清国に対する宣戦の詔勅 (1894年:明治27年8月1日布告)
余(朕)はここに、清国に対して宣戦を布告する。余の百僚有司(臣下百官)はよろしく余の意を体し、陸上に海面に、清国に対して交戦の事に従い、以て国家の目的を達するに努力すべし。いやしくも国際法に反しない限度において、あらゆる手段方法を用いて遺漏のないように戦え。余が深く考えるに、余の即位以来、二十有余年の間、文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構えることは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。幸に諸国との交際は、年をおうごとに親密さを加えてきた。どうして、予測できたであろうか。清国が朝鮮事件によって、わが国に対し隠すところのない友好関係にそむき、信義を失なわせる挙に出ようとは。朝鮮は(大日本)帝国が、そのはじめより、導き誘って諸国の仲間となした一独立国である。しかし、清国はことあるごとに、自ら朝鮮を属国であると主張し、陰に陽に朝鮮に内政干渉し、そこに内乱が起こるや、属国の危機を救うという口実で、朝鮮に対し出兵した。余は、明治十五年の済物浦条約により、朝鮮に兵を出して事変に備えさせ、更に朝鮮から戦乱を永久になくし、将来にわたって治安を保ち、それをもって東洋全域の平和を維持しようと欲し、まず清国に協同で事にあたろうと告げたのだが、清国は態度を変え続け、さまざまないい訳をもうけて、この提案を拒んだ。 …… すなわち、清国の計略は、あきらかに朝鮮国の治安の責務をになうものとしての(わが)帝国を否定し、帝国が率先して独立諸国の列に加えた朝鮮の地位を、それらを明記した天津条約と共に、めくらましとごまかしの中に埋没させ、帝国の権利、利益に損害を与え、東洋の永続的な平和を保障できなくすることにある。これは疑いようがない。よくよく清国の為す所に関して、そのたくらみごとのありかを深く洞察するならば、実に最初から平和を犠牲にしてでも、その非常なる野望を遂げようとしていると言わざるをえない。事は既にここまできてしまったからには…… 公式に宣戦布告せざるをえない。汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速やかにこの戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。
(この中で「いやしくも国際法に反しない限度において」という表現は留意しておくべきである)