わが町の戦争:東京都
東京都全体の構成について
「わが町の戦争」として、各市区記載の冒頭にあるように戦時下の出来事として「空爆日」「被害状況」の分析から始めているが、およその戦災死者数は記入できている。次に「出征者と戦死者数」を記述しようとしたが、どのように調べても(どの区市町村にも必ず当時の兵事係によって記録されていたはずの)出征者と戦死者の記録がまともに出て来なかった。兵事係は召集令状を発行し、戦死の場合はその家族に通知する役目を負っていて、それは必ず記録に残される。例えば昭和18年(1943)、徴兵年齢が下げられ、学徒出陣となって学生たちは出身地に戻って応召の手続きをした。その時もその役場で記録されているはずである。
東村山市に取り掛かって、それらの記録は敗戦直後に政府の指令で焼却されたということがわかった。しかし当時の東村山村の兵事係の方の機転でその記録は隠して残された。同様に残されたものは全国に20村しかないこともわかった。係員の自宅に持ち帰られた例もあり、それらは戦後何十年後にやっと明らかにされた。焼却した中でも日野市のように戦後早く、おそらく戸別訪問によって戦死者を確認し、戦没地まで調査し直した例もある。いずれにしろ戦後の調査で判明している場合で筆者の目につく範囲では記入しているが、漏れや誤記がある場合はご教示いただければ幸いである。
国内の出征記録書類が焼却されたということは、当然陸海軍の国内外での関係文書や戦争の前線での記録や写真も焼却されたということであり、その証言は各地、各所にある。当時の内務省の官房文書課事務官だった大山正は「選択なしに全部燃やせということで、内務省の裏庭で三日三晩、炎々と夜空を焦がして燃やしました」と回想している。ちなみに長野県の松本市では「機密重要書類焼却の件」として戦時下に配布されたポスター類も焼却するように指示が出されている。これらが何を意味しているかはその都度触れる。
その次に戦時下と戦後の出来事を各地区の事情に合わせて項目別に記している。さらに戦時下の大学のことを取り上げるに当たって、女子大学は戦前は実際には専門学校扱いであることがわかり、そのほとんどが高等女学校と併設されていた関係で、高等女学校も取り上げるに至った。高等女学校(高女)は男子の場合は中学校(同じ5年制)となるが、分量と時間の関係で男子中学校は割愛した。しかも高女は想定以上に多く、公平になるように務めたが、個人情報保護法を盾にされてせっかくの資料が手に入らない学校もあったし、わざわざ無料で送っていただいた学校もあった。