東県を18機が、前後して60発余りの爆弾を投下、住民と兵士56人を爆死させ、60人のが重軽傷を負い、家屋は120棟が焼かれ、被災した住民は175戸、651人。

*7月12−16日:12日午前8時頃、3機が福建省漳州市東山島に飛来、爆弾6発を投下。郡政庁、司法所、監獄が破壊され、後門追、後鋪山前街の民家10数軒を破壊。さらに10時頃、3発の爆撃を加え、西門内、後鋪山の民家9軒が破壊された。翌日午前8時頃、3機がまた爆撃、県庁付近では、民家が倒壊し、多くの死傷者が出た。14日、敵機は三々五々の群をなして、城関鎮を交互に爆撃掃射し、一日の間に、4、50発を投下した。県政府は焦土と化し、民家は甚大な被害を受け、軍民ともに多くの死傷者が出た。15日、朝から夕にかけて、飛行機と艦船による海関、水警、城垣、民家、商店への砲撃、爆撃がつづいた。同時に銅鉢、康美、港、岐下、陳城などの村々を爆撃、16日になって、艦船は退却した。日本の艦船は東山に四昼夜で計42弾の砲を発し、爆撃機は83発の爆弾を投下。家屋86軒、ほとんどの公共施設が破壊され、民間人は爆死5人、惨殺3人、負傷5人、民間船は15隻が破壊された。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*7月13日:江西省南昌付近の新村墟、江蘇省高郵北方の陣地、浙江省台州・七里村、広東省汕頭市海門鎮を爆撃。

*同日:陸軍の作戦に呼応をして、福建省寧徳市三都澚より銅山湾にいたる沿岸一帯を偵察爆撃し、敵軍事施設、湾江下流と湄州浦にて大型軍用汽艇各一隻を爆砕、大破させる。

*同日:福建省延平北方の兵営と軍需倉庫、延平と福州間の軍用汽艇15隻、福州市川石島の軍拠点、漳州市銅山・詔安の兵舎や倉庫、漳州北方の軍事施設を爆撃。

*同日:福建省寧徳市福安、漳江下流、莆田市湄州島、福州市羅源、興化(現・莆田市)を爆撃。羅源では6機が城関の小西路に10数発を投下、住民3人が死亡、6人が負傷、民家2棟を破壊。

*同日:7機が福建省莆田市涵江を爆撃、民家や学校の校舎など30軒以上の家屋を破壊。

*7月14日:湖北省宜昌を爆撃、「市内は名状すべからざる混乱に陥った」。

*同日:福建省南平市順昌方面の交通路を偵察攻撃、建陽では自動車庫5棟を破壊。

【柳州初爆撃】

*7月15日:広西省柳州を50機以上で初爆撃し、爆弾百数十発を投下し、住民400人を殺傷した。(これに対し海軍の記録は「軍事施設多数を粉砕」とあるのみ)なお、1944年までの間、63回にわたって延べ700機余りにより、計2300発の爆弾をが柳州に投下され、軍民672人を爆殺し、654人を爆傷し、4500余の家屋が爆破された。

*同日:江西省南昌市松湖街および付近の錦江江上の軍用船艇約50隻を爆撃。

*同日:広西省桂林、海南省万寧・臨高、広東省汕頭付近を爆撃。

*同日:前日に続き南平市東山街と漳州市詔安の軍事施設、江上のジャンク船群を爆撃。これに対し中国側の記録は「18機が詔安に襲来し、南山内、天然楼、県前街、十字街、番仔楼、奪錦街、鄭氏祖祠、大市場など市街地に対し19発の爆弾を投下し、5人が爆死、1人が負傷、家屋64軒を爆破した」とあり、軍事施設は出てこない。

*同日:夕方、13日に続き湖北省巴東県を18機で爆撃50発余りを投下、爆死11人、爆傷25人、沈没貨物船3隻、破壊民家167棟、被害852人となった。

*同日:福建省泉州市晋江県に祥芝鎮東埔村東方海域に停泊していた戦艦から水陸両用機1機が出撃、東埔村上空に侵入、急降下して機銃掃射を行い、3人が射殺された。

*同日:午後5時頃、13機が重慶上空に飛来、揚子江北岸(区域不明)で59発の爆弾を投下、家屋69棟が破壊され20人以上が死傷した。

【国民徴用令施行】

〇 昭和14年7月8日、国家総動員法に基づいて国民徴用令が公布、7月15日に施行された。日中戦争下の重要産業の労働力を確保するために、厚生大臣に対して強制的に人員を徴用できる権限を与えたもので、これにより国民の経済活動の自由は完全に失われた。軍需会社の場合は会社ぐるみ徴用され、公布とともに建築技術者850人が徴用されたが、1941年(昭和16年)以降は大規模になり、敗戦時には総計616万人に達した。なおこの二ヶ月半後、日本の植民地である台湾と朝鮮において同じ徴用令が施行され、特に朝鮮から国内に多くの労働者が徴用されていく。

*7月16日:山東省威海衛を爆撃。

*同日:前日に続き2機が福建省漳州市詔安に来襲、丹紹小学校、西校場に15発を投下し、生徒1人を爆死させ、教室9室を破壊。

*同日:爆撃機3機が安徽省宣城市寧国に10数発を投下、8名が爆死、重軽傷13人、重傷4人がその後死亡。

【泉州市晋江県における漁村の全滅】

*同日:未明、福建省泉州市晋江県の永寧海上に6隻の日本艦艇が侵入、日本軍200人以上が上陸艇4隻とゴムボート数十隻に分乗し上陸した。同時に艦艇は対岸の村々に猛烈な砲撃を行い建物を破壊、さらに2隻の航空母艦から飛び立った4機の爆撃機も加わり、上陸した日本軍の侵入を援護した。日本軍は上陸後三路にわかれ、一路は海沿いに西に向かって梅林沃を侵犯、そこに停泊していた漁船45隻と、外地の商船、貨物舶船200隻以上にガソリンをまいて火をつけた。火は翌日の午後になってようやく消えたが1100戸の漁民が破綻した。その後日本軍は梅林村に押し入り、梅林学校や村民の大きな古い家屋1棟に火を放って焼き払い、人を見れば殺した。さらに日本軍は周辺の街や村々(外高村、港辺村、沙美村、岑兜村、下宅村、郭坑村、后杵柄村、浯沙村、金埭村、西厝村など)に侵入、空からの機銃掃射も加えて家々を焼き、村民を銃殺あるいは焼き殺した。砂堤村では全員が村の外に逃げていたが、60歳過ぎているから自分には手を出さないと思って家の表に座っていた老婦人は簡単に殺害され、村は放火され大きな家屋19棟が全焼、失明していた80歳の老婦人は大火の中で惨殺された。日本軍はまたガソリンをまいて祠に保管されていた数十枚の漁網とその他大量の漁具が灰とした。永寧城では日本兵は白居街から北門に入った後、すぐ分かれて方々で住民を殺し、掠奪を行った。大街のはずれでは蔡という恵安籍の漆工が両腕を後ろ手に縛られて隘門に吊され首を切られた。南門の鄭孔釵老夫婦は自宅の酒店の前で惨殺された。街に来ていた行商人も刺殺され、農民は日本機の機銃の弾丸に撃たれて田んぼの中で死亡、間もなく出産する娘を城内に見舞いに来た婦人は、日本機の機銃に片足を切断され北門で横たわっていた。日本軍はまた、王氏宗祠と競新女学校の校舎と石造りの食堂1軒を放火して廃墟とした。それ以外に日本兵は家に入り婦女を手当たり次第に暴行、ある家では母娘2人が強姦された。1人の少女は家の中で輪姦され、数日後に死亡した。暴虐の限りを尽くした日本軍は午後四時すぎまでに次々と艦上に引き揚げた。この日、永寧鎮では合わせて13の村が蹂躪され、村民や商人80人以上が殺され、各種の船300艘近くが焼かれ、40軒以上の店舗、倉庫、3つの校舎と50棟以上の民家が焼失、建築用資材、漁具、様々な商材など大量の物資が焼き尽くされ、その損害は計り知れない。引き取り手がない死体は数日して腐乱、永寧の慈善組織が代わりに埋葬した。(『侵華日軍暴行総録』)

*7月17日:陸軍に協力して江西省新村墟付近の拠点を爆撃、また海軍の陸戦隊に協力し海南省北黎を爆撃。

*7月18日:湖南省益陽を9機が爆撃し、210人以上の人々を死傷させ、100以上の建物が破壊された。

*同日:広東省汕頭市汕尾、また連日で海南省北黎を爆撃。

*7月19日:山西省忻州市河曲の人口密集地域を7機が爆撃、数十発の爆弾を投下し、300人以上が死傷、家屋200軒以上が破壊された。

【山西省晋城の受難】

*同日:日本軍は三度目の山西省晋城侵犯を行い、まず県城を爆撃、県政府10数棟を破壊、また三皇閣街の住民を爆殺、その後陸軍は禅堂等3000房以上を焼き払い、有名な青蓮寺の重さ数トンの銅製の巨鐘も略奪された。城内の小中学校の教室や寮など2000余りの部屋は、ほとんどが破壊され、日本軍は8月25日の撤退まで1ケ月余りの間、家屋2万4000軒以上を焼き払い、罪のない住民1万2000人以上を殺害、家畜1万1000頭以上を屠殺した。(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:山東省威海衛付近、江西省上饒市玉山の軍事施設や電話局などの公共施設、撫州市南城郊外のトラック群、吉安・贛州市の主要建築物を爆撃。

*同日:6機が福建省莆田県城を爆撃、民家や興賢小学校の校舎など7棟の建物を破壊、2人が死亡。南部沿海の甫禧が同時に被爆し、4人が死亡、8人が重傷を負った。

*7月20日:威海衛付近、南昌方面、広東省汕尾・海豊を爆撃。

*7月某日:海南省楽東県の南木、道教、好球、抱串等8つの村を爆破し、民家300軒余りを爆破し、住民10人余りを殺害。

*7月某日:日本軍機36機が二日連続で陝西省宝鶏県城を爆撃した。初日の爆撃場所は駅と城内北崖一帯で、姜城堡(現在の宝鶏市渭濱区の南)の油貯蔵庫と火薬庫を爆破し、計600人以上の死傷者を出した。翌日の爆撃地点は城南の河原一帯で、中国軍某部隊の敷地内で新兵約300人が全員爆死した。このほか、河原の防空溝や田畑の畔でも多くの人が爆死した。集計によると、2日間の死傷者は合わせて2000人ほどで、これは日本軍機が宝鶏県城を爆撃した中で最大の被害となった。

*7月某日:湖北省襄陽市襄城に6機が交互に急降下爆撃を行い、住民13人が死亡、15人が負傷した。

*7月21日:江西省南昌付近、広西省崇左市龍州・板利・寧明、南寧市、河池市宜山、憑祥市鎮南関(現友誼関)などで倉庫や燃料庫、陸揚げ中の波止場、多数のトラック群を爆撃、炎焼させた。鎮南関はベトナムとの国境の町で、広州を日本軍が占領した後の中国軍の物資輸送のルートを遮断する目的であった。

*同日:浙江省台州市黄岩を爆撃。

*7月22日:広西省柳州の市街軍事施設、また江岸の船艇20隻を爆沈、鎮南関では自動車倉庫6棟を爆撃し、自動車150台を粉砕、南寧では市政府関係の建物、軍需品倉庫を爆撃、また南寧の思楽から貴県に至る路上の自動車群50台を銃爆撃、大破炎焼させた。

*同日:江西省南昌付近を爆撃。

*同日:日本軍機5機は初めて安徽省黄山市屯渓を爆撃し、25発の爆弾を投下し、低空での機銃掃射を加え47人を惨殺し、負傷者百余名、家屋三十余棟を焼いた。

*7月23日:湖南省芷江の飛行場と市街の軍事施設を爆撃。

*同日:江西省吉安および撫河東岸の荏港の軍事施設、応潭市の機関車庫、軍需倉庫、宜春市江家州の司令部付近の施設を爆撃。

*同日:広西省桂林・柳州、福建省福州市羅源・寧徳市沙埕鎮を爆撃。

*同日:午前9時、3機の日本機が南方から江蘇省泰州上空に飛来、機銃掃射を行った後、急降下して爆弾を投下。城北の坡子街の大生銀行に1発、大東橋の野菜市場の北に1発、城内の升仙橋西斜柳巷の入口に1発、それぞれ爆弾が落ち、7人が死亡、17人が負傷し、72棟の家屋が破壊された。

*7月24日:深夜、18機が第九次重慶を爆撃、三波にわたり夜間に焼夷弾を含め132発が投下され、市区鎮江寺街、夫子池、江北劉池台など30ヶ所以上が爆撃され、ニ地区が炎上、27人が死亡し、58人が負傷した。空中戦で中国空軍は日本機1機、高射砲で1機撃墜。(日本側の記録では市街西北の軍事施設と政府統治施設に巨弾の雨を降らせたとあるが実際にはそうではない)。この後、重慶対岸の江北市街を急襲した。

*同日:江西省宜春市豊城・樟樹鎮の軍需倉庫群、江水路交通線その他の軍事施設を爆撃、樟樹鎮の火薬庫と思われる建物が爆発、「火焔天に沖し」、その他軍用汽艇2隻を爆沈、「甚大なる戦果を収めた」。

*同日:陸軍の作戦に協力し湖北省咸寧市通城南東、湖南省岳陽市雲渓を爆撃。

*同日:同じく陸軍の作戦に協力し河南省信陽北方に布陣する中国軍を急襲、連続爆撃、さらにその北方を敗走中の部隊に低空爆撃と機銃掃射を行う。

*同日:広東省汕頭・潮州・中山市横門、海南島南部、福建省金牌門砲台を爆撃。

〇 7月24日、支那派遣軍の参謀長が軍事態勢についてこのように陸相坂垣将軍に提案した。 「恐怖心をつくって敵の軍隊と人民を混乱させるために、空軍は後方の戦略拠点を空襲するべきである」。

*7月25日:二隊に分かれ湖北省巴東・巫山を襲撃、市内外の軍事施設と両市街を爆撃、数カ所に火災を起こした。巫山では42発爆弾を投下、爆死8人、負傷6人。

*同日:江西省南昌市撫河右岸・荏港南方、海南島膅頭を爆撃。

*同日:夕刻、湖北省宜昌市帰州(秭帰:しき)を巴東からの27機が3回に分けて爆撃。

*同日:信陽西北の要地に集結する中国軍に「巨弾を浴びせた」。また湖北省通城南方の山岳地帯に潜む部隊に機銃掃射と爆撃。

*7月26日:山東省海陽北西方の兵器工場、広東省潮州を爆撃。

*同日:広西省梧州を襲撃、爆弾268発を投下し、21の街を爆撃、中央公園南方および海関桟橋付近の施設など6カ所で火災を起こし、江上にあった百以上の小型船艇の大部分を粉砕、500人以上の死傷者を出した。

*同日:河南省信陽北方、駐馬店南方の京漢線の要衝に拠る部隊に巨弾を浴びせた。

*同日:広東省清遠市英徳を爆撃。英徳が前年8月31日から本年この日までの一年間の空襲被害は、爆弾投下1002発、死者30余人、負傷者60余人、民家破壊103軒、商店40余軒、施設17ヶ所。清遠市街は被弾1241発、死傷百余人、壊民家百十余軒、学校一校。

*7月27日:山東省威海衛付近、海陽の兵器工場、煙台市芝罘(しふう)付近の大辛店の中国軍拠点を爆撃。

*同日:江西省南昌撫河東岸、広東省惠州市南門嶺、江西省宜春城程坊を爆撃。

*同日:広東省掲陽市、潮州市庵埠の部隊、梅州市豊順・湯坑鎮、広西省北海市を爆撃。

*同日:広東省茂名市高州(雷州半島)、清遠市石角の軍用施設、船艇多数、博口(省市不明)を爆撃。

*7月28日:江西省南昌梅莊、広東省中山市善坊街、潮州北東を爆撃。

*同日:浙江省嘉興市新滕鎮を往復偵察後、三機が急襲、鄭氏の塾では、爆弾の一つが鄭氏の塾にあたり、学童数人が死傷した。また西市港南剪刀白揚にある汪姓木工房では、重量爆弾を一発投下したが、この爆弾で店主とベテラン職人のほか、徒弟二人、鋸職人二人、婦人一人、子供二人、合わせて10人もの死者が出た。この爆弾は向かいの沈姓之家屋の壁に達して、その沈祖白は倒壁の煉瓦の下敷きになって死んだ。今回の死者は23人、負傷者は約7、8人にのぼった。民家や店舗十数軒を損壊した。

*7月29日:江西省南昌市進賢、河南省新郷市海庄、胡子華(省市不明)を爆撃。

*同日:広東省潮州市、梅州市興寧・豊順を急襲し爆撃。興寧郊外では自動車群と野砲2門を爆撃。

*7月30日:湖北省襄陽市宜城および光化県の軍事施設に「巨弾を投じ甚大なる損害を与えた」。また江西省南昌市進賢、宜春市樟樹鎮の「軍事施設を粉砕」。

*同日:湖南省益陽市に9機が飛来、頭堡、二堡、三堡に爆弾10発以上を投下、家屋100棟以上を爆破し、市民219人を死傷させた。

*同日:広西省南寧市賓陽・武鳴・丁橋墟の施設、倉庫群、自動車群を爆撃。

*同日:福建省莆田市石尾を爆撃。

*同日:山西省運城市同善鎮と黄河対岸の南村の守備隊に大爆撃を敢行、南村の船艇30隻を粉砕した。

*7月31日:重慶に第十次の夜間空襲を18機で二波にわたり実施、一隊は市街の「軍事施設」を目標、別の一隊は郊外の広陽壩飛行場の格納庫や施設を爆撃し火災を起こした。空中戦となるが中国機1機を撃墜。中国側の記録では、その中で12機が市街区に爆弾33発、焼夷弾5発を投下、6人死亡、5人負傷。また広陽壩飛行場に6機が爆弾11発を投下、2人負傷。

*同日:山東省威海衛付近、江西省南昌市三陽を爆撃。

*同日:広西省桂林・柳州、防城港市防城、福建省泉州市石獅・漳州市竜渓県石碼、広東省深圳市蓮塘・潮州市登塘を爆撃。

▽ 7月下旬、八路軍の新四軍の一部が上海虹橋空港を夜襲し、日機4機を破壊した。

8月

*1939年8月1日:広西省玉林市鬱林・貴港市貴県・南寧市横県を爆撃。

*同日:広東省梅州市興寧・𨻧隍、茂名市電白・化県、惠州市惠陽淡水を爆撃。また福建省福州市電光山砲台を爆撃、火薬庫と倉庫2棟、兵舎を爆撃。

*同日:河南省桐柏とその近辺の村に集結する中国軍大部隊に対し「巨弾を浴びせた」。

*同日:江西省宜春市靖安県の西頭に爆弾を乱発し、街道及び民家40余棟138間を爆破した。

*同日:約10数機が、湖南省衡陽を爆撃。家族全員の爆死もあった。

*8月2日:夜間、18機が重慶に対し二隊に分かれ二度にわたり第11次爆撃を敢行、政府機関のある西方の郊外と広陽壩飛行場を爆撃、中国軍は探照灯を使いながら高射砲で砲撃、また数機も迎撃したが日本機は全機が帰還した。中国側の記録:「爆弾と焼夷弾合わせて85発を市街地に投下、住宅密集地であったため80人が死亡、134人が重軽傷を負った。また広陽壩飛行場を6機が襲い、爆弾15発で一人死亡」。

*同日:江蘇省北部沿岸・塩城市阜寧対岸、山東省威海市文登を爆撃。

*同日:広西省崇左市寧明・龍州、南寧市街、憑祥市鎮南関を爆撃。

*同日:福建省福州市連江県浦口、長楽県松下鎮、広東省潮州白浦江を爆撃。松下鎮では3機が11発の爆弾 を投下、3軒の店舗と2棟の民家が破壊され、住民4人が死亡した。

*8月2、4、8日:10機が3回に分けて福建省漳州市竜渓(竜海)を爆撃、12発を投下し、羅錦村、蔡歴巷、打石街一帯で、家屋40軒余りを破壊し、38人が死亡、60人余りが負傷。

*8月3日:18機が二隊に分かれ、第12次重慶夜間爆撃を行い、市街地に59発を投下し、死者12人、負傷者8人、家屋7棟を破壊。さらに広陽壩飛行場に爆弾24発投下、2人が負傷。

*同日:江西省鷹潭(ようたん)市、九江市修水県梁口を爆撃、別途、地上部隊に協力して九江市泰山に集結する中国軍部隊に巨弾を投じた。

*同日:広西省南寧・寧明・鎮南関、広東省梅州市豊順・掲陽砲台、海南省万寧市和楽を爆撃。

*同日:河南省信陽北方を掃討中の地上部隊に呼応して広山、安居水、唐県鎮を爆撃、「壊滅的打撃を与えた」。

*8月4日:早暁に18機が重慶を第13次爆撃、81発を投下し、4人が死亡し、22人が負傷した。日本側の記述では「壊滅に瀕している抗日首都重慶の徹底的粉砕を期して… 広陽壩飛行場を爆撃する一方、重慶西方郊外の政府機関、要人会議所などを目がけて巨弾の雨を降らせた、(高角砲などを乱射されたが)全機無事帰還した」とある。しかし「壊滅に瀕している」という重慶にはこの後太平洋戦争開戦前の1941年9月まで約200回以上の爆撃をすることになる。なお重慶には対空爆用に地下壕や防空壕が張り巡らされていき、死者は爆撃の量に比して少なくなっていく。

*同日:広西省桂林急襲、中国軍の応戦をかいくぐり、同市東側の軍事施設に「全弾を投じ」、江上にあった多数の船艇群を「爆破粉砕した」。

*同日:江西省吉安市安福・賽塘・新幹県を爆撃。なかでも新幹県城では焼夷弾を投下、西門街店房公靡(住宅)72棟を焼き、公務員と市民の死傷34人。また新幹県はその後、県城の他沂江車頭、塘頭、界埠などの地が何度も爆撃を受け、多大な損害を生じた。

*同日:広西省柳州・南寧・鎮南関の倉庫群や自動車群、広東省雷州半島の陣地や軍事施設を爆撃。

*同日:粤(えつ)漢線と浙贛線の接続地点である湖南省の要衝株洲を爆撃、軍需工場や倉庫群を「粉砕」。また同省婁底市洋溪鎮を爆撃。

*同日:浙江省桐郷市石門湾の中国軍部隊を爆撃。

△ 8月4日、日本軍は沁河堤を掘って決壊させ、河南省沁陽が水没した。

*8月5日:未明から17機が重慶を数隊に分かれて爆撃、市街北方および西方に集中して投弾、新聞の記録では「同方面は阿鼻叫喚の巷と化した」とあるが、想像によるものであろう。

*同日:福建省南平市建陽の施設や倉庫を爆撃して大損害を与え、さらに建陽と建甌に宣伝ビラ数万枚を散布。

*同日:広西省憑祥市鎮南関および崇左市龍州(どちらもベトナムと接する町)方面の交通の要衝を偵察爆撃、倉庫7棟を爆破、炎焼させた。

*同日:広東省潮州と砲台山を爆撃、「甚大なる損害を与えた」。

*同日:午前、浙江省嘉興市嘉善に突然日機が町の上空に襲来、急降下爆撃を行い、雁塔寺のそばと北柵一帯に爆弾を落とし、5人が死亡。爆弾直下にいた人たちは肉片が飛び散り、衣服や肉片が壁に貼りついていた。

*8月6日:海南省崖県、広西省武鳴、広東省汕頭市海門鎮・潮州市田東墟・梅州市𨻧隍(りゅうこう)を爆撃。

*同日:湖北省宜昌と付近の軍事施設を急襲し、爆破炎焼させた。

*同日:湖北省隋県西北に集結する部隊を爆撃。

*8月7日:浙江省台州・温州、広東省汕頭市海門湾・梅州市興寧、海南島抱善を爆撃。

*同日:広西省南寧市武鳴、広東省梅州市𨻧隍、潮州市田東壩、雷州半島遂渓、海南省崖県を爆撃。

*8月8日:江西省南昌南方の遊撃隊、浙江省台州市の拠点、寧波市奉化・鎮海・蟹浦鎮の倉庫、桟橋等の軍事施設を爆撃。

*同日:山東省威海衛南西方、広東省潮州市の砲台山・海門、広西省北海市廉州を爆撃。

*8月9日:山東省威海街、広東省潮州・海門を爆撃。

*同日:浙江省寧波市奉化、麗水市青田、温州市甌江付近を爆撃。麗水市青田では7機が青田県城を爆撃、爆弾18発、焼夷弾2発を投下、民間人16人が死亡、12人が負傷、民家33棟を爆破、11棟が焼失、船舶4隻を破壊した。

*8月10日:浙江省寧波市奉化を爆撃。

*同日:安徽省阜陽市安阜、東壩・下壩、江蘇省常州市溧陽の中国軍拠点を爆撃。

*同日:広東省厦門市西方の海潮の陣地、潮州市楓渓・砲台山・古巷を爆撃。

*同日:福建省漳州市海澄県城の西門仏祖廟が爆砕されて大きな洞窟となり、住民の血肉であふれた。

*8月11日:江西省九江市湖口付近、福建省海澄県(現・竜海)、広東省潮州市楓渓・古巷、福建省漳州・莆田市石尾・厦門市馬港を爆撃、馬港では7人が死亡。

*同日:湖北省咸寧市通山横石潭および関王廟を爆撃、軍官学校に爆弾二発を命中させ、灰燼に帰した。別途、通山西方の楊芳林、抹林を爆撃。

*8月12日:山東省煙台市登州・龍口、吉林省長春市大辛店、広西省鬱林、福建省福州・漳州・石尾・馬港・金牌門砲台を爆撃。

*8月13日:山東省登州・龍口、吉林省大辛店、浙江省杭州市高信、湖北省荊州市南郷、江西省泰和を爆撃。

*同日:浙江省杭州市富春江、紹興市湖南山・鹿山などの中国軍陣地に「巨弾の雨を降らせ、重砲陣地を壊滅」した。

*同日:広東省梅州市𨻧隍を爆撃。

*8月14日:江西省を南北に貫く贛(かん)江水路にある吉安の倉庫群や自動車群、同市峡江付近の軍事施設、上饒市鄱陽県双港口前坊街、南昌市進賢の軍事施設等を爆撃。

*8月14日:午後3時ごろ、3機が江西省温家圳を急襲、爆弾と焼夷弾を投下し、30人以上の死傷者が出た

*同日:広西省柳州の中国空軍本拠を襲撃、猛烈な対空砲火を潜りながら雲頭嶺の軍需工場、立魚嶺の高射砲陣地に「巨弾の雨を降らせ、木っ端微塵に粉砕」、さらに寧明・南寧・悟州の北方を「片っ端から猛爆し、広西省をわが機翼下に蹂躙した」。

*同日:広東省茂名市信宜市大成鎮、梅州市興寧・𨻧隍、潮州市北西方、万寧市和楽を爆撃。

*同日:江蘇省南通城に駐屯していた日本軍は、中国軍旅団が駐屯する石港鎮に飛行機を送って爆撃、低空で北から南へ急降下して続けざまに十数発の爆弾を投下、30軒近くの家屋が爆撃され、15人が爆死した。その中で西の水関橋付近では丁松老夫婦と息子、妊娠の嫁4人の漁民が爆死、仕立屋の馮、巫家の張四と彼の息子の張元、孫の張丹、そして王金標などがこの爆撃の中で死んだ。(『侵華日軍暴行総録』)

*8月14−15日:地上部隊に協力し、江南戦線の湖北省通山東方の黄石市陽新鎮の主力部隊を爆撃。

*8月15日:陝西省延安を10機が爆弾40個投下、死者5人、行方不明1人、家屋は17棟破壊。(行方不明とは爆弾の爆発内にいた人間が体ごと散り散りに砕けて吹き飛ばされ、形が残されないからである)

*同日:湖南省永州市田尾付近、海南島保平を爆撃。

*同日:広東省清遠市英徳市街北部の軍事施設および湖上の船艇群を爆撃、さらに広西省桂平市潯州の軍事施設、北海市の砲台を爆撃。

*同日:前日に続き広西省梧州の飛行場を襲撃し、飛行場を全滅、その他崇左市龍州・寧明の倉庫群に大火災を生じさせ、広東省肇慶市の西江合流地点の大型ジャンク船や船舶10隻、一大軍用倉庫を徹底的に破壊、「大戦果を収めた」。

▽ 同日、豫(河南省)東偽軍(日本軍の傭兵)の李宜徳は、部隊4600人余りを率いて寝返り、国民政府軍事委員会は李を豫東遊撃司令に委任した。

*8月16日:浙江省寧波市慈溪・観海衡の兵舎などを爆撃、別途、広西省龍州・北海を爆撃。

*同日:浙江省寧波市余姚を爆撃、 府前路小学校校舎20数室を爆破し、老婦人1人が爆死。

*同日:香港九龍の境界近くの広東省側の中国軍に反復爆撃を加えた。

*同日:20機以上が重慶を爆撃、50発以上の爆弾を投下し、家屋50棟以上を爆破、死傷者200人以上。

*8月17日:広西省崇左市憑祥、鎮南関の軍事施設、倉庫群、輸送中のトラック群を爆撃。

*同日:広東省和楽、海南島昌江を爆撃。

*8月18日:湖南省懐化市辰渓県・沅陵県を二隊に分かれ初爆撃、市内外の軍需品倉庫数百棟を爆撃し大火災を起こした。

*同日:広東省湛江烏石港湛、雷州半島逐渓・石城、茂名市化県を爆撃。

【日本軍の報道内容と被害の実態:楽山爆撃の例】

*8月19日:昼、四川省楽山市嘉定(重慶の西方、成都の南方で軍備施設はないが、重慶への遷都準備土地とされた)に36機の爆撃機が出撃し、城区内の100発以上の爆撃を投下し、12の市街地をほぼ全壊・全焼させ、3つを半壊、838人が死亡し、380人が重軽傷を負った(死傷者約2千人との記述もあり、死者に対する負傷者の数は通例として多いから全体の死傷者約2千人が正しいであろう)。また数万人の市民が住む家を失くした。中には爆弾で10mや数十mの大穴が空いていたとの証言もあるから、100kgや250kg爆弾の他に当時最大の500kg大型爆弾が使われたと思われる。この爆弾の直撃範囲内の人間は肉片が四方に飛び散り、跡形もなくなるから、死体の確認などできず、行方不明となる。

 この日の爆撃に関する日本側の記述は、「(わが海軍の大編隊は)午後二時半、耳も聾する大爆音とともに嘉定上空に現れ、市街の軍事施設目がけて一斉に爆撃を敢行、敵はこの急襲に周章狼狽し何らの抵抗を試みず、わが機の全弾はことごとく市街の軍事施設に命中、十数か所から火災を起こし、折からの烈風に煽られて忽ち延焼して嘉定全市は火の海と化した。岷江上に待機中の大型飛行艇二機も飛び上がる暇なくわが爆撃下に曝された、…… その後付近一帯に伝単(宣伝ビラ)50万枚を散布し、一糸乱れざる編隊のまま再び四川の山々を越え夕日輝く〇〇基地に全機無事帰還した」と得意然としていて、あくまで軍事施設への爆撃としている。以下はこれに対する住民の証言である。

 —— 空襲警報で先に母と避難所に逃げたが、商売をやっている父と奉公人は家に残った。まもなく日本軍機がやってきて爆弾を投下し、さらに低空で機銃掃射を加えた。瞬く間に楽山全体が濃煙に包まれ、火柱が上がり、それらの音で人々の泣きわめく声がかき消されるほどだった。家に戻ってみると瓦礫とともに死体も至るところに散乱し、血が一面に流れていた。ある死体は腕と足がなく、ある死体は内臓が外に飛び出していた。家は火に呑み込まれ、商売をしていた父の店の品物全てが灰燼に帰していた。父は家から100mのところで機銃掃射で頭に銃弾を受け死に、従業員二人も死んでいた。(私を含めて7人の子を抱えた)母は“これからどうすればいいの?!”と何度も叫び、気を失った。その後私たち兄弟はまともに学校にも行けず、苦難の人生を歩んだ。

(重慶爆撃民間対日賠償案原告団:趙樹信の証言)

 こうした光景は後年、日本が米軍から受けた空爆と同じで、ただ、「さらに低空で機銃掃射」という追い討ちは(終戦間際の米飛行兵の「遊び」を除けば)日本軍ほど多くない。この後楽山は1944年までに4回爆撃される。街の中心に死者の名前が刻まれた「8・19死難碑」がある。

*同日:四川省梁山空港を爆撃。

*同日:青海省海晏、海南島保平、閉橋(省市不明)を爆撃。

*同日:湖南省平江に集結中の約3000の部隊を急襲、「木っ端微塵に粉砕」、さらに軍事施設を爆撃。

*同日:広東省江門市新会、湛江市徐聞県海安を攻撃し、さらに地上部隊に進撃に協力し、潮州市の東浦、閃橋の軍事拠点を爆撃。

*8月20日:江西省上饒市広信の司令部と機銃陣地、南昌市独城の軍事施設を爆撃し4ヶ所に大火災、二ヶ所に大爆発を起こし、さらに南昌市撫河地区東岸の二ヶ所の陣地を爆撃。この上饒市に関する中国側の記述は、「8時27分、6機が江西省上饒県城を爆撃し、焼夷弾20発余りを投下した。次に15時28分、6機が上饒県城を爆撃し、21発の爆弾を投下し、民家21棟を爆破し、数十人の死傷者を出した」とある。

*同日:福建省漳州市水道を爆撃、また一機が福建省漳州市雲霄県陳岱の上空で偵察旋回し、現地中国軍が機関銃一発と小銃数発を撃ち込んだため、日本機はそのまま去った。

*同日:広東省梅州市興寧・湯坑を撃墜。

*同日:湖南省湘潭市を急襲し軍事施設に「壊滅的打撃を与え」、さらに湘江の橋梁を爆撃し「粉砕」。

*8月某日:数機が陝西省固林県(中国共産党が抗日根拠地で現在の延安市延長県付近)を爆撃。

*8月21日:湖南省懐化市源陵を27機で爆撃、市内の軍事施設、司令部に「巨弾を浴びせ完全に粉砕」、さらに沅江に浮かぶジャンク船200隻を「木っ端微塵に粉砕」。

*同日:湖南省懐化市辰州を爆撃、市街周辺の倉庫群の20数棟を完全に爆破、別途、辰谿を急襲しやはり倉庫群10数棟を破壊あるいは炎上させた。

*同日:江西省吉安、上饒市広信、浙江省麗水、広東省興寧・烏石港・江門市水口圩を爆撃。

*8月22日:江西省吉安の飛行場および軍事施設、上饒市広信の軍政府施設を連続爆撃し。

*同日:広西省崇左市鎮南関・憑祥で軍用トラックおよび倉庫群を爆破、福建省三明市大田県桃山を爆撃。

*同日:湖北省荊州市監利、孝感市河口鎮を撃墜。

*8月23日:27機で重慶北西の郊外に第二の首都機能を建設中の沙坪壩(は)・小龍坎(かん)を薄暮に爆撃、中国軍機5機との空中戦もあるが撃退、軍需工場や軍事施設を爆破、6カ所に火災を起こし「壊滅的打撃を与えた」。中国側の記述は、「27機の日本機が市郊外の北西部から次々に市街地に侵入、焼夷弾2発を含む80発以上の爆弾を投下し、家屋150棟以上を爆破、死傷者は199人」である。

*同日:広西省南寧の市街地を攻撃、軍需用倉庫群や自動車数十台を爆撃。

*同日:福建省寧徳市銅山、広東省興寧・烏石港を爆撃。

*同日:3機が福建省漳州市雲霄県の陳岱に来襲、垀辺にある円形の土塁上の「聚星楼」を次々に爆撃し、10発余りの爆弾を投下、家屋45間を壊し、三人を爆殺した。また浜海の岱山一帯を爆撃し、陳烏毛父子孫三人が死亡。畑で耕作していた陳古章親子も爆死した。この日から、日機はほとんど毎日陳岱に来襲し、低空での機銃掃射を約10日間続けた。

*同日:一機が低飛行して福建省漳州市東山島にビラを散布した後、8機が城関、親営、白埋、林辺などに機銃掃射と爆弾を投下。城関の住民は関帝廟を避難所としたが、爆撃を受け数十人の死傷者を出した。

*同日:湖北省宜昌市宜都、江西省南昌折贛線要衝の黄信を爆撃。

*同日:広東省肇慶市懐集を爆撃。また地上部隊の攻撃に合わせて広州市従化東南の山地の部隊に「巨弾を浴びせて敵を壊滅」。

*同日:浙江省麗水に残存する軍事施設を爆撃。

◎ ドイツとソ連は「独ソ不可侵条約」を締結した。有効期限は10年とされた。

*8月24日:広東省広州の従化羅洞で6機が毒ガス・イペリット弾30余りを投下。

*同日:浙江省麗水を引き続き急襲、市街地周辺の倉庫群、兵舎、軍事施設を爆撃。

*同日:福建省銅山(東山)の対岸、広東省梅州市興寧・𨻧隍・湯坑、広西省桂林・柳州・南寧を爆撃。

*8月25日:重慶の小龍坎を45機で再度夜間爆撃。

*同日:浙江省麗水を連続爆撃、郊外の四周の兵舎、倉庫群に「巨弾を浴びせ、大火災を生じさせた」。他に同省温州市甌江を爆撃。

*同日:江西省広信、広西省南寧、崇左市龍州を撃墜。

*8月25日:午後一時、2機が広東省湛江市廉江県安鋪鎮を低空飛行し、二発の爆弾を投下。一発は安鋪小学校のグラウンドの隅に落ち、もう一つは安鋪小学校から少し離れた木立のそばに落ち、住民1人が死亡。

*8月26日:広西省崇左市龍州の軍需倉庫を連続爆撃、また鎮南関の倉庫や自動車群を爆撃。

*同日:広西省桂林・柳州・南寧、広東省汕頭市澄海区樟林南方、福建省銅山島を爆撃。

*8月27日:陝西省宝鶏市鳳翔、また夜間、渭南市潼関を爆撃。

*同日:広東省恵州市龍門を爆撃。

*同日: 福建省寧徳県の三都島に無差別爆撃を行い、島一面が火の海と化し、住民はあわてて洞窟などに避難したが爆弾によって洞窟は崩れて燃え上がり、ある一家は全滅した。三都の市街の200以上の商店と500以上の民家が爆破された。

【細菌弾と毒ガス弾の投下】

*8月27、29日:27日早朝、江西省宜春市高安県呉珠岭付近の大小数十の村870余世帯、4960人余と近隣の祥符、浮橋、奉新などから避難してきた民衆を合わせて7000人余の人々は轟音で目を覚ました。6機が呉珠岭の上空を旋回し、大量の細菌弾を投下、呉珠岭一帯の人々に壊滅的な災難をもたらした。合わせて毒ガスも投下され、人々は細菌と毒ガスに汚染され、全身が腐って死んだ。呉氏一家18人の全員が毒殺された。29日にも6機が多数の細菌爆弾を投下し、高安県の2100人以上が細菌に冒されて命を落とした。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*8月28日:重慶の小龍坎を45機で夜間爆撃、9ヶ所より大火災を生じさせた。これは日本側の記録であるが、中国側では、「36機が二隊に分かれ、まず18機が沙坪壩一帯を爆撃、次に18機が遷建区の市街地15ヶ所に爆弾92発、焼夷弾10発を投下、紡績工場も投弾され大きな被害を受け、33人死亡、47人負傷」となる。

*同日:広西省龍州・南寧、河池市宜山、防城港市明江、広東省烏石港を爆撃。

*同日:河南省三門峡市の隴(ろう)海線の霊宝を夜間爆撃、鉄道や軍事施設を爆撃。

〇 8月28日:毎日新聞ニッポン号、羽田発北太平洋無着陸横断飛行成功。10/20羽田着、全航程52,860km、飛行時間194時間。

*8月28−31日:4日間連日で福建省漳州市東山島(銅山)を爆撃、日本軍の上陸を支援した。城関のほか、25の村々が爆撃を受け、死者167人、負傷者186人、家屋826軒、公共施設18ヵ所、民間船120隻が破壊された。多大な損失を出した。

*8月29日:広西省武鳴・南寧を攻撃し、「軍用自動車を銃爆撃して七台を粉砕、軍需倉庫に大損害を与える」。また南寧東北の五塘鎮を爆撃。

*8月30日:広西省南寧市と市内の遷江県に対して爆撃機12機を出撃させ、爆弾300発余りを投下した。その中の一つは臨江街の水月庵に命中し、33人を爆殺した。この空襲で民家200数軒が爆撃され、南寧の住民360人余りが爆死した。

*同日:重慶の九龍坡区白市駅と広陽壩(長江上流の沙州島)飛行場などに月明を利用し、大挙二回にわたり夜間爆撃、各地を炎上させる。死亡24人、負傷29人。別に南川鳴玉鎮において爆弾1発で家族11人のうち5人が死亡、6人負傷。

*同日:広西省崇左市憑(ひょう)祥・鎮南関の倉庫群、輸送中の自動車、貨車十数輌を爆撃。

*同日:湖北省宜昌、広西省柳州を爆撃。

*8月31日:未明、重慶西方の白市駅の新たな飛行場を爆破、さらに市街地を「猛爆し大火災を生じさせた」。

*同日:安徽省宿松県黄湖畔・池州市東流県香口鎮、福建省福州市亭郷を爆撃。

*8月末:湖南省株洲の住宅地を爆撃し、欖樹坪の一帯は瓦礫となり、元電信局の跡地と街の小学校はすべて爆破された。

【台湾と朝鮮にも「国民徴用令」施行】

〇 日本が統治する台湾日総督府は日本で7月15日から施行された「国民徴用令」を同様に公布し、10月1日から施行された。これは同じ植民地である朝鮮においても同様に施行し、日中戦争中の日本各地の労働力不足を補うため、労働者を強制的に動員・補充しようとした政策で、これが「強制労働」にも繋がっていく。

◎ 8月23日、インドの独立運動の指導者であり国民会議派議長のネルー(戦後の初代首相)が重慶を訪問。盛大な歓迎式が行われたが、ネルーの滞在中に五度も日本軍の爆撃があり、蒋介石との会談中もしばしば防空壕に入って会談は継続された。

9月

◎ 9月1日、ドイツがポーランドに大挙侵攻し、3日に英、仏が独に宣戦布告し、第二次世界大戦が全面的に勃発した。そして8/23に「独ソ不可侵条約」を締結したばかりの一方のソ連が東から侵攻し、ポーランドは独ソ両国に分割・占領された。

*1939年9月1日:重慶の白市駅と広陽壩、梁山(現・梁平区)の各飛行場を39機により夜間爆撃。実際には「各飛行場」だけではなくて、梁山県城等の市街地を二隊に分かれ爆弾285発投下、それによる死者は2人、負傷者15人と少ないが(避難訓練によるものと思われる)、家屋158棟が破壊され、372人が難民となった。

*同日:四川省万県に爆弾18発、万州橋など8箇所が被爆、58人死亡、78人負傷、建物51棟が倒壊。

*同日:広西省柳州南西の大楽墟の自動車群、南寧市賓州の燃料倉庫群を爆撃。

*同日:海南省秀英・和楽、広東省雷州半島石城、雲浮市大坎の軍事施設などを爆撃。

*同日:山西省五台山西南の山地に潜伏する約一千の部隊を爆撃。

〇 1日、傀儡「蒙疆連合自治政府」が張家口に設立された。

*9月2日:広西省貴港市貴県・欽州市梅麓、広東省茂名市化県を爆撃。

*同日:未明に四川省梁山、重慶広陽壩の両飛行場、万県の兵站基地を爆撃、梁山飛行場は2度にわたった。

*9月3日:54機が重慶の市街地を爆撃し、投弾88発、死者8人、負傷者27人。別途、39機で小龍坎(かん)・奉節県を夜間爆撃。

*同日:広西省貴港市潯州・南寧市賓州、広東省雷州、大坎を爆撃。

*同日:湖南省湘潭県城を爆撃。

*9月4日:未明に重慶の小龍坎を急襲、空中戦となるが市街地一帯の軍需工場、建築物を爆撃、十数ヶ所から火災を生じさせた。

*同日:広西省柳州の市街地、柳江岸の軍用倉庫群、船艇群、飛行場の施設を爆撃。

*同日:広西省南寧・賓州・鬱林・貴県、広東省潮州を爆撃。

〇 9月4日、日本の大本営は南京に支那派遣軍総司令部を設立した。

*9月5日:広東省潮州市潮汕駅を爆撃。

*同日:湖北省沙市を襲撃、集結中の大部隊および市街の司令部、軍事施設を「爆砕」、一つの爆弾が油庫に命中、「黒煙天に沖する悽愴な光景」となった。

*9月6日:広州市海珠区古港・越秀区登塘街、海南島北部を爆撃。

*9月7日:(海軍航空隊が)海軍の広東省中山市横門作戦に協力、また別途、潮仙地方への陸軍部隊に協力、「敵陣地および敵兵を銃爆撃して多大の戦果を収める」。

*同日: 17機が重慶北の上空から市街地に侵入し、45発の爆弾を投下、120棟以上の家屋を破壊し30人の死傷者を出した。

*9月8日:陝西省延安を明け方から3機が市街地上空を旋回、偵察飛行を行い、9時頃、爆撃機15機が東南方向から飛来、続いて28機が南東から飛来し、計43機が200発以上の爆弾を投下、主に市街地の北街と西山上に多く着弾し、倒壊した家屋150棟以上、死傷者は軍民合わせて58名にのぼった。10日にこれまでの犠牲者の追悼会が行われた。

*同日:地上部隊への協力で広東省香山県(現・中山市)に銃爆撃を加え、さらに汕尾市陸豊甲子鎮、掲陽市神泉鎮で陸揚げ中の船艇群や桟橋を爆撃、別途、潮州を爆撃。

*同日:7機が広東省掲陽市恵来県の神泉鎮を爆撃。爆死した住民の黄栄利、林延慶、謝振雄ら24人のうち、黄栄利の一家7人全員が死亡した。

*同日:3機の日本軍機が福建省福州市閩清県城に飛来、数回旋回を繰り返し急降下、塩倉道に3発の爆弾を連続投下、そこに停泊していた十数隻の米運搬船は粉々に破壊され、船頭たちの肉片が岸の石の欄干などに飛び散っていた。

*同日:湖南省満載?(不明)を急襲、市内の軍事施設と集結中の大部隊を「兵馬もろとも木っ端微塵に粉砕」。

*9月9日:湖南省株洲の兵器工場を爆撃、「甚大なる損害」を与え、江西省の贛江沿岸の宜春市樟樹鎮、吉安市峡江付近で大型船艇群9隻を撃沈もしくは大破、また吉安市西北の廟前・安福、南方の拓湖・蓮花地区において無数の軍用貨物自動車を爆撃。

*同日:広西省龍州、広東省潮州市潮汕地方を爆撃。

*9月10日:長江の支流で江西省を流れる贛(かん)江水域の宜春市樟樹鎮、萍郷市蓮花、吉安市峡江・仁和において船艇8隻を撃沈大破させ、吉安市安福において自動車群を爆砕。

*同日:広東省深圳市大亜湾・中山市横門、惠州市澚(いく)頭港、潮州、梅州市𨻧隍(りゅうこう)を爆撃。

*同日:湖南省岳陽市湘陰県を爆撃。

*9月上旬:湖北省恩施市来鳳を爆撃。

【四川省瀘州で1160人爆死】

*9月11日:前年9時半、重慶上流の四川省南部の重要拠点瀘州を35機により爆撃。瀘州の帰途、宣伝ビラを30万枚散布した。これは中国側の記述では、「日本軍機36機が瀘州を空爆、白塔寺、愛金門、枇杷谷、南吉子、蔵角巷などに200発以上の爆弾と焼夷弾を投下、また機銃掃射も行い、瞬時に北城一帯は一面の火の海となり、家屋7600軒以上を破壊した。事後に確認された死体は1160体、重軽傷者は1445人、身元が確認できない死傷者は約200−300人、全員が死亡した一家もあった。 物資財産の損失は巨大であった」(『侵華日軍暴行総録』)とある。

*同日:広西省南部の鬱林の倉庫や船艇群、自動車群を爆撃。

*同日:広東省潮州、豊順、潮暘を偵察攻撃、付近の陣地を爆撃。

*同日:27機が湖北省恩施市の巴東と来鳳飛行場を爆撃。来鳳には18機が飛来、100発以上の爆弾を投下したが、飛行場とその付近に多くの爆弾が投下され、家屋3陳を爆破、死傷者42人を出した。

*9月12日:地上部隊に協力して浙江省衢州市塘埠・金華市東陽西頭を爆撃。

*同日:湖北省思施飛行場を奇襲、飛行場全面を爆撃、「大打撃を与えた」。

*同日:四川省万県(現・重慶市万州)、江蘇省南通市海門水道を爆撃。

*同日:広西省鬱林・貴県、広東省河源市老隆鎮・潮州市・中山市横門、江西省贛州市内陸を爆撃。

*同日:午后4時頃、3機が福建省漳州市漳浦県の旧町渡船頭を爆撃、その他商店など建物の4棟を爆破、その中で1人が死亡、3人が負傷。

*同日:午前9時、3機が福建省漳州市東山の沃仔頭に爆弾2発を投下、民間船3隻を破壊し、民間人1人爆死、2人負傷。また港村に爆弾を投下し、民家数軒を破壊し、民間人2人が負傷。東山県(島)は1938年から1944年の間に、延べ956機が飛来、1361発の爆弾が投下され、民間人892人が爆死、250人が負傷、家屋2456室、民間船237隻が爆破された。

*9月某日:3機が漳州市漳浦県政府、孔子廟を空襲し、数発を投下したが、いずれも空き地に落ち、死傷被害なし。

*9月13日:27機が四川省万県を襲撃、中国空軍は日本軍10機を撃墜。

*同日:江蘇省南通市海門水道の呂西鎮、常熟市久隆の中国軍陣地を爆撃。(陣地とあるが実態は、「2機の日本機が2回目の呂四鎮爆撃を行い、爆弾4発を投下、2人が死亡、3人が負傷、家屋13軒が破壊された。続いて14日午前、2機が呂四鎮に3度目の爆撃を行い、爆弾4発を投下し爆死2人、家屋7軒を破壊した。その後日本軍は3回にわたり呂四鎮を占領、「清郷」「掃討」を行い、焼殺、略奪、婦女暴行等、悪行のかぎりを尽くした」となっている)。

*同日:広西省龍州・崇左市憑祥、求口(省市不明)を偵察爆撃。

*同日:広東省汕頭市汕尾・潮州市潮汕・中山市横門の陣地や倉庫・兵舎を爆撃。

【書き写せないほどの残虐行為】

*9月13日:日本機は江西省九江市修水の三都街、梁口街及び付近の村々を次々と爆撃・掃射し、修河両岸は火の海となった。梁口街で70人が爆死し、4戸が爆破された。そこから日本軍は三都を10日余り占拠し、住民を使って毒菌の実験を行い、36人を毒死させた(この年日本軍は各地で細菌実験をしている)。その他の残虐行為の例として、子供を抱いていたある老婦人から、日本軍は子供を奪って殺し、子供は悲鳴を上げ、婦人は喚いて罵り、日本軍は彼女を輪奸してから腹を切り裂いた。また毛竹山で通行人1人を捕らえ、道案内を強要したが従わず、そこで綿で身を包み、灯油をかけ火をつけて焼き殺した。日本軍の姦淫の獣行はおどろおどろしい。… (これ以上書き写すのは憚れる)… これらにより修水では民間人514人が惨殺された。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

【日本軍の占有地区】

〇 9月13日、中国軍政部の何応欽部長は重慶新聞界に対し、最近の戦況を報告し、現在、日本軍が占有している12省内には933県があり、そのうち日本軍は521県占有していると述べた。

*9月14日:午後三時頃、突然三機が江西省南昌市進賢県温圳の上空を飛んできた。12回目の空襲だったが、店の前で「ドカン」と爆発音がし、屋根が吹き飛ばされ床板が揺れ破片が飛び散った。続いて店の左右に焼夷弾が二つ落ちて、むせるような煙が立ち上り、右側の三軒が炎上した。飛行機が去った後、近所の人々がやって来て火を消し人を助け出そうとするが、鵬四店の中では屍が横たわり、奉公人が仰向けに倒れ、血が溜まり、折れた片足が掾に引っかかっていたり、その惨状は見るに堪えない。この空襲で鵬四店では合わせて30人余りの死傷者が出た。

*同日:広西省龍州市南西部の江上の船と江岸に積んでいた油料タンクを爆撃し、「天を衝く大火を引き起こした」。

*同日:広西省憑祥と龍州間の自動車群、中国軍拠点につながる軍橋を爆砕。

*同日:広東省潮州西方、福建省龍渓・厦門などの要所を爆撃。

*9月15日:33機が寧夏(現在の陝西省西北の寧夏回族自治区)を襲撃した。

*同日:広西省南寧市賓州・崇左市龍州の軍事施設を爆撃、二ヶ所に火災を起こし、山積してあった燃料罐や船艇の燃料罐を焼失させた。

*同日:広西省河池市宜山、南寧市賓州の軍事施設や倉庫を爆撃、数カ所に大火災。

*同日:江西省贛州市白雲山〈徳安付近〉、広西省平面関、広東省潮州西方、厦門付近、海南島石山を爆撃。

*9月中旬:漳州市海澄県城の本庁何一帯は3回連続して爆撃され、多くの死傷者が出た。

*9月16日:山東省煙台市海陽北方を爆撃。

*同日:陸軍部隊の進撃に呼応して、江西省宜春市奉新南西地区に密集する部隊に「猛烈な銃爆撃を加えこれを潰走させ」、同市高安の江鎮・伍橋の拠点や橋梁を連続爆撃。

*同日:広西省崇左市龍州・憑祥、平面関、海南島、広東省潮州を爆撃。

*9月17日:広東省潮州西方を爆撃。

*9月18日:湖南省平江県を爆撃し、 西と北の2つの街が瓦礫となり、300人以上が死傷した。

*同日:河南省を流れる灌河、江蘇省阜寧県を流れる射陽河付近の軍事施設、広西省南寧付近の倉庫6棟他の軍需品、南寧扶南の軍用汽艇5隻を爆撃。

*同日:福建省三明市永安・興化(現・莆田市)・漳州市漳浦を爆撃、漳浦では南山寺の大石仏堂の辺に一弾落ち仏堂が倒壊した。旧橋尾洲仔頂怡髪漬園で一弾、店舗が倒壊、1人圧死、1人負傷。

*同日:2機の日本機が福建省泉州市徳化県城を爆撃、6発の爆弾を投下し、商店街が被爆し15人が死亡、犠牲者の血と肉は飛び散り、胃腸は木や電柱にぶら下がり、目も当てられなかった。妊娠8カ月の許梅は子供の昭豪と南門の橋脚の下に隠れたが、母子ともに爆死した。嫁入り道具を購入しに来たひとりの娘は手の中に傘を持ったまま爆死した。育英小学校(キリスト教会が運営、アメリカ国旗を掲揚)で女性宣教師・周談が爆傷を負いその後死亡。この爆撃で47人が死亡、83人が負傷した。(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:陸軍の進撃に協力して、江西省宜春市高安・灰埠・瀘家墟・坑口・小港口・冷水坑・荏苑渡などを急襲、連続銃爆撃して「粉砕または撃滅」。

*9月18−19日:一機が福建省漳州市長泰の千長侖に侵入、爆弾3発を投下、死傷者なし。翌日、2機が県城を偵察飛行した後、低飛行して機銃掃射を行ったが、死傷者なし。同様に福建省泉州市永春県に18日午前8時半、4機が上場村に6発の爆弾を投下、民家10数棟を破壊。翌日の午後3時半、3機が県城に12発の爆弾を投下、住民4人を負傷させ、民家10数軒を破壊。

*9月18−20日:7機が三日連続で福建省泉州市南安県城の東門富春鋪に十数発の爆弾を投下し、住民1人が爆死し、民家2棟が爆破された。

*9月19日:引き続き陸軍に協力し、宜春市灰埠・泗渓付近に潰走する中国軍を捕捉爆撃、高安占領に貢献した。

*同日:さらに潰走する中国軍を追撃し、高安近辺の夾県郷・南余馬・石明・永豊・望夫山などの約千名の部隊と拠点を逐次爆撃。

*同日:河南省灌河、広東省澚門(マカオ)・潮州・梅州市掲陽砲台・河源を爆撃。

*同日:前日に続き、福建省永安・興化・漳浦の地区に陣を張る部隊を20数カ所爆撃、大軍需品倉庫などを焼失させた。中国側の資料では永安は「前日に続き県城市街地を爆撃、焼夷弾を含む10数発を投下し、数十軒の民家や商店が破壊され瓦礫と化した。10人以上の住民が爆死、或は家屋の倒壊で圧死した」となっている。

*同日:海南省臨高県新盈(えい)港を大規模爆撃。その後日本軍は25日に上陸して新盈鎮を占領、地区の住民は日本軍に踏み潰された。抗日の軍民を逮捕する目的で罪のない村民を濫殺、例えば頭洋村は30数人殺され、180軒の家が焼かれ、魯倪村で30人以上が殺された。和満腹村(現・軒県)では100人余りが殺され、30軒余りの民家が焼かれた。「ゲリラをかくまった」と疑われた彩橋、和朗、美文、太郎などの村の民家200棟余りが放火され、全焼した。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*同日:福建省泉州市徳化県城の育英小学校を再び襲い、学校の「美姫」棟が爆破され、生徒3人が死亡した。

*9月20日:江蘇省海門水道北岸・南通市鼓山、湖北省武穴市泥湖、湖南省懐化市辰州・辰谿を爆撃。

*同日:陸軍地上部隊への協力は続き、江西省宜春市上高付近泥湖、水口墟・灰埠鎮、贛江の支流錦江沿岸などに集結している大部隊および陣地を爆撃。

*同日:江西省宜春市宜豊・銅鼓を爆撃。銅鼓では3機が宜豊爆撃の後、爆弾、焼夷弾を投下し、機銃掃射を行った。途端に街中は燃え上がり、硝煙が立ちこめた。邱社祠の後ろの一つの防空壕では、近くの家屋が燃えて入り口を塞ぎ20人余が窒息死、多くの店舗が破壊、焼失し死亡39人、重軽傷62人。

*同日:江西省贛州市江口埠・吉安市荒山、九江市修水・三都鎮の拠点を連続爆撃。

*同日:広東省潮州・𨻧隍・汕尾市碣石、福建省厦門・徳化・仙遊付近において軍事施設、軍需倉庫のほか船艇群を爆撃。

*同日:(18日に続き)福建省漳州市竜渓県石碼の羅錦村、蔡厝巷と打石街、李厝埕一帯に向い、大型爆弾6発を投下、民家30棟以上が破壊され、38人が死亡、60人以上が負傷した。

*同日:午前8時頃、6機(3爆撃機、3戦闘機)が 福建省三明市大田城関に飛来、数回旋回した後、地上に向かって急降下し、まず林の中に投石して探りを入れ(当時城関の各学校は安全のため郊外の林の陰や廟を臨時教室としていた)、次に機銃掃射を行い、すぐに公的機関や学校などの標的に爆弾を投下した。計4発の爆弾の内の2発が大田中学校と均渓小学校の共同棟の6間、文廟の左側の廊下(集美職業学校の臨時宿舎)を爆破、人的被害はなかったが学校の図書と什器が甚大な損害を被った。(『侵華日軍暴行総録』)

*9月某日:河南省南陽市桐柏県の固県街にちょうど人々が大勢集まっていた。そこに敵機が突然やってきて、40個余りの爆弾を落とし、軍民280人余りを爆殺した。

*9月某日: 湖南省岳陽市華容県城を3機が爆撃、30発以上の爆弾を投下し、住民10人以上を爆殺、

*9月21日:江西省宜春市上高・徳安、九江市三都鎮、四川省成都市彭山を爆撃。

*同日:福建省福州南方洪山橋、閩江口の船艇群、広東省潮州市潮汕、𨻧隍江岸、汕尾市碣石鎮、揭陽市大洋を爆撃。

*同日:湖南省懐化市辰州・辰谿を急襲、倉庫群の大部を破壊あるいは炎上させた。(実際には沅陵県などの市街地を爆撃している)

*同日:地上部隊への協力で、錦江沿岸と上高、高安周辺の中国軍陣地や橋梁を爆撃して退路を遮断した。

*同日:日本機は海南省白沙県城の牙叉鎮と県境の各墟鎮を爆撃。

*9月21−24日:四日間、湖南省懐化市沅陵県県に、述べ72機が403個の爆弾と11個の焼夷弾を投下、死者148、負傷者42、焼失家屋244棟。

*9月22日:地上部隊に協力して午前と午後の2度にわたり江西省奉新県九仙湯・徳安の中国軍後方拠点を爆撃、「甚大の脅威を与えた」。

*同日:福建省寧徳市古田県、南平市延平を爆撃。古田県では午前8時、3機が来襲、旋回を一回した後、東門頭の民家に9発の爆弾を投下。旋回して機銃掃射をしたのに続き、向原に9発の爆弾を投下、大型家屋2棟、小屋2棟を爆破、住民7人が死亡。南平市では 午後、7機が市街地を空襲、4発の爆弾を投下し、貨物会社とバス停に着弾、家屋5棟を破壊、爆死4人、負傷2人。

*同日:福建省三明市沙県では7機が市心街、西門街、六婆巷、社学坊などを爆撃し、14発を投下、11人が死亡、20人が負傷した。

*同日:別飛行部隊が、福建省福州の洪山大橋の軍事施設、閩江口砲台と軍用船艇群を爆撃。

*同日:広東省潮汕・横門を爆撃。さらに広東省潮山・𨻧隍江岸・汕尾市碣石湾において荷揚げ機や船艇群を爆破。

*9月23日:山東省煙台市莱州・龍口、江蘇省灌河・射陽河付近・塩城を爆撃。

*同日:二隊が湖南省岳陽市湘陰を爆撃、他の二隊が懐化市柿渓口・常徳市柳林渓の軍需倉庫数十棟を爆撃、さらに湖南省岳陽市営田鎮を爆撃。

*同日:江西戦線において貴州省三都、江西省九江市武寧・修水県梁口などの「残敵」を攻撃。

*同日:江西省宜春市奉新の九仙湯、安徽省池州市洋湖、江蘇省鎮江市黄土橋を爆撃。

*同日:福建省海壇島・福州市永泰、浙江省湖州市、江西省贛州市内陸、広東省汕尾市・珠江湾、海南省海口市甲子港

*9月24日:湖南省北東部の洞庭湖における陸軍の作戦に協力して、岳陽市営田鎮、江西省九江市修水・徳安・鹿角・内陸を爆撃、また別働隊が西岸の湖南省常徳市・懐化市辰州を爆撃。

*同日:前日に続き江西省の九江市修水、宜春市奉新、撫州市胡庄一帯を反復爆撃。

*同日:広東省潮州・横門・陵水各付近を爆撃。

*同日:江西省宜春市高安県上湖郷崗上村を乱爆、310人の住民を爆死させ、70軒余りの家屋を焼いた。

*同日:21日から24日の間に三回にわたって湖南省懐化市沅陵県を爆撃し、72機が403発の爆弾と11発の焼夷弾を投下。また27機が小城の繁華街に爆弾40発と焼夷弾30発を投下した。家屋224棟を焼失し、死者は148人、負傷者42人。

*9月25日:山東省龍口付近、江西省吉安市石街を爆撃。

*同日:浙江省麗水市雲和、台州市黄岩、温州市甌江・瑞安を爆撃。 雲和では電話局が全壊し、局長など死者3人、負傷者2人、家屋5戸18間が破壊された。

*同日:江西省九仙湯、広東省普寧市赤崗山・湛江市河頭、広西省南寧・湘江方面、海南島陵水渓を爆撃。

*同日:長駆して内モンゴル自治区の寧夏(共産党軍根拠地)を急襲、対空砲火があったが、軍事施設などに「巨弾の雨を浴びせて全機無事帰還した」。

*同日:午前10時頃、3機が江西省宜春市銅鼓県の大緞鎮に急降下して機銃掃射、同時に爆弾を投下した。たちまち、天後宮、雲屏書院など伝統的建物十棟に火が飛び、瓦が砕け破壊され、三歳の子供を抱いていた妊婦などが一緒に爆死した。別途、三機が銅鼓県の帯渓に爆弾を投下したが、不発弾もあり大きな被害はなかった。

*9月某日:浙江省衢州の中学図書館、学生寮と自修室及び衢中毘連の城狼廟、育嬰堂などを爆破し、家屋20数軒を倒壊させ、育嬰堂の乳児7、8人を爆死させた。

*9月26日:敗走兵を追撃して江西省九江市武寧煙港・修水黄沙橋・我橋、南昌市万寿宮などを爆撃。

*同日:江蘇省泰州市興化を爆撃。

*同日:広西省南寧の倉庫や自動車群、船艇群を爆撃。

*同日:浙江省台州湾、温州市甌江口・瑞安、慈溪市河漕頭、麗水市雲和などの軍事施設、倉庫、工場を爆撃。

*9月27日:江西省吉安市石街、宜春市甘坊付近の中国軍陣地を銃爆撃。別途、宜春市銅鼓県の大緞鎮に3機が来襲、黄徳順、肖家墩と巴子里後山に爆弾を投じ、機銃掃射した。また焼夷弾で山の斜面や田畑が燃えた。

*同日:広東省潮州市楓渓、広州市古港を爆撃。

*同日:湖南省長沙付近および青山と長沙上流の船艇群を「粉砕」。

*同日:午前10時頃、12機が再び楡林城内の芝圃巷から米糧市頂大街の両側を爆撃し、民家や商店200軒余りを破壊、若干の死傷者が出た。

*9月28日:河北省景山県を爆撃、爆弾15発を投下、2人死亡、4人負傷。

*同日:延べ48機が夜から深夜にかけ、5回にわたり重慶の広陽壩飛行場や梁山(現・梁平区)を夜間爆撃、梁山では27人が死亡、44人が負傷。他で6人死傷。

*同日:江西省宜春市甘坊、吉安市赤岡石街、九江市我橋などの大部隊を「壊滅」。

*同日:広西省南寧および南寧と賓陽間の自動車群、広東省潮州の根拠地を爆撃。

*同日:湖南省湘潭県城を爆撃。

*9月29日:山東省煙台市海陽・龍口付近、江西省吉安市石街、九江市我橋を爆撃。

*同日:広西省龍州、広東省潮州方面の各飛行場および軍事施設を爆撃、「大損害を与える」。

*同日:広西省憑祥付近で30輌、鎮南関と南寧市明江で60輌の自動車群を襲撃。

*同日:前日に続き、湖南省湘潭県城を数度に渡って爆撃、忠信郷、黄龍郷では17人死亡、8人負傷、市街地に焼夷弾を投下し、一昼夜炎上し、街や店舗に甚大な被害が出た。

【焼夷弾による大火災】

*同日:前夜に続けて未明に18機が重慶を襲い、爆撃。次に36機が三隊に分かれ梁山・遂寧・奉節の飛行場に対し襲撃、格納庫や市内軍事施設を爆撃、「大損害を与える」。合わせて爆弾と焼夷弾500発以上を投下、飛行場以外に 梁山の県城、城西郷、天堂郷を次々と爆撃、59人死亡、15人負傷(90人と30人とも)、大火災が発生し、1765軒焼失。 北門は特に被害がひどく、宋代の梁平八景のひとつ「万石楼」は3発の爆弾を撃ち込まれて瓦礫になり、楼の前の古石墓穴に避難していた10人は、墓穴の口が爆破されて崩壊し全員が窒息死した。遂寧は初爆撃で爆弾110発を投下、3人死亡。(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:未明に続き、夜間に重慶の飛行場を爆撃、また別の編隊は四川省遂寧の飛行場を再び襲い、「巨弾の雨を降らせ、地上機および格納庫に火災を起こさせた」。梁山・広陽壩の飛行場も爆撃。

*9月29−30日:地上部隊の江西作戦に協力、江西省宜春市甘坊・大塅鎮、九江市修水、撫州市余庄、寒毛嶺、石屑を爆撃。

【機銃掃射と焼夷弾と爆弾】

*9月30日:午後一時頃、湖南省懐化市沅陵県を27機が急襲、人々を震え上がらせた。空襲警報が鳴って周光烈の親子は飛仙石の橋の下に避難した。五分もしないうちに、機銃掃射音と焼夷弾と爆弾の炸裂音が響き渡り、煉瓦や土が空を飛び、大地や家屋が震えた。警報解除後、府倉横丁の自宅に戻ったが、路地には泣き喚く声が絶えず、門舒家から出て行かなかった者は吹き飛ばされ、壁にも木にも電柱にも、毛髪や内臓や肉片が飛び散っていた。すぐそばの横丁はまだ燃えつづけ、人々は百mの距離を息もつけないほどの熱気に包まれていた。路地の防空壕には人があふれ、壕の中央に爆弾が投下され、吹き飛んだ土砂が二つの出口をふさぎ、壕の中では数十人の人間が窒息死していた。街中一帯の商家、家屋の約2221軒が全滅し、火災現場から死体百数十体、負傷者四百余名、財産損失百万元以上を出した。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*同日:山東省海陽・龍口付近の7ヶ所を襲撃。

*同日:広西省龍州、平面関、海南省三亜市藤橋、広東省梅州市𨻧隍・湯坑を爆撃。

*同日:深夜に重慶白市駅爆撃に出撃したが、悪天候のため39機が数隊に別れ、四川省奉節、湖北省巫山・帰州・恩施などに変更し各軍事施設を爆撃。深夜のため逃げ遅れて120人が死亡、145人が負傷。

*同日:午前9時頃、3機が宜春市銅鼓県の新豊から帯渓にかけての要路一帯を爆撃した。堤防や道路、農作物が被害を受けた。

10月

*1939年10月1日:四川省成都に(36機が二回に分けて)曇天を突いて空襲を敢行、鳳凰山・太平寺等において地上からの照射砲火を受け、敵戦闘機12機と交戦しつつ、軍事施設等を爆撃、別途、四川省遂寧市、湖北省恩施市巴東県・武穴市龍坪鎮を爆撃。

*同日:江西省我橋、甘坊を爆撃。

*同日:海南島陵水・広東省中山市横門を爆撃。

*同日:陝西省西安北側の高陵県(現・高陵区)の県城を爆撃し、28人が死亡、4人が重傷、23人が軽症を負った。

*同日:午前11時半、9機が陝西省渭南県城を爆撃した。

*10月2日:未明、四川省成都を爆撃。郊外に約50発の爆弾を投下し、農民7人が爆死、1人が重傷、家屋2棟を破壊、また農耕牛他家畜10頭以上が死亡。

*同日:四川省徳陽市川西、瀘県(瀘州)、宜賓市叙州飛行場を45機が夜間に爆撃、「大打撃を与える」。

*同日:山東省海陽・龍口付近を連続爆撃。

*同日:江西省修水・石街、貴州省三都、広東省潮州・中山市横門、海南省陵水を爆撃。

*同日:26日以来、陸軍の江蘇省高郵攻略に協力し、江蘇省泰州市興化・揚州市宝応を偵察爆撃を実施。

*同日:早朝、8機が江蘇省の車邏鎮、高郵城を爆撃し、日本軍の高郵湖上陸を援護した。7時ごろ、日本軍は城内に侵入し、石工頭、西門湾一帯で住民200人余り、西後街北頭一帯で住民300余人を銃殺した。北門外の麦粉工場の道端と田野には日本軍に殺害された避難者の死体約百体が横たわっていた。日本軍は入城して1ヶ月足らずで、連続して5回の大虐殺を行い、計1200人余りの罪のない民間人を殺害した。ある時、日本軍の暴虐に逆らう者が西後街で日本軍一人を殺した。すると日本軍はこの一帯で百数十名の住民を捕らえ、縄で縛り、機銃を乱射し、全員射殺した。日本軍は捜索という名で、家々に侵入し、財物を見ては略奪し、青壮年の男を見ると中国兵とみなし直ちに殺害した。若い女子を見ると強姦し、やがて郵城東郊の農村を焼き払った。

【中国空軍の反撃】

▽ 10月2日:ソ連空軍志願兵と連携した中国空軍は日本軍が占領し基地としている漢口飛行場を空爆し、日本機50機を破壊した。続けて3日、同連携軍が漢口飛行場を爆撃、その中の一弾が海軍戦闘指揮所付近に落下し、たまたま合議していた日本将兵14名を即死させ、38名に重軽傷を与えた。

*10月3日:前日に中国機から受けた漢口爆撃に対し、湖北省宜昌・恩施市来鳳、湖南省芷(し)江・衡陽の各飛行場を「猛爆」。別途、貴州省三都、江西省武寧を爆撃。来鳳では5機が飛来、10発以上の爆弾を投下し城関全体に火が広がり家屋188棟が爆破され、14人が死亡、28人が負傷した。

*同日:広東省東莞市林屋辺・潮州市を爆撃。

*同日:重慶の小龍坎(かん)市街地の軍事施設に対し夜間攻撃を決行、各地に火災を起こす。

*同日:湖南省婁(ろう)底市冷水江、永州市大拗嶺、安徽省宣城市石口渡、江西省九江市甫田橋、石梨橋を爆撃。

*同日:24機が湖南省懐化市沅陵県に二百発の爆弾と数発の焼夷弾を落とし、17人が死亡、約120人が重軽傷。

*10月1、3、4日:株洲県城を3回爆撃、5人が爆死、7人が負傷、また街中の重要な建物や旅館などが爆破された。

*10月4日:47機が重慶を夜間爆撃、郊外で33発を投下し、8人が死亡し、9人が負傷、家屋14軒が破壊された。

*同日:39機が重慶白市駅・広陽壩(ダム)の飛行場を夜間爆撃。

*同日:山東省煙台市莱陽方面、湖北省随州市大力街・黄岡市下新鎮・濯港鎮、広東省潮州を爆撃。

*同日:湖南省宝慶(現・邵陽市)、懐化市芷江を爆撃。

*同日:江蘇省興化市、蘇州市観前、河南省南陽市河園里、貴州省三都、江西省修水を爆撃。

*同日:午前、日本爆撃機が山西省から二度にわたって陝西省合陽県城に侵入、文廟、屈家巷などを次々に爆撃し、数人が負傷し、10棟の家屋が倒壊した。

*10月5日:25機が5回にわたり重慶白市駅と飛行場、郊外の広陽覇飛行場、また四川省巴県永興場などに爆弾47、焼夷弾8発を投下、11人が死亡、12人が負傷。

*同日:湖南省宝慶、芷江の各飛行場、江西省修水、湖北省黄岡市黄梅付近、江蘇省興化市を爆撃。

*同日:広東省潮州市饒平、中山市黄健方面、恵州市龍門の集合部隊、兵舎を爆撃。

*10月上旬:7日間にわたって湖南省長沙市瀏陽を爆撃し、5人の死傷者を出し、澄中高小校舎と北門一帯の住宅数十棟を破壊。

*10月6日:湖北省黄梅、広東省潮州市饒平、中山市横門・黄健、恵州市龍門を爆撃。

*10月7日:山東省煙台市牟平、江蘇省常州市張家辺、粤漢鉄道(楽昌−宜章間)を爆撃。

*同日:広東省潮州西方、梅州市豊順・梅県、広西省北海を爆撃。

*同日:重慶白市駅を爆撃。

*10月8日:海軍の陸戦隊の掃討戦に協力して山東省牟平・龍口付近を爆撃。

*同日:江西省九仙湯南方の石渓、沺舗街(省市不明)、湖北省武穴大金鎮、浙江省嘉興市富甸、江蘇省興化市沙溝鎮、粤漢鉄道(湖南省株洲駅の鉄橋)を爆撃。

*同日:広西省桂林・武鳴の各飛行場、湘桂鉄道の沿線の全県・零陵・龍州・鎮南関各駅の軍需品倉庫群、燃料庫、自動車群を爆撃。

*10月9日:江蘇省興化、湖南省芷江・衡陽・零陵・宝慶を爆撃。

*同日:湘桂鉄道の河南省全県駅、広西省桂林市興安駅・霊川、龍州の各駅を爆撃、倉庫、機関車、車両の構内施設を「粉砕」し、線路も切断した。また同省欽州市鬱林地区では7棟の倉庫、道路上の800もの荷車を銃爆撃、また北海市も爆撃。

*同日:江西省吉安・広昌の各飛行場を急襲。

*10月10日:河南省鄭州市の平漢鉄道沿線に大量の飛行機を出動させた。その中で2機が新鄭県城上空から2時間以上にわたって爆撃し、列車を爆破、住民10人余りが死亡した。

*同日:四川省重慶西方に位置する自貢市自流井を爆撃。自流井は「塩都」と称され、井塩(井戸を深く掘れば塩水が流れているため)と呼ばれる良質の塩が産出される街であった。そこで日本軍は、その製塩業を破壊するた めに爆撃をし、1941年8月9日までの約2年間に、7度も爆撃した。これに対し日本側の記述は、「自貢市自流井を2度にわたって襲撃、軍事施設および倉庫群に爆弾の雨を降らせ、うち8ヶ所から火災を起こさしめた」とあり、どこまでも「軍事施設」としている。

*同日:陝西省宝鶏を爆撃し、鉄道施設を破壊した。

*同日:中国共産党八路軍拠点のある陝西省の延安市宜川・咸陽市渭水・渭南市華県・西安市高陵を爆撃した。

*同日:重慶の南端秀山県において航空機部品倉庫を爆砕。一方で中国側の資料。

 —— 午前、秀山県の軍民約300人が県城南門外の中山記念堂前に集まり、辛亥革命28周年を祝っていた。そこに6機が秀山県城の上空に飛来、2隊に分かれてまず市街地に機銃を乱射、すぐに焼夷弾約30発、100−200ポンド軽爆弾75発を投下した。町全体が火の海となり、午後6時になってようやく鎮火した。市全体の5分の3の建物が瓦礫となり城下は廃墟となった。周辺も含めて18人死亡、31人負傷、家屋2000間以上が焼失、そのうち学校が3校であった。

(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:湖北省恩施の軍事施設、湖南省衡陽の飛行場と軍事施設、益陽市沅江の軍需倉庫、江蘇省高郵東方を爆撃。

*同日:安徽省安慶市宿松、合肥市湯池街の中国軍数百と船艇群に「大損害を与えた」。

*同日:江西省宜春市奉新西方の羅坊街を移動中の大部隊と鄱陽湖南方撫州県の司令部を猛爆。、

*同日:広西省河池市の自動車工場、同市南丹・柳州の飛行場に「巨弾を浴びせ」、憑祥・鎮南関・崇左市寧明・龍州方面の軍需倉庫、自動車群を爆撃。また同省南寧と貴州間の輸送路を爆撃。

*同日:山西省吉県の再建中の軍事施設を「粉砕」、さらに呂梁市柳林鎮、司令部のある鍬峩村を爆撃。

*10月10−11日:陝西省西安を連日2度に渡って爆撃。11日午後1時、12機が西安市区東北の大華綿紡績工場を爆撃した。約30発以上が投下され、工場は破壊され全焼、労働者12人が死亡し、4人が重軽傷、周辺住宅60余軒が焼失、多くの紡織機のほか大量の製品や綿の原料を失い大損害を出した。これは日本側の記録では、陸軍飛行隊が「午前、大編隊をもって赤都〔共産党軍の都市の意味〕西安を急襲、西安北部の重要地点に巨弾の雨を降らせ完膚なきまでに粉砕、午後再び襲い、南部一帯を猛爆。さらに翌日も午前午後にわたり西安城内の主要軍事施設、飛行場等を爆砕、西安駅の給水タンクを吹き飛ばし、停車中の貨物列車は打線転覆し構内はめちゃめちゃに粉砕され、二日間11回にわたる爆撃で西安は全く死の相貌を現した」となる。

*10月11日:大編隊をもって湖南省芷江・衡陽・零陵・宝慶、河南省南陽市内郷の各飛行場を爆撃。

*同日:広西省鎮南関の軍需倉庫、南寧と寧明間の自動車群を爆撃。*同日:(共産軍根拠地)陝西省宜川を猛爆(その後一機が延安を爆撃)、さらに潼関西北に集結して舩橋を構築中の船団を壊滅。

*10月12日:午前、西安南方の王曲鎮を急襲、軍官学校および軍事施設を「完全に打ち砕き」、午後は陝西省渭南、華県の要衝を襲撃し「軍事施設を爆砕」。

*同日:広西省桂林北部一帯の軍事施設を爆撃。

*10月13日:36機により重慶近郊の梁山飛行場他県城内を爆撃、爆弾324発により29人が死亡、25人が負傷、家屋1765軒が破壊、焼失し、1843人が難民となった。また18機が二隊の品の字形になって南川県の城区と飛行機工場を爆撃、城区では機銃掃射で街中の人々を攪乱し、爆弾88発と焼夷弾5発で大火災が発生、火災は翌日午後まで続き171人死亡、164人負傷、家屋541棟330軒が損壊。

*同日:広西省河池市都安・武鳴の両飛行場と付属施設を爆撃、同市南丹の倉庫群6棟を焼失させ、河池−金城江間の飛行場と自動車群を「粉砕」。また桂林付近の防空陣地および倉庫群を「壊滅」。

*同日:広東省雷州半島の石城・梅林・高州付近の軍事施設、倉庫を爆撃、さらに汕頭市付近の銭岡・屯坑・炮台の予備師団等を「爆砕」。

*同日:海南省北部山岳地帯の石山、道堂付近の中国軍部隊を爆撃。

*同日:山東省煙台市龍口・莱州、江蘇省淮安市漣水を爆撃。

*同日:湖南省懐化市辰州・辰谿の軍需倉庫を炎上させる。

*同日:貴州省三都方面に潜む大部隊を爆撃。さらに広東省潮汕を爆撃。

*同日:陝西省咸陽を急襲し、駅および軍事施設・倉庫、さらに西安の高陵県北街を爆撃、28人が死亡、27人が負傷した。

*同日:9機が陝西省華県県城を爆撃、20発以上の爆撃を投下、50人以上が死亡、40人以上が重軽傷、東城門の楼閣と商店2軒が倒壊した。 

*同日:正午の昼食時、  浙江省嘉興市嘉善 の西塘を爆撃、中塘橋玉楼春茶屋、鐘世澄住宅とも爆撃され、家屋が多く被爆、一人爆殺、負傷四、五名、同時に国民党の施設を襲撃し、「電信隊」十数名を爆死させた。

*10月14日:江蘇省射陽河・阜寧・塩城方面、広西省欽州市霊山・鬱林・貴県・龍州軍事施設や倉庫、兵営、また湘桂鉄道沿線の霊川付近の倉庫20棟、さらに鬱江上の大型汽艇を爆撃。

*同日:河南省全県の機関車庫と倉庫群、広西省河池市宜山の燃料倉庫群に大損害を与える。

*同日:広東省三水東江付近を爆撃、「敵の軍需倉庫群、軍用汽艇に大打撃を与える」。

*同日:湖南省永州市零陵・大江口、懐化市楠木舗、永州市祁(き)陽を逐次爆撃。

▽ 10月14日:再び漢口飛行場にソ連志願兵の乗る中国機20数機が襲来、海軍戦闘機は直ちに急追し2機を撃墜したが、海軍は40機が損害を受け、陸軍も20機が損害を受けた。この事実は公表されなかった。

【延安大爆撃】

*10月15日:午前、陜西省延安に71機が4隊に分かれて爆撃をおこない、まず36機が爆弾100余個投下、午後にも35機が3隊に分かれ爆弾120余個投下、合計225個投弾され、延安市区は火の海になったが、防空体制が強化されていて、死亡者は10人、負傷者は13人で済んだ。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

 これは日本側の記録では、「午前、赤色抗日の拠点延安に長駆し、共産八路軍の兵営、陝西大学、共産大学をはじめ政治・外交部、軍事施設を爆砕、数カ所の軍需倉庫は紅蓮の炎を上げ、延安市街は大半黒煙に覆われ、山中の対空陣地も粉砕、午後も連続して大爆撃を行った」となる。

*同日:35機により湖南省芷江・零陵両飛行場を爆撃。

*同日:山東省龍口・莱州、江蘇省射陽河・阜寧・塩城方面を爆撃。

*同日:湖北省恩施と同市来鳳の飛行場を爆撃。

*10月15日:湖北省宜昌市帰州(秭帰:しき)の軍需倉庫を爆撃、と日本側の記録にあるが実態は以下である。

 —— 9機が帰州県城を2時間ほど旋回しつつ3回爆撃、10発余の爆弾を投下し、中正街、唐家巷、官井巷、景星門、河街など家屋100棟余を破壊し、県施設の大部分が破壊された。爆死30余名、重軽傷40余名、刑務所の113名は全員脱走した。

*同日:広西省龍州県上金・寧明、広東省呉川市黄坡・潮汕、海南省海口市甲子港を爆撃、炎上させた。

*同日:山西省呂梁市柳林鎮を再爆撃、また陝西省宜川の兵站倉庫、兵営を爆撃。

*10月某日:3機が占領された厦門方面から飛来し、福建省漳州市漳浦県垀場へ急降下して機銃掃射後、爆弾を投下、新店街の店舗4基が爆破され、3人が死傷した。

*10月16日:湖北省黄岡市黄梅、河南省信陽市将軍廟、江西省撫州市呉家橋・周家、湖南省芷江・零陵飛行場を爆撃。

*同日:広西省龍州・鎮南関・寧明・太平(現・崇左市)・憑祥、平面関、広東省潮汕、また広西省南寧の多数のトラック群を爆撃。

*同日:陝西省渭南市蒲城県には中国の第九十軍などの部隊が駐屯していたが、日本軍機は4度にわたって爆撃を行った。まず17機が200発以上の爆弾を投下、住民41人を爆殺、37人を重軽傷、家屋300棟以上を爆破した。この一回目の爆撃は最も激しく、被害は最も大きかった。そのうち、尭山中学校では機銃掃射で百数十発の銃弾を受け、4人が死亡、1人が重傷、学校の機械室を3つの部屋を爆破し、標本、機械、ドア、窓などを破壊、勿幕図書館の楼に1発の爆弾が命中し、楼が崩壊した。南街小学校の事務室も全焼した。(この様子では決して駐屯部隊だけを狙ったのではないことがわかる) 

*同日:広東省扶南、広西省上金付近の約30棟の軍需倉庫の大半を炎焼させ、江上の大型船艇群および小型船艇8隻を銃爆撃。

*10月17日:湖南省芷江・零陵両飛行場、広西省南寧・上金、雲南省麗江市を爆撃。

*同日:中国軍の補給路遮断の目的で、広西省寧明・憑祥・龍州・上金、平面関などの倉庫やトラック群、小型船艇群を連日銃爆撃、「多大の戦果を収めた」。

*10月18日:広西省欽州市霊山の兵舎や軍事施設を急襲、また広東省潮汕の軍事拠点を爆撃。

*10月19日:山東省煙台市招遠の軍事拠点、安徽省安慶、広東省潮汕を爆撃。

*同日:江蘇省揚州市宝応を爆撃するが、8月から主にこの10月にかけて宝応の曹甸・崔堡・安豊・林渓・望直港・蘆村などの集落を度々爆撃し、560軒以上の民家を破壊、70人以上の住民を殺害した。

*10月20日:26機が陝西省漢中市の南鄭県に襲来、城門近くを爆撃。

*同日:江蘇省宝応、広西省北海市外南方の兵営、軍事施設を爆撃。

*同日: 四川省東南部宜賓県に日本機が襲来、菜堤空港と市街に100発以上の爆弾を投下、2人が死亡、1人負傷。

*10月22日:広東省恵州市龍門・江口、広西省北海を爆撃。

*10月23日:青海省海東市平安、広西省貴港市潯州

*10月24日:当初、45機で成都の夜間爆撃に出撃したが、天候不良のため目標を変更、四川省奉節と巫山を爆撃、合わせて爆弾163発を投下、51人死亡、91人負傷、家屋400余軒損壊。

*同日:四川省遂寧の飛行場および大軍事施設を爆撃とあるが、実際には「市街区と郊外に爆弾200発を投下、2人が負傷、家屋1棟を爆破」となっている。

*同日:河南省南陽市街と内郷飛行場を爆撃。

*同日:広東省海門、浙江省台州三門港・温州、福建省寧徳市沙埕港を爆撃。

*同日:浙江省台州と黄巌、温州、麗水市青田などの軍需施設、要衝の桟橋、江上の船艇群を爆撃。

*同日:河南省の西隴(ろう)海線にある三門峡市霊宝の駅周辺と倉庫を2度にわたり空襲。

*同日:山西省長治市堰掌鎮に潜む部隊を爆撃。

*10月25日:午後2時、陝西省漢中市南鄭を35機が爆撃。南鄭飛行場と城東郊外の呉基荘から、何家庄・七里店・五郎廟・五家巷・東関・北関・中学巷、文廟巷の桑園に至るまで市街地を爆撃、83人が死亡、70人が重軽傷を負い、78棟の家屋が破壊された。

*同日:上海で「黒色の毒粉」を散布。

*同日:江蘇省宝応、湖南省辰州付近の軍事施設や倉庫群、福建省沙埕港・寧徳・福寧を爆撃。

*同日:浙江省台州市黄巌・温州市林福・麗水市青田を爆撃。麗水では5機が青田県市街地に5発の爆弾を投下、2人が死亡、1人が負傷、民家14軒を爆破。また温渓に7発の爆弾を投下、村民1人が死亡、民家83軒を爆破。

*同日:広西省龍州の兵営、陣地、燃料庫を、鎮南関では数十輛の自動車部隊を、別途寧明を爆撃。

*同日:陝西省南鄭(現・漢中市)の飛行場、市街の軍事施設、また河南省三門峡市陝県の市街の軍需工場と駅、また同市澠(べん)池の軍事施設、駅構内と貨物列車を粉砕、このため西隴海線は不通。

*同日:午前8時頃、5機が湖北から重慶市街地に侵入、焼夷弾を投下、家屋10棟以上が倒壊、民間人10人以上が死傷。

*10月26日:連日で16機が陝西省南鄭の東関と東北城角を爆撃し100人余が死亡、34人が重軽傷を負い、家屋百棟以上が破壊された。 

*同日:江蘇省宝応、安徽省安慶付近、浙江省温州市瑞安を爆撃。

*同日:軍需品輸送路を攻撃し、広西省南寧・太平、広東省龍門・扶南を爆撃。

*同日:大挙して西安を空襲、先の爆撃で被害の後始末中の市街に「重ねて巨弾を見舞った」。

*10月27日:江蘇省宝応の軍事施設数カ所、福建省寧徳の軍需倉庫と三都湾、海壇島対岸の軍事拠点を爆撃。

*同日:江西省上饒市廟前街、浙江省紹興市新昌を爆撃。

*同日:陝西省渭南市郃(こう)陽と蒲城を爆撃。

*同日:福建省福州市長楽県松下鎮は8月から何度も攻撃を受け、5人が死亡、数十人が負傷した。36軒の店舗と外商用の倉庫として使われた100棟以上の民家などが全焼した。中でもこの日に受けた被害が最も大きく、焼夷弾による大火災は8日間燃え続けてようやく鎮火、松下鎮は焦土と化した。このほかの村々も爆撃を受け、多くの民家や小学校が破壊された。

*10月28日:安徽省合肥の主力師団、江蘇省宝応の軍事施設を爆撃。

*同日:浙江省新昌、福建省寧徳・霞浦、莆田市禧(き)城・湄州浦を爆撃。(寧徳県に対してはこの三日間で計42発の爆弾を投下し、民間人16人が死傷し、家屋100棟以上が破壊された)

*同日:河南省の要衝洛陽を襲撃、駅および軍事施設を爆撃し、西隴海線を完全に遮断、別途南陽飛行場、南郷、湖北省襄陽市老河口の地上部隊と軍事施設を「猛爆」。

*同日:広東省江門市杜阮および棠(とう)下堆の各部隊に「殲滅的爆撃」を行う。

*10月29日:安徽省安慶北方、福建省厦門市馬港、漳州市石碼、竜岩市拓林、同省三明市黄崗、馬角を爆撃。馬港では6機が襲来、20発の爆弾を投下して11人が死亡した。

*同日:河南省三門峡市陝県の新旧市街地の駅と軍事施設に3度目の爆撃。

*同日:海南島北黎付近の軍拠点の爆撃。

【絶好の空襲日和の下】

*10月30日:「絶好の空襲日和を利して」(空爆する側の表現)重要赤色ルートの甘粛省平涼の飛行場、格納庫、軍需工場を「木っ端微塵に粉砕」。これに対し中国側の記述は以下である。

 —— この日、日本軍の爆撃機は2回にわたって平涼を空襲、午前10時10分、第一波の爆撃機12機が各種爆弾約140発を投下した。この爆撃の主な目標は平涼飛行場で、約70発の爆弾を投下、その後平涼城内の官公庁や学校を爆撃した。平涼県政府には10発余りの爆弾が投下され、4発が県庁内に落ち、その防空壕近くに落ちた爆弾で1人が死亡、5人が軽傷を負った。県庁の裏口でも、防空壕に爆弾が命中し、6人が死亡。平涼中学校も日本軍の爆弾に襲われ、5発の爆弾が落とされ、4軒の建物を破壊した。また城外の繁華街も襲撃目標となり、平涼北門に爆弾9発、一部が防空壕に命中、避難していた4人が死亡。爆撃の第二波はさらに激しく、午前11時45分、13機の爆撃機が、再度平涼飛行場に80発の爆弾を投下し、飛行場の4人が死亡、重軽傷者は5人。その後、平涼寶塔城付近で数発を投下し、3人を負傷させた。二度にわたる空襲で、日本軍は計220発余りの爆弾を投下し、死者16人、負傷者14人、家屋126軒が破壊された。

(『侵華日軍暴行総録』)

*同日:安徽省宣城市広徳・池州市東流県香口鎮の軍事施設などを爆撃。

*同日:陝西省宝鶏の駅を襲撃、さらに河南省洛陽の市街の軍事施設に「巨弾を注ぎ、多大の戦果を収めた」。

*同日:午前10時、26機が陝西省漢中市南鄭の飛行場や県城東関一帯(日本側では軍事施設とある)を爆撃。

*10月31日:浙江省吉安の飛行場、安徽省香口鎮の拠点数カ所、河南省南陽市の飛行場と内郷、福建省海壇島、竜岩市拓林を爆撃。

*同日:夜間に浙江省麗水・江西省玉山、福建省建甌の飛行場を攻撃。

*10月某日:陝西省延安市延長県に2回目の空爆を行い、爆弾143発を投下、15人が死亡、18人が重軽傷を負い、家畜12頭が死傷、家屋31棟、石窯1軒を破壊、食糧2100斤(1050kg)が焼かれた。

*10月某日:陝西省固林河防衛地帯を爆撃、死傷者がでた。

*10、11月の某日に5機と36機で陝西省楡林県城に二度爆撃を行ったが、人的被害少なし。

11月

*1939年11月1日:湖北省荊州市監利付近、江西省玉山飛行場、安徽省池州市香口鎮、江蘇省興化を爆撃。

*同日:福建省莆田市禧城・湄州浦、広東省茂名市電白・博賀鎮、広西省欽州市霊山・武利圩(う)を爆撃。このうち莆田では、「5機が侵入、県城の聖路加病院の平屋1棟と15室を備えた多層の建屋を爆破し、9人が死亡、5人が重傷を負った。城外の烏石鋪も爆破され、女性が一人爆死」となっている。

*11月2日:午後、6機が浙江省寧波の奉化区渓口鎮に向かい爆撃した。その中に国民党の重鎮蒋経国の生家もあり、その母が爆死した。この地は蒋介石の故郷でもあった。

*同日:山東省煙台市芝罘(しふう)付近、湖北省荊州市監利、湖南省張家界市慈利、安徽省香口鎮、江西省九江市彭沢南方の砲陣地を爆撃。

*同日:広西省河池市武鳴・北海市・欽州方面、広東省茂名市電白・水東鎮を爆撃。

*11月2日:

*11月2日−5日:72機が湖南省懐化市沅陵県に爆弾403発、焼夷弾11発を投下した。

*11月3日:湖南省益陽(初爆撃)、河南省南陽を爆撃。

*同日:広西省柳州飛行場・北海・陽江、広東省電白を爆撃。

*11月4日:10/14の中国軍の漢口空襲への反撃として72機により四川省成都の大平寺・温江・鳳凰山飛行場を大空襲。地上の10数機を大破、附属建物を炎上させたほか、中国軍機約40機と空中戦、数機を撃墜したが日本機も4機が撃墜される。中国側の記録では、「日本機54機が2つの大編隊に分かれて成都を攻撃、南北の郊外に爆弾123発を投下し、草ぶきの家や瓦屋根の家62棟を爆破、罪のない民間人16人を爆死させ、18人に重傷を負わせた」とある。この爆撃の量からして死傷者は少ないが、重慶などの例から、十分に防御体制が敷かれていたのであろう。別途、四川省遂寧飛行場上空の空中戦では撃墜2、日本機2機撃墜されるが地上の8機を爆破。

*同日:江西省吉安・広昌、安徽省香口鎮を爆撃。

*同日:広西省柳州飛行場、広東省陽江市大澳の軍需倉庫群および軍用船艇群を爆砕。

*同日:広東省龍門江・電白、広西省北海の軍用倉庫群、大型船艇群を爆撃。

*同日:夜明、山東省徳州市武城鎮に対し三百騎近くの日本軍騎兵と機関銃隊と大砲で四方を包囲し、そこに飛行隊が加わり、いっせいに狂ったように攻撃を始めた。砲弾が家屋に当たり、天を衝く大火が上がった。飛行機は家々をかすめて低空を旋回し、人々はこの突然の災難におどろいて家をとびだし、村の外へ逃げ回った。わずかの間に、街中と荒地のあちこちに血だらけの死体が横たわった。逃げ遅れた人々の多くが日本軍に惨殺された。(『日軍侵華暴行実録』第3巻)

*11月5日:湖南省永州市祁陽・零陵付近の軍需倉庫群を爆撃、十数棟を炎焼させ、また冷水灘付近、懐化市芷江飛行場、安徽省香口鎮を爆撃。なお、中国側の記録では、日本機は幾度となく湖南省永州市祁陽城関の数十ヶ所に、爆弾と大量の焼夷弾を投下した。至る所で激しい炎が天を衝き、一面の火の海となった。この爆撃で121人が死亡、となっている。

*同日:福建省龍岩市都了坪、広西省鎮南関・崇左市憑祥・龍州・寧明、河池市都安飛行場を爆撃。

*11月6日:山東省芝罘南方、江西省贛州、安徽省香口鎮を爆撃。

*同日:広西省桂林西方の新設義寧飛行場、貴県、平果市果徳、広東省龍門江を爆撃。

*同日:広西省南寧市隆安を爆撃。隆安はこの月から翌年10月にかけて、13回の爆撃を受け、41機が194発の爆弾を投下し21カ所を爆撃、109人が死亡し、107人が負傷、160軒の家屋が破壊された。 

*同日:江西省吉安と撫州市広昌の両飛行場、軍需倉庫を爆撃。

*同日:江西省波陽県北部の石門街何度も爆撃。

*同日:浙江省嘉興市平湖の城関に数機が20数発の爆弾を投下し、城廂内外の多くの所が被爆して一面の廃墟となり、死亡は176人に達した。 

*11月7日:湖南省衡陽・零陵、安徽省香口鎮の砲兵観測所と砲兵陣地、浙江省衢県飛行場を爆撃。

*同日:広西省寧明・龍州、鎮南関の橋梁、軍需倉庫、海南島感恩の軍事施設を爆撃。

*同日:陝西省渭南市潼関、河南省三門峡市霊宝を急襲、さらに河南省の西隴海線の鉄橋を粉砕、また潼関南方の狼首山、岩黄山に集結する4千の部隊をに「銃爆撃を加え壊滅」、さらに潼関西方の七里店市街地、駅、軍用トラック等に「爆弾の雨を降らせた」。

*11月8日:安徽省香口鎮の砲兵陣地と集団部隊を銃爆撃。

*同日:海南島臨高県美台・加来、広西省河池市都安飛行場と附属建物を爆撃。

*11月9日:6機が江蘇省高郵臨沢鎮を爆撃し、家屋800軒余りを焼失させ15人が死亡、20人以上が重軽傷を負った。

*同日:正午、広東省茂名市電白県城に対し低空旋回爆撃を行い、機銃掃射しながら爆弾を一帯に投下、多くの家屋が爆破され100人以上の住民が死傷した。

*11月10日:江蘇省揚州市高郵・蘇州市周市、広西省武鳴飛行場、憑祥・龍州・寧明の倉庫群、橋梁、燃料庫を爆撃。

*同日:河南省洛陽へ窒息性ガス弾を投下。

*11月11日:江蘇省高郵を連続爆撃。

【占領地における住民の大量拉致】

 この後高郵は日本軍に占拠され、「占拠の間、 日本軍は市民2058人を殺害し、1459人に重軽傷を負わせ、家屋4万831軒を焼き、壮丁3057人を連行、1万1507人を路頭に追い込み、6165人を孤老、孤児にした。1万1123頭の豚、羊、ロバ、牛を盗み、農船用風車、衣服と蚊帳322万件を奪い、金塊46.5斤、銀子1068、現金(硬貨)1526万円、米105万石、麦139万石を略奪、1万2346人を拉致し、稲56万石を奪った」(江蘇省『高郵県誌』1990年)。ちなみに「1万2346人を拉致」ということであるが、他の地区の資料から見ると、中国東北部、つまり当時日本が植民地にしていた満州の鉱山や工場などへ労働力として送られたと見られている。これは敗戦後にソ連軍が満州に残った日本軍兵士や一般人男性をシベリアに労働力として送ったことに等しいというより、それ以上の犯罪的行為である。シベリア抑留は死者も含めてその名簿なども残されているが、日本軍はそのようなことは一切していない。その大半が過労死や病死で、その氏名が記録されることはまずなく、その骨さえ故郷に帰ることはなかった。

 筆者注:ちなみにソ連時代の最後にゴルバチョフが大統領としてペレストロイカ改革を行い、国名をロシアに戻したが、その後任のエリツィン大統領は、1993年の来日時に、シベリア抑留を「非人間的な行為だった」と認め、日本側に謝罪した。これは驚きの発言であったが、日本が戦後、侵略した相手国にこのような謝罪をした例は一切ない。あったのは民間人の努力による交流の時だけである。

*同日:広西省貴県、広東省茂名市電白・水東鎮・博賀港、仏山市南東を爆撃。

*同日:浙江省杭州市臨安県城を爆撃、21発の爆弾を投下し、12人が死亡、1人が負傷。

*11月12日:広東省茂名市雷州半島高州、広西省欽州市梅麓を爆撃。

*同日:湖北省宜昌鄧村店城内の国民党の入党式場を爆撃。

*11月13日:広東省広州市花県の兵舎、軍事施設、数十輌の車を「粉砕」。

*11月14日:山東省煙台市莱山方面を爆撃。

*同日:広東省韶関市翁源東方の官渡圩において千余の部隊と軍馬十数頭を銃爆撃、また河源市連平忠信墟で中国軍兵満載のトラック15輌を爆砕。

*11月15日:早朝より陸軍の広西省北海市への上陸作戦が展開され航空隊が支援、中国軍の魚洪江などの要衝を爆撃。

△ その上陸の目的は「深く広西、雲南省方面の敵を撃滅するとともに…… 抗日政権に一大鉄槌を加えるにあり」とし、「わが軍は作戦の地方が未だ皇軍の威武に浴せざる地域なるに鑑み、厳然たる態度と峻厳なる軍規をもって臨み、迷妄なる敵に対しては豪末も仮借することなく断乎通爆を加えることはもちろんといえども、いやしくも善良なる民衆に対しては、恩威あわせ施し、彼らをして皇軍の真の姿を理解し我々に悦服し皇威に靡か紙面とす」とあって、その言い方は手前勝手にもほどがあり、このむしろ迷妄で驕慢な精神性が逆に中国内での暴虐の連鎖を生んでいると言えるだろう。

△ 福建省漳州市詔安付近に日本軍の宣伝ビラを散布。

*15−16日:広東省深圳市沙魚浦・畳福の軍需輸送拠点、珠江支流の東江近辺の輸送船舶60隻、また恵州県公署を爆撃。

*11月16日:江西省九江市都昌の中国軍陣地を猛攻。

*同日:一機が江西省上饒市鄱陽(波陽)城県の石門街に3発の爆弾を投下、男女13人を爆死傷させ、家屋の8棟を破壊。

*同日:36機の日本軍機が山西省忻州市河曲に飛来、市内上空を旋回しつつ、機銃掃射と空爆を行い、40人以上の罪のない住民を殺害し、3000軒以上の家屋を破壊した。

*11月17日:江西省九江市呉城鎮、湖北省恩施市来鳳と恩施飛行場、広西省防城港市、魚洪江付近を爆撃。

*11月18日:江蘇省揚州市宝応・望直港、安徽省淮南市安豊鎮、広西省欽州を爆撃。

*同日:広東省梅州市興寧を急襲、ガソリン倉庫10数棟、自動車十数台を爆砕。

*同日:夕方、27機が2つの編隊に分かれて重慶を爆撃、そのうちの1編隊は嘉陵江沿岸と江北老城一帯に爆弾を投下、江北陳家館にある第21兵器工場と簸賓石埠頭が爆撃を受けた。50発以上の爆弾を投下、20棟以上の家屋を破壊し、10人以上の死傷者が出た。

*11月19日:北海作戦に協力し広西省南寧を急襲、軍需品満載の自動車軍や兵馬を銃爆撃。

*11月20日:北海市廉州・綏淥(すいろく:現・扶綏県)、南寧市獅子口付近の陣地や兵営、広東省扶南・広州市大峝壚を爆撃。

*11月某日:陝西省宝鶏県城の北崖を爆撃、郭発家の裏庭の防空壕が直撃され、子供ひとりを除いて30名以上の民間人が全員爆死した。

*11月某日:広西省南寧市綏淥県を6機が急降下して県城の「中山記念亭」と一部の民家を爆撃、 30人近くが死亡。 

*11月某日:一機が広東省仏山市高明県合水圩を爆撃、2発を投下、さらに機銃掃射で、2人が死亡、1人が負傷、1店舗が破壊。

*11月21日:広西省南寧市獅子口・横県・賓州・欽州・貴県などにおいて軍需倉庫や兵舎、装甲自動車群、貨物自動車部隊を爆撃、このほか北海市冠頭角、広東省広州市太平・深圳市永淳を爆撃。

*11月22日:広西省南寧の獅子口・横県、鬱江上の船艇群、鬱江上流の右江・左江の倉庫群と小型船艇群を爆撃、別途武鳴の新設飛行場と附属施設を爆撃。

*同日:南寧作戦において陸軍が南寧東方の鬱江を渡河中、対岸からの敵攻撃に対し、二機が急降下して機銃掃射、反復爆撃中に敵弾を受け、二機とも撃墜され(日本軍はこれを自爆という)、のちに艦隊司令長官から「感状」を授与された。

*11月23日:「全力を挙げて陸軍部隊の南寧攻略戦に協力、敵に壊滅的打撃を与え、百色市の飛行場を爆撃して大戦果を収め、陸軍各部隊間の連携に寄与する」。

*同日:南寧市の武鳴・都安の両飛行場、賓陽の陣地や倉庫群、さらに武鳴・賓陽に敗走中の部隊、遷江の軍用鉄路と周辺の倉庫群を爆撃。

*11月24日:広西省武鳴・都安の両飛行場、百色飛行場、賓陽、大株柳(?)方面を爆撃。

△ 11月24日:日本軍は広西省南寧を占領。これは中国軍の南方からの物資輸送ルートを遮断目的もあった。この後隣の崇左市龍州も占領。

*11月25日:陝西省の省都西安の飛行場や付属施設、江西省九江市彭沢付近を爆撃。

*同日:福建省莆田県城を爆撃し、女子中学校舎の3分の1が破壊された。

*11月26日:西安の飛行場や周辺の兵営、軍事施設を二度にわたり爆撃、また咸陽の倉庫群を爆撃。

*同日:湖南省芷江飛行場、貴州省黄果樹を爆撃。

*11月27日:70機余りが陝甘(中国共産党が日中戦争期間中に陝西省北部と甘粛省の間に設立した抗日根拠地)を襲撃。

*同日:日本軍は占領地運城から60機余りの爆撃機を出動させ、甘粛省蘭州空港、黄河の鉄橋、住宅地を乱爆した。同じ甘粛省白銀市靖遠も爆撃。

*同日:広西省欽州那麗鎮・貴港市八塘鎮を爆撃。

*同日:山東省秦安を爆撃。

*11月28日:前日に続き蘭州に、33機が前日夜に出撃し、未明に到着して攻撃を開始、飛行場にあった大型爆撃機30数機、戦闘機数10機を爆砕(これらはソ連から供給されたものとされる)、その他「市街軍事施設に大損害を与える」。(「市街軍事施設」は、市街地そのままと見てよい)

*同日:広西省南寧市丁橋墟・欽州市霊山県陸屋鎮を爆撃。

*11月29日:河南省南陽、内郷飛行場、広西省南寧北方・貴港市八塘・鬱江方面を爆撃。

*同日:3機が広東省仏山市三水区芦苞を爆撃、爆弾100発を投下し、200人以上を爆死させ、180人以上が負傷。

*11月30日:甘粛省蘭州と一部陝西省西安を39機により前日深夜出撃、この日未明か昼前まで三度にわたり連続攻撃、空中戦があるも撃退し、地上の飛行機数十機を爆砕、「蘭州市街ならびに東飛行場に大損害を与える」。

*同日:河南省駐馬店市隧平および漯(ら)河市舞陽の軍拠点部隊と車両群を、別働隊が南陽市方城と信陽市沙河店の司令部と軍事施設を爆撃。

12月

*1939年12月1日:38機により蘭州飛行場を爆撃(中国軍戦闘機20機と空中戦あり、9機撃墜)、「徹底的に壊滅」させた。 

*同日:広西省桂林を猛爆、その他南寧市賓陽、武鳴、永淳、高峰隘、霊山を逐次攻撃し、中国軍部隊や陣地を爆撃。 

*同日:河南省南陽付近の歩兵部隊、信陽市固始飛行場の軍事施設を爆撃。 

*12月2日:桂林西方の三江飛行場、新設の義寧飛行場を急襲、大破させ、また湘桂沿線の桂林、霊川、興安などで線路、貨車群、倉庫を爆砕、桂林−南寧間の軍需倉庫、山岳地帯の拠点を爆撃。 

*同日:広西省貴港市平南県城及び上渡街一帯が6機による爆撃と機銃掃射を受け、1人が死亡、5人が負傷し、民家14戸が破壊され、平南中学校、楽群小学校の一部が破壊された。

【継続して行われる毒ガス弾投下】

*12月3日:山西省晋城市の店頭・担山・朱家庄一帯に毒ガスのイペリット弾が4回投下された。それにより、被爆者の顔は赤く腫れて水泡ができ、そして窒息死した。(この翌日、翌々日も含め、筆者が確認できた範囲ではこの12月だけで5度毒ガス弾が投下されている)

*同日:広西省南寧市遷江、賓陽、丁橋墟、桂林の軍事施設、軍需品倉庫群を爆撃、また九塘の陣地の600人の部隊、戦車、野砲を爆撃、貴県付近の貨物車100輌爆撃。

*12月4日:甘粛省の大堡子山を爆撃、毒ガス弾を使用した。

*同日:南寧占領後の追撃作戦は続き、賓陽−八塘間の集団部隊を銃爆撃、また黄県、鬱林方面の部隊、柳州東方の軍事施設を爆撃。

*同日:同じ追撃作戦の中、数機が広西省欽州市那隆圩の敵軍を攻撃中、一機が擲弾を受けて大破し、敵陣めがけて自爆した。

*同日:広東省北方の日本陸軍部隊に反撃してきた中国軍二個師団に対し「徹底的に銃爆撃を加え、敵の遺棄死体は約500に達した」。

*同日:雲南省紅河州蒙自の県城と空港を爆撃、186人が死亡、185人が負傷、1285戸の家屋を破壊した。 

*同日:日本陸軍が広東省仏山市三水の西南、九江、太平などから兵をあげて南海区西樵山を包囲しているところに、28機の戦闘機が支援爆撃し、その後陸軍が侵略、山上八条村の村民の多くが虐殺され、さらに雲端村では村の馬、馮、関、洗の各家は、老弱女子供を問わず、日本軍によって機関銃を乱射され、雲端村で殺害された村民は70人余り、負傷者は20人余り。西樵山は前年10月とこの年の二度にわたって日本軍から虐殺の被害を受けた。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

*12月5日:山西省忻州市朱家庄を爆撃、毒ガス弾を使用した。

*同日:広西省憑祥、鎮南関方面を輸送中のトラック群を銃爆撃、炎焼、大破させた。

*同日:広東省韶関以北の粤漢線の運行が盛んとの情報で、大編隊が午前と午後の二度出動し、機関車や車両、線路、倉庫など多数粉砕、また韶関市楽昌の軍事施設を「完膚無きまでに破壊」。

*同日:安徽省安慶と黄山市徴州の中国軍部隊、司令部を爆撃。

*12月6日:湖南省長沙南方の要衝、湘潭の飛行場、軍事施設を爆撃、また広西省潯州(現・桂平)付近鬱江上の約100隻の軍用船団の大半を破壊、もしくは炎焼させた。

*12月7日:浙江省浙贛沿線の衢州、麗水などの要衝を線路、倉庫群を爆撃。

*同日: 湘桂沿線の桂林市全県付近、広東省茂名市高州、欽州市武利鎮の陣地、軍需倉庫を爆撃。

*12月7−11日:福建省漳州市詔安にまず2機が侵入し、東関敦倫堂に6発の爆弾が投下され、死者6人、負傷者4人。翌日は12機が林家巷、東沈村、内鳳村、下察村に19弾を投下し、住民7人を死傷させ、民家13棟を損壊した。3日目、さらに5機が到着し、18発の爆弾を投下した。上営村、港仔村、岑頭村、新安村、青山村、赤水渓などで7人が死亡し、平屋14棟を爆破した。10日、6機が許歴田、東路瑾、三民北路、南門内、文廟、許姓継述堂、朝天宮、許盾祠などに13弾を投下し、死傷13人、家屋37間を破壊。11日、3機が米営、岸上、平寨、大舊、仕江、探橋、渓南を爆撃、9発を投弾、4人死亡、家屋8間を爆破。

*12月8日:広西省南寧東南の邦香墟(?)を二度爆撃。

*同日: 午前七時頃、3機が福建省漳州市雲霄県城に飛来し、計50発余りの爆弾を投下、民間人29人が死亡。あるものは腸が破れ、あるものは脳が出たり、あるものは上下が引き裂かれ……目も当てられなかった。

*12月9日:湖南省懐化市黔(けん)陽、広西省欽州市牛崗圩・上牛圩を爆撃。

*同日:8機が陝西省渭南市蒲城県城を二度目の爆撃、44発の爆弾を投下し、8人が爆死。

*同日:四川省奉節(重慶近郊)で爆弾一発を投下、森林を破壊。

*12月10日:広西省都安の飛行場と軍事施設、桂林市全県北方の軍需倉庫、欽州東北の青塘鎮、桂林市大埠圩を爆撃。 

*同日:南寧背後の貴港市八塘鎮および鬱江上流の右江・左江の軍事施設を爆撃。

【日本軍千人による暴虐の実態】

 この後綏淥県東門街に日本軍約千人が侵略、街の家々に放火し、民家は十中八九焼き尽くされ、街全体が焼け野原となり、瓦礫と化した。同時に日寇は捕虜となった抗日の負傷兵二、三十人を烈火の中に投じて焼き殺し、あるいは樹の幹に縛りつけて火を放ち、焼き殺した。ある日:敵は外地から五、六十人の男女を連れて来て、今の由虷中学校の草地で残酷な大虐殺を行い、その惨状は目に余った。この後二度にわたって日本軍は村々を襲って食糧や家畜を奪い、抵抗する者を殺し家を焼いた。さらに村や街に駐屯している間、日本兵は毎日数人で民家に押し入り、財物を捜索、略奪し、同時に婦女を探して強制連行し、姦淫した。わずか十三、四歳の少女も日本軍の強姦行為で何年も体が回復できなかった。十五、六歳の少女は子供を産めなくなった。十四、五歳の少女獣兵たちに輪姦されて動けなくなった。柳橋郷のXXの妻はあ一人で野外で働いていたところ、十人の獣兵に追われて捕まり、輪姦されて意識不明になった後、溝に突き落とされ昏睡状態になったが深夜になって意識を取り戻した。卜司村の新婚間もない黄応民は避難した山のふもとで日本軍に発見され、黄は徒手空拳で敵と戦い、妻は逃げたが、彼は日本軍に銃剣で刺されて死んだ。蕾允村の山に避難していた十数人の婦女が、もう日本軍がいないと思ってこっそり村に帰って留守番をした。不幸にして二度目にこの村に入ってきたばかりの日本軍に発見され、何日も一部屋にまとめて収容され、獣兵に辱められた。日本軍は2度にわたって綏湯県に侵入した際、婦女200人近くを姦罪し、耕牛600頭余りを奪い、禽畜2800頭余りを屠殺し、財物1700点余りを略奪し、食糧は雑穀、豆類50万市斤余りを含むという途方もない犯罪を犯した。爆殺以外の殺害(略奪殺害を含む)80数人だが、驚くべきは拉致された住民が960数人でその大部分が行方不明、生死不明であった。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

  筆者注:拉致された住民というのは、他の土地への強制連行であり、満州や河北省などの炭鉱や鉱山、その工場で強制労働させられ、その多くが虐待や過労や病気で死亡した。また上記の中の虐殺や放火や強姦の事実はこの町のことだけでなく(信じられないと思われるだろうが)日本軍が侵略したあらゆる土地の中で行われ、よく取り上げられる南京事件は多少目立った事例に過ぎない。この『日軍侵華暴行実録』その他にはそうした目を背けたくなる内容が多く、ここでは時に爆撃に関わる例だけ簡略に書いているが、とても書き写せない残虐な内容(婦女子陵辱後の殺戮、赤ん坊を取り上げて残虐に殺すなど)が数多くある。これらの根本には、表向きにはこの日中戦争に当たって、日本軍の方針が兵站の支援をせず、食糧など自給自足の戦闘とし、足手まといになる捕虜は取らない、つまり全て殺すべしとしたところがあるが、当時の日本軍の精神構造として、自分たちは正義の軍で、しかも天皇直属の皇軍であり、相手は劣った民族だから何をしても許されるという極端な差別意識が背景にあったことによるだろう。一方で兵士たちの出征時に万歳と言って送り出し、この戦争を新聞などで見守るだけの銃後の国民は、いやしくも皇軍がそのような残虐な行いをするわけがないと信じ込んでいたわけで、戦場の兵士の実態と国民の意識との間は天地ほどの差がある。ましてや除隊になって無事に帰国すれば、戦地の出来事など語りようもなく、一人で慙愧の念に囚われ続け、よほどのきっかけがなければそれこそ墓場まで持って行ったのである。逆にひどい被害を受け生き残った者たちも、少しでも思い出したら悪夢にとらわれるから、自分の心の中に悪夢を閉じ込め、同じように語らない。これは日本で米軍の爆撃被害を受けた者たちも同様なのである。あまり罪悪感にとらわれないのは、はるかじょうくうから爆弾を落とす飛行兵だけである。

*12月11日:湖南省益陽市安化県煙渓県の上空を一機が旋回した後、爆撃機と一緒に9機を率いて来襲、3回に分けて爆撃し、40数発の爆弾ともっと多い焼夷弾を投下、鉄道以東は悉く焦土となり、収容された死者は115人だが、未発掘あるいは飛び散って体が残らなかった者たちもいて実際はもっと多い。損失財産は50万元以上に達した。

*同日:湖南省安化県煙渓鎮を10機が爆撃し、115人が死亡した。 

*同日:湖南省永州市灌溪の軍事施設と工場、江西省玉山と浙江省霊山の飛行場を爆撃。

*同日:広西省欽州の青塘鎮・大埠墟・陸屋鎮、崇左市龍州、桂林市全県などを爆撃。

*12月12日:再び蒋介石の故郷、浙江省渓口鎮の生家、別荘を狙って爆撃。他に杭州市富陽、その西方方家鎮、北方の宇家村を爆撃。

*12月9−12日:湖北省黄岡市黄梅・大洋廟・飛県十里舗・呉強、襄阳市胡家湾、黄石市陣家湾、武穴市郭大湾・栗木橋・菫司牌を爆撃。

*12月12日:午後、6機が浙江省寧波市奉化の渓口を爆撃し、13発の爆弾を投下、文昌閣と住宅100軒以上が破壊され、 19人が爆死、30人以上が負傷。

*12月13日:湖南省永州市灌溪を再度爆撃。

*12月15日:広西省伍州、広東省肇慶市開建(現・封開)・封川・四会、江門市白沙を逐次襲撃。

*同日:午前8時頃、35機が陝西省 楡林市神木県城の北川と東門の外に爆弾、焼夷弾100発余りを投下、住民30人以上が爆死し、民家100軒が破壊された。

*同日:午前8時、35機が陝西省楡林市神木県城に飛来し、爆弾、焼夷弾100発余りを投下、民間人50人余りを爆死させ、家屋100カ所余りを破壊した。

*12月16日:連日で36機が楡林市神木県城の上空を通過する時、爆弾数発を投下したが、死傷者なし。

*12月中旬:山西省中条山を爆撃、毒ガス弾を使用した。

*12月中旬:日本軍機は毎日のように広東省清遠市の北江に沿って爆撃、軍民の水上輸送船を爆破した。ある日広東省清城鎮の水上住民は、船を比較的隠れた瀾水坑に入れて避難していたが、日本機に発見され、三機の飛行機が交代で爆撃し、30数艘の木船はすべて爆破され、死傷した船民は20数人にのぼった。

*12月某日:広西省南寧市綏淥県を3機が5発を投下、爆死3人、負傷数人。 

【米軍による毒ガス弾の確認】

 12月中旬、山西省運城市の夏県において不発弾が回収され、米軍の検査により、それがルイサイト・イペリットの毒ガス弾であることが確認された。

*12月17日:漢水沿岸の湖北省天門多宝湾および河南省駐馬店市確山、安徽省池州市青陽を爆撃。

*同日:広西省思楽県、福建省金牌門、龍岩市梅花を爆撃。

*同日:午後、2機が陝西省楡林市城に4回目の爆撃を行った。爆弾は楡城東山、楡中大院一帯に落ち、多少の負傷者と家屋の被害のみ。

*同日:福建省厦門市同安県米市が被爆、5人が死亡した。

*12月18日:重慶近郊の梁山飛行場を26機が爆撃(敵戦闘機と空中戦、5、6機撃墜)。170発の爆弾で8人死亡、17人負傷。そこから転じて重慶市街に向かい、中国空軍に迎撃されたが菜園 垻一帯と長江北岸に30発以上の爆弾を投下、40軒以上の家屋を破壊し、7人が死亡、30人以上が負傷した。

*同日:広東省河源、湖北省荊門市沙洋鎮、安徽省安慶を爆撃。また江西省缸岡嶺を重爆撃。

*同日:湖北省恩施市来鳳飛行場を爆撃。しかしこの日本側の記録は嘘で、この日は飛行場ではなく、36機が県城市街地を無差別爆破、爆弾435発を投下し、死者23人、負傷者30人を出した。損壊家屋は計370棟以上、被害を受けた住民は計2551人。来鳳はこの年9月より4回目で、最初は飛行場を狙ったが、二度目は市街地東部を狙い、この日は市街区の南部を爆撃、ここまでの死傷者は130名前後、破壊家屋は600棟近く、被害者数は4千名に達した。また1940−41年の間にも日本機は来鳳を5回爆撃した。

*同日:9機が湖北省宜昌市当陽県を襲撃、50人余りが死亡し、県政庁舎、城隍廟が爆破された。

*12月19日:63機が重慶南川区および梁山(現・梁平区)、また重慶南西の宜賓市を25機が爆撃、菜堤空港に30発の爆弾を投下。梁山では18機が爆弾200個を投下、南川では21機が90発を投下、8人死亡、19人が重軽傷。また梁山では中国機20機と空中戦、宜賓飛行場の地上の10機を爆破。

*同日:湖北省恩施を爆撃。

*同日:広西省南寧市九塘で孤立した陸軍を援助爆撃。

*12月20日:25機が湖南省衡陽・芷(し)江、江西省吉安の各飛行場を爆撃、空中戦で地上の2機爆破。

*同日:江西省宜春市万載の軍事施設、太平関楡村、安徽省大通の陣地を爆撃。

*12月21日:山東半島の下蓮庄、莱陽、南嵐を爆撃。

▽ 中国機8機が午後二度にわたって南寧市七塘・九塘の日本の地上部隊を襲うが、ほとんど損害なし。

*12月22日:広西省南寧作戦の一環で、桂林、柳州、義寧を27機で爆撃、空中戦で3機撃墜、地上の2機爆破。

*同日:湖南省郴(ちん)県、衡陽両飛行場、湖北省漢水沿岸多宝湾を爆撃。

*同日:山東省莱陽・高格庄、湖北省田家鎮北方の駱駝山を爆撃。

*同日:陝西省楡林市の府谷と神木を爆撃。

*12月23日:湖北省多宝湾、安徽省青陽付近の雲山・底家・毛嶺・老虎尖・大嶺・李鄭湾を爆撃。

*同日:広西省柳州を襲撃、空中戦で3機を撃墜。また桂林飛行場の大型機二機を爆撃。

*同日:夜間から翌日にかけ、山東半島の莱陽・桃村集・発城集・夏格荘・窪子・端子・顔南・畢郭を爆撃。

*同日:午後2時頃、36機が出動し、陝西省楡林城に第5次爆撃を行い、楡林老飛行場、城外永済橋から城内鐘楼までの大通りが爆破されたが若干の被害のみ。

*12月24日:広西省賓陽、南寧市九塘、桂林市馬嶺墟、長墟を爆撃。桂林飛行場で大型機二機を破壊。

*12月25日:山西省朱家庄などを爆撃。

*同日:湖南省芷江を27機で爆撃、空中戦で4機撃墜。

*12月26日:広西省悟州の市街区と軍事施設、安徽省青陽の軍事施設を爆撃。

【蘭州大爆撃】

*12月26−28日:(11月下旬に続き)陸海航空隊が「赤色ルートの最大拠点蘭州」に打撃を与えるための百号作戦として三日間協力して爆撃を行った。26日、甘粛省蘭州を102機が5回に分けて夜間まで爆撃し、120人余りが死傷した。また27、28日には100機前後が蘭州を襲い、28日までに合わせて296機が出撃、2千発以上の爆弾を市街にも投下し、蘭州市街は一面火の海となり、130人が犠牲、家屋517棟と7053軒が破壊され、1835人が帰る家を失った。また黄河鉄橋も爆撃破壊。(『日軍侵華暴行実録』第4巻)

 これに対する日本側の海軍の記録では、26日、「蘭州百号作戦により、第一、第二連合航空隊63機が蘭州爆撃、敵戦闘機15機と空中戦、4機撃墜、日本軍機も1機被害」とあり、28日は「連合航空隊63機が蘭州爆撃」とあるが「実に昭和14年の掉尾を飾る大爆撃行であった」と誇っている。

*12月26−28日:上記作戦とは別に、広西省柳州飛行場、九塘・馬嶺墟の中国軍部隊、河池市保平の弾薬庫、桂林飛行場を順次爆撃。

*12月26、27日:浙江省紹興市嵊県を爆撃、 灰堆頭に投弾、住民3人が死傷。翌日には6機が市街地を爆撃、死傷者はさらに多かった。 

*12月27日:陝西省渭南市郃(こう)陽・蒲城を爆撃。

*同日:江西省南昌市新墟上空の空中戦で3機を撃墜。

*同日:山東半島烟台市の大辛店南方、莱陽・棲霞を爆撃。

*同日: 日本軍は河北省保定市の雄県、新城、固安、覇県一帯の抗日根拠地に対して大規模な「掃討」を発動した。午前7時、日本軍1000人以上と偽軍(日本軍に加担した中国兵)数百名が突然、梁神堂、張神堂、佐各庄の3村を包囲、飛行機と戦車を出動させ、同地に駐屯している八路軍に対して猛烈な攻撃を行った。八路軍はまる一日にわたって応戦し、日本軍を撃退、400人以上を殺害した。28日未明、敗北した日本軍は佐各荘村に突入、家々を捜索し、四方に機関銃を構え、八路軍の行方を聞きだそうと迫った。人々が答えないと、日本軍は次々と村人を殺害した。29日、日本軍は撤退するが村民47人を虐殺し、うち3家族は皆殺しにされた。家屋110棟以上が焼き払われ、財物は奪い尽くされた。

▽ 同日:中国空軍大隊が南寧付近の日本軍陣地を爆撃、空中戦が発生し日本機3機を撃墜。日本側の記録では「5機を攻撃、2機を撃墜」とある。

*12月28日:広西省桂林飛行場を襲撃、中国軍機12機と空中戦で2機を撃墜。

*12月29日:桂林を23機が爆撃、22機と空中戦、2機撃墜。

*同日:柳州を襲撃、中国軍機40機と空中戦、14機を撃墜。

*同日:湖南省衡陽飛行場を爆撃。

*12月30日:陝西省宝鶏、湖北省宜昌を爆撃。

*同日:13機が広西省柳州を爆撃、敵戦闘機40機と空中戦で14機撃墜、地上の7機爆破、日本機の被害1機(とあるが、中国側の記録では日本機8機を撃墜とある)

*同日:雲南省蒙自の飛行場を爆撃、格納庫内のおよそ20機を「撃破」、また滇(てん)越鉄道(ベトナム・ハノイと雲南省の昆明を結ぶ)を爆撃。 

*12月31日:27機が柳州飛行場を爆撃、地上の5機爆破。

*12月某日:安徽省合肥市梁園鎮に対して3回目の爆撃を行った。

【この年の各種記録】

〇 この年、日本軍は重慶を34回爆撃し、865機が出撃し、1897個の爆弾を投下、 6599戸の家屋が被害を受け、5247人が死亡、4196人が負傷した。

〇 翌年7月の国民政府統計によると、抗戦開始から本年末までに、日本軍機は中国民5万1601人を爆死させ、6万5846人を爆傷させ、家屋21万6546軒を破壊し、約14万4829万元の損害があったとした。

〇 大本営陸軍発表では、この12月の交戦だけで、中国軍の遺棄死体9万420、捕虜4177、それに対し日本軍の死者3558としている。

〇 国民政府軍事委員会報道官は報道陣に対し、日本軍は開戦以来今日までに、陸軍だけでは既存の常備軍17師団を除いて32師団と14混成旅団、合計168万人を動員したと述べた。

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